Everyday I have the BLUES

10代の頃はハードロックに夢中だったのに、最近はブルースが心地いい。。。

命の有限さを感じた夜のブルース。

2007-03-15 01:40:33 | Weblog
今日は仕事を休ませてもらって病院へ。

親父の手術を見守った。   (…無事成功しました)



腸に腫瘍が見つかったのが2月の半ば。

「もしこの腫瘍が悪性(ガン)だとしたら、
 末期に近いぐらいに進行している可能性もあります」

なんて脅しをかけられて、

そこから緊急で、追検査をいくつもいくつも。
いくつもいくつも。

結果を待つ時間ってのは、なかなかにシンドイ。

体に染み付いているはずの
“「最悪」に備えながら、「最高」を求める”
っていう思考回路が、幾分うまく働いてくれなくて。
どうしても最悪ばかりが目について、そいつを追い払うのに難儀した。

検査の結果、
結局ガンではなかったのだけれど(ホンマによかった)、
それでもしばらくは腸を休める必要があって、
今日、腸を使わないようにする手術が行われた。

全身麻酔をかけて腹にメスを入れる。

ガンを摘出するような手術に比べれば、
ずっと難易度は低いのだろうけれど、
やはり、それなりの“覚悟”は求められる。

麻酔で眠ったまま起きない可能性もゼロじゃない。
副作用で様態が急変する可能性もゼロじゃない。
手術中に麻酔が切れる可能性もゼロじゃない。

そんな医師の説明を聞き、
急速に具体的になってくる「命の有限さ」を感じながら、
俺はただひたすらに「絶対にうまくいく」を唱えた。

・・・<絶対>なんていう無責任な言葉は、
こういうときの為にあるのだと思う。



今朝。

普段は正月ぐらいしか用がない近所の神社にも御参りし、
手術の1時間前に親父の病室に行った。

顔が、普段よりずっと小さく見えた。
落ち着いた様子で淡々としながらも、目に力がない。

手術と、術後のちょっと不便になる生活に対して、不安を口にする親父。
その少しかすれた力のない声に、
俺たちは、励ましの言葉を、毛布のように重ねた。


病室を出る前に、握った手。

言葉にならない想いを、込める。

手術室に入る前、不安げな顔に、笑いでかえす。


そこから3時間。

無事、手術は成功。親父も目を覚ました。

安堵のため息を大きく一つ。
言葉にすると安っぽいけど、本当によかった。本当に。

…まだ体のあちこちに管がついていて、
目もうつろだけれど、様態はひとまず安定している。


今回のアクシデントで、命の有限さを再認識した。
やっぱ何するのも生きている内やなぁと思った。
その間に、想いをいっぱい返したい。


とりあえず、今日は一人で乾杯しよう。
酒が飲めるぐらいまで回復したら、そのときは一緒に。

マイロックンロールブルース7

2007-02-24 01:45:25 | Weblog

久しぶりに会社のみんなで飲み会。
俺の大好きな上司が、雰囲気のいい店をセレクトしてくれて、
八時前から、ビールと肴で宴をかこんだ。

あ~、もうすげぇ幸せ。

だって、八時前からビールだもん。


今の会社の人、性別も年齢も考え方もばらばらだけれど、、
それぞれ良いところも悪いところも知りえた仲で、みんな嫌いじゃない。
そんな人たちと飲んでしゃべっている時間は、
決して派手ではないけれど、居心地が良くて楽しかった。

普段仕事の話ばっかしている先輩の違った一面も見えたりしながら、
この春からダンナになる俺の婿修行話に花をさかせてもらいながら、
グラスのビールがワインに変わって、
ワインがバーボンに変わって。1杯、2杯と、夜がふけてゆく。。。

弛緩し始めた頭でふと気がつけば、もうすぐ終電。

駅までの送迎バスの至れり尽くせりのサービスに
背中をおされるように店を出て、ふーーーっと、息を吐いた。


なんだか幸せだなぁ。


そして、今夜はなんだかちょっと、淋しくて。


弛緩し始めた頭に導かれるままに
もう一軒バーの扉を叩きたかったけれど、
今日はおとなしくおうちに帰ろうとを決めた。

なぜだろう。

なぜかそうした。

気心の知れた同僚と二人、電車に揺られながら、
胸の奥で小さく鳴っている淋しさがなんなのかわからなくて、
なんだか一人になりたくなくて、
そして、一人になりたいと願って。

最寄り駅にたどりついてから家までの5キロの道のり。
普段、酔っ払った夜はタクシーを拾うことがほとんどだけれど、
今日はなんだかタクシーを使う気にはならなくて、歩いた。

50分の道のりを、とぼとぼと歩いた。

途中のコンビニで273円のトリスウイスキーを買って、
ちびりちびりとやりながら、ぶらぶら、ぶらり。

その安っぽさを背負いながら、

ふと、同じような赤い顔をした相棒と、

自分の両手にもてあますほどの夢を膨らませて

語り明かしたい気持ちがこみ上げてきて。


その最中、
淋しさの在り処を知った気がして、
少し笑った。


18から25歳までの7年間。

何処にもたどりつけなくてもいい夜を数えながら、
酔っ払ったついでになんども温めなおした、
自分自身のロックンロール。

ダイヤモンドになりえない、
ガラス球ロックンロールの安っぽさと、
しょんべん臭いブルースを抱きながら。……愛しながら。


俺、この春から、2人で歩いていくことを決めた。

その決断をできた自分自身にも少しずつ慣れ、
きっとまた、いろいろなことが少しずつ変わっていくんだろう。
その変化に恐怖はない。

だけどこの7年間の、
何処にもたどりつけなくてもいい夜に消化不良をおこしばっかの想いたちを、
決してセピア色に閉じ込めたりはしたくなくて。

ここいらで一つ、
この先歩いていくための「杭」になるような作品を、
自分自身が求めている気がしている。


深夜零時を越えるころのブルース

2007-02-23 01:19:19 | Weblog
毎日毎日バタバタと忙しいけど、
深夜零時を越えるころ、
少しだけ自分の時間がやってくる。

オールドファッションドグラスに氷を2つ。
バーボンの栓をひねって。

今日一日のブルースを肴に
琥珀色を溶かせば、ギターが恋しくなって。

スリーコードでちょっと遊ぶ。

幸せだなぁ。

心と頭の調合具合…のブルース。

2006-11-21 02:33:39 | Weblog
ん~仕事がうまくいかない。

俺のやりたいこと、面白いと思う提案が、
直属の上司にことごとく跳ねられて、ため息を三つ、つく。

例えば、仕事の初段階の打ち合わせで、
なんとなくお互いのイメージが分かった気になって走ってみたら、
俺が上げたものと上司が思い描いていたものが全然別物で、
かみ合わない。

…上司の頭が悪いわけじゃない。
いやむしろ、キレ者。仕事はテキパキ、隙がない。
経験豊富。引き出し多し。

上司の言い分は頭で考えれば、嫌と言うほど正論。的を得ていて。
それが仕事の進め方なんだろうなと敬服することもしばしば。
考え方も、そのための準備も、築き上げるプロセスも、イメージはつく。
それが、より多くの人に受けることも分かる。

だけどなんだろう、
仕事のやり方・作り方ってのは、その価値観だけでもない気がして、
ちょっと心の栓を多めに緩めてやると、それがまた一つ、うまくいかない。


頭の心の調合具合が難しくて、
ただ単純に、自分の未熟さだけが身に沁みて。

それがすげぇ悔しい。

何者でもないその肩にさえ…のブルース

2006-10-04 02:52:03 | Weblog
仕事が忙しい。

9月末にピークを越したはずなのに、
眼前の景色は一向に晴れてくれなくて、
むしろ、鉛色の空は、濃度を深めてる。

25時に帰宅する日々をもう2ヶ月も続けて、
昨夜の仕事上がりは、満を持しての27時。

家に帰り着けば3時半で、
よせばいいのに、そこから少しの自由時間を求めて、
さらに睡眠時間をすり減らす。

新聞配達のバイクのエンジン音を
遠くに聞きながらベッドに沈み込めば、
一瞬の瞬きを合図に、次の日が始まる。


スーツ姿でスシ詰めの電車に揺られ、
ビル群へと向かう自分を“駱駝”のようだと憂いながら、

例えば、こんな生活を何十年も続けて肩に積もった憂いになら、
何者でもないその肩にさえ、少しの意味は積るのだろうかと、
見知らぬオヤジの肩を見る。

しかし、そこには、見事に何の重みも感じられなくて、
ただ、カレー臭だけが漂ってきそうなその気配に、目をそらす。

あるいは…と、回り始めた思考を、
無理やりに停止させて、ただ一つ。

目覚めてすぐのその最中、
まだ動きそうだ、という体に感謝し、
夜をまたぐその最中、
一日動いてくれた体に感謝する。


…一日の終わりに、
なんのためらいもなく瞼をおろせるのは、
自分に対する褒美と、
そして少しの信頼の表れなのかもしれない。

100本のコピーと100本の旋律に抱かれて過ごす一日のブルース

2006-09-23 18:11:51 | Weblog

仕事のほうが山の9合目あたりで慌しい。

毎日毎日、飽きもせず、
100本の電話と、100本のメールと、
100本のコピーを温めて、
14時間ぐらいは会社で遊んでる。

家に帰り着けば25時。
なのに、最近ギターが楽しくて仕方がないもんだから、
そこから1~2時間ぐらいは、また遊ぶ。

たいして上手いわけではないけれど、
バーボン片手に音をはじけば、琥珀色が深まって。

100本のコピーと、
100本の旋律に抱かれて眠る。

気がつけば、遊んでばっかりだ。


・・・今日はやっとこさ週末にたどり着いて小休止。
と言っても、今日は家で仕事で、明日は会社で仕事なんだけど。

こんな天気の良い日にパソコンが友達の自分を不憫に思って、
せめてビールでも喉に流し込んでやろうとプシュっとやれば、
今度は音楽が聴きたくなって、ブルースを肴に一杯やる。

BBキングの、深くて温かい旋律が空間に漂いはじめると、
部屋の片隅に立てかけたギターに目がいって。

誘惑に負けちまったおいら、
愛しのフェンダーをミニアンプにつないで、ちょっと小休止。

BBキングと一緒に、
“スリル・イズ・ゴーン”をプレイする。

「すげぇな、BB!!」とかって言いながら
一人で盛り上がっている間に、2時間経過。

あ。。



…そういやぁ、この間、
京都の映画イベントで、ブルースライブの映画
『ライトニン・イン・ア・ボトル』を観てきたのだけど、

バディ・ガイ、
ルース・ブラウン、
ソロモン・バーク、
ナタリー・コール、
ドクター・ジョン…etc..etc...etc...etc..

の早々たる面々の中、
大トリで登場したBBキングの“SWEET SIXTEEN”にはしびれた。

最初の音を聴いた瞬間に、体の芯に何かが灯るの分かって、
奥の奥まで感じようと、自然に体が持ち上がる。

“一音で泣かせる”
ってのは、ああいうことなんだろうな。

その場に居合わせたブルース好きの人たちみんなが、
あの瞬間、俺と同じようにしびれて、身をくゆらせて、
心地よく顔をしかめていたんだろうなと思うと、
なんだかおもしろい。

「すげぇな、BB!!」


…あ。気がつけば4時間経過。。。


走り続ける夜のブルース。

2006-09-07 23:53:49 | Weblog
コピーライターという仕事柄、
四六時中、素敵な言葉との出遭いを気にかけているのだけれど、
今日は1つ、琴線に触れる言葉との出逢いがあった。

それはこれ↓

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

擦り減らすほうが、錆びつかせてしまうより、ましだ。

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

この言葉に触れた瞬間、
心の奥でちらちらと揺れていた火が、
一瞬、大きく燃え上がるのがわかった。

確かにそうだ。

一心不乱に磨いてきたつもりが、
いつからか擦り減らしていることに気づいて、
愕然としながら、
それでも突っ走ってきたけれど。

うん、錆び付かせてしまうよりかはずっといい。


Keep on Running.

よぅ、相棒。

世界の広さにたまげた夏のブルース~九州旅行~

2006-08-22 22:26:17 | Weblog
盆休みを利用して、九州へ行ってきた。

大阪南港を夕方7時に出港すれば、
大分県別府港に、朝6時に到着。

初日は別府の地獄めぐりと湯布院あたりをひやかして、
次の日は、阿蘇へと向かう。

今回の旅のひとつの大きな目的として、
九州のドライブスポット『やまなみハイウェイ』を
走りたいというのがあった。

走り初めのうちは、ふつうの山道。
緑のトンネルが綺麗なぐらいで
別段、なんてことなかったが、
九重に入ったあたりから、
風景は、劇的に変化していった。

峠を越えたその先には、一直線のストレート。
両側には田園が果てしなく続き、
その果てには山々が連なる。
まるで夢で見た「ルート66」みたいだ。

カーステレオからは、BBキングのしゃがれ声。
空には抜けんばかりの青空と夏の風物詩、入道雲。
ウインドウを全開にして、アクセルを踏み込んで、
やまなみハイウェイをひた走る。

ちょっと走れば、一直線のストレートは終わってしまったけれど、峠をもう一つ越えれば、今度は関西では見られない「草山」が視界一面に広がる。草山……文字通り、草でできた山。木がなく、草の丘の連なりは、まるで「アルプスの少女ハイジ」の世界だ。

どこまでも続く丘の連なり。
ひた走るワインディングロード。

BGMはBBキングから、チャボを挟み、
オーティスラッシュへ。

最高のロケーション。

その間、車内の会話は、
地球のスケールのデカさに終始した。

「すげーなー。めちゃ広い。
日本じゃないみたいや。」
「だけど、日本は地球の陸面積の0.3%しかなくて、
その阿蘇はさらに何十分の一で…」

旅をする醍醐味って、
世界の広さを知ることじゃないだろうか。

机上で、知識で、数字で知るだけじゃなく、
身体で、広さを体感する。

九州の阿蘇の、このちっぽけな一角だけでも、
こんなに広いんだと体感する。
そして、そこで生活する人たちのことを思う。
いくつもの人生を思い、思考を思う。
それが連なる世界を思う。

世界って、
しょんべんちびりそうなぐらいデカい。

すげぇなぁってたまげて、
もっと謙虚に、一歩ずつって、
足元を踏みしめる。

マイロックンロールブルース6

2006-08-19 13:56:56 | Weblog

最終電車の疲れをひきずった、けだるい土曜日の朝
何気なく灯したテレビに、同い歳のドリーマーが映ってた

音楽にすべてを駆ける彼らの眼差しは熱く
自分の思考で、自分の言葉で歩いてる

テレビの中の会話は、生き方に対する考え方のやりとりで
話の最中に、そのバンドのドラマーが、ある無気力少女に言った

「なぜ『うんうん』ってうなずいてるの?
 なぜ、自分の意見をぶつけないの?
 なぜ、この短時間のやりとりで納得できるの?
 もっと噛み付いてきてくれたらいいのに。
 なぜ、自分を出し惜しみしているの?
 話をするからにはもっとぶつかり合わないと、意味がないと思う」


…なぜ、すぐに「うん」ってうなずける?
…なぜ、自分を出し惜しみしてる?

名もなき19歳のドラマーの言葉に
俺の「現在」をつらぬかれて
テレビのこっち側で、真っ白になる

まるで19歳の頃の俺に言われたような心地で
ソコとココとの温度差の違いに
体が震えて、止まらなくなった

平手で頬を張って、「おいっ」って吠えた
しまらない自分を自覚する

テレビの向こう側には、彼らの意思が溢れていて
テレビのこちら側には、干し大根のような俺

思うように生かない自身に憂いを浮かべようとも
そんな憂いに気づきすらしなくなるにはまだ早い


「なぜ、自分を出し惜しみしているの?」


心の底に「なにか」が灯るのがわかった
凍えたハートを溶かしていく

視界の片隅のギターに手を伸ばそうとして
ちょっと躊躇って、やっぱりペンを握った


「なぜ、自分を出し惜しみしているの?」


25歳と少し、歩いた
15の夜から膨らまし続けてきた自分の思考や言葉が
この2年で急速に失われていくのを感じてる


いったい自分が
何を出し惜しみしているのかすら
わからなくなってしまう前に
もう一度


もう一度やろうや。

干し大根のような自分をぶっとばせ。


25の夏のブルース。

2006-08-15 08:56:42 | Weblog
15歳の頃、
たまたま同じ中学で、偶然近所に居合わせて、
一緒にハードロックを鳴らしていた仲間がいた。

そのバンドは2年ぐらいで解散して、
大学進学と同時に、住居も離れ、会わなくなった。

それが1年ぐらい前、
ふとしたきっかけで再開したとき、
それぞれの抱いている音楽が、
「ブルース」に回帰していて驚いた。

この間の土曜日は、
そんな旧友たちと久しぶりのスタジオ in。

「Mojo Working」
「Sweet home cicago」
「Key to the highway」など、
ベタベタのブルースナンバーを、
聴き様聴き真似で、プレイする。

俺、でたらめな音色をはじいて空間を楽しみながら、
なんだか嬉しくて楽しくて、しょうがない。

俺の大好きなブルースを、こいつらと演れるなんて。

仕事も、生活も、まるで違う仲間だけど、
ブルースに心に響くってことは、
心の奥の「なにか」が同じなんだろう。

なんだか妙な縁を感じてしまって、
15歳の頃の過ごし方にも、ちょびっと確信がもてた、
25の夏のブルース。

他人に割られたケツを肴に一杯のブルース

2006-07-29 10:16:28 | Weblog
チームで仕事をするって難しいなって思う。

何本かのプロジェクトが同時に進行していて、
それぞれ1~5人編成ぐらいのチームで動いているのだけど、
今回俺1人にまかせられていた、あるカタログ作成の仕事に、
昨夜、唐突に、別の人をかませられてしまった。

俺、なにか失敗をしたってわけでもないし、
「なぜ??」と顔を向けると、直属の上司は、
「いや、今あなた、別のプロジェクトでかなり忙しそうだから」って言う。

すでに上司二人でご相談の、決定事項らしい。

なんだ、それ。
って思わず、反吐がでる。

一度、「俺がやります。やらせてほしい」と受けた仕事。
受けたからには、たとえ少々、休日に食い込んだとしても、
きっちり仕上げていくつもりで段取りしていたもんだから、混乱した。

自分でケツを割ったなら、まだ赤恥もかけるが、
他人にケツを割られた形で、赤恥のかきようもない。

怒りに似た感情が溢れてくるのを感じたけれど、
「俺の負担を軽くするための配慮」をしてくれた上司の好意も沁みて、
感情のやり場を見失う。


溶けきれないしこりを抱いた、土曜日の朝。

投げられたサイは、もう戻しようもなく、
ただ、モチベーションだけが急降下して、
まるでやる気がぬけた自分を、ひどく客観的に見ている俺がいる。

ま、いつまでも腐っていても今日という日が勿体ないし、
自分のためのグレートな週末にしようと、気持ちの切替えを図るのだけれど、
それでまた、心を消費する。

心の無駄使いをしているなぁって感じる、今日この頃。


土日が空ければやってくる月曜日に備えて、
Stomy Mondayでも聴きながら、ペンを握ろう。
今日はロバート・ジュニア・ロックウッドのテイクが聴きたい気分。


仕事、まだあと2ヶ月は続く繁忙は、
ハートが死んだまま乗り切れるほど簡単ではないだろうし、
さぁもう一度、あげていかなきゃな。


ロバート・ジュニア・ロックウッドの名盤、
「BLUES LIVE!」をステレオにセットして、
とりあえず、乾杯しよう。

「何に乾杯するの?」
「朝から飲める、幸せに」

一蹴された企画書に、自分の現在位置を知った夜のブルース

2006-07-22 16:12:09 | Weblog
今、新しいサイトの企画の真っ最中。

初めてプロジェクトリーダー的な立場で
まかされた仕事なもんだから、気合が入る。
(と言っても、上にボスはズラッと並んでいるんだけど)

来週プレゼンというスケジュールで、
今週はずっとその企画に忙しかった。

朝の4時ぐらいまで仕事をしているという状態を
3日ぐらい続けて、なんとか金曜日に企画の骨組みが完成。

ちょっとドキドキハラハラ(←懐かしい表現だ)
作り上げた企画書をボスたちに見てもらったんだけど、
だけど、コレがまったく上手くいかず、一蹴されてしまった。

いろいろと面白いネタを考えてみたんだけれど、
基本的な土台部分がぐらぐらで、赤面する始末。

真面目にやれよ、俺。
もう一度、イチからやり直し。

なんだかやるせない金曜日の夜。
休みに入るというのに全然解放感が沸いてこなくて。
たまらず酒をあおって、「ちくしょー」と叫ぶ。

めちゃめちゃ悔しい。
コレぐらいサラッとやってのけられないのかよって、
自分自身にめちゃめちゃ悔しさ爆発させながら、
突きつけられた俺の立っている現在位置を確認。

そういやぁ星占いにも、
「今週は努力のわりに、実りが少ないでしょう」
とあったんだ。ちくしょー。

ちゃぶ台ひっくり返して、
逃げこもりたくなる自分を必死で抑えて、
静かに眼前を見つめよう。

敗因はわかってる。
初めて書く数十ページの企画書だから、
理屈付けにばかり頭を悩ませて
肝心な「核の部分」をないがしろにしちまってたんだ。

商品をもっと感じて、市場を見渡して、
クライアントが求めているものと、俺がやりたいことと、
そしてなにより、実際に使う消費者が欲しがっているものとの融合。

「俺ならやれる」って、
一緒に信じてくれる相方のためにも、
ここらが一つ、踏ん張りどころだ。

サラッとやっちゃえ、俺。

「俺もう冷たいものいらん」「2800円やで」の夜のブルース

2006-07-03 03:31:28 | Weblog
親孝行をやってみた。

6月最後の日曜日、
おかんの誕生日とおとんの父の日を兼ねて、
晩飯を食いに行くことになった。

うちの家族、俺がガキの頃から、
外食なんて年に1度か2度あるかないかで、
しかもそれすら、近所の焼肉屋かファミレスが関の山。

今回たまにのことなので、
ミニ会席的な店に連れて行くことにした。

と言っても、
実家は、大阪府堺市美原町。

京都あたりまで行けば、
旨い店は何件か知っているけれど、
そこまで行くには、ちと遠い。

梅田にも連れて行きたい料理屋が一軒あるなぁって思いながら、
結局それも断念して、いろいろ探した結果、
家から車で20分ほどのところにある、創作和食屋に行くことに決めた。

で、ココで迷ったのが、
その店まで何で行くかってこと。

車で行けば飲めないし、
タクシーで行くには、交通費が、ちと、かさむ。

で、家族会議(大げさな!)の結果決まったのが、
とりあえず、行きは電車で行こうということ。

だけんども、これがもう大変で。

うちの家、陸の孤島みたいなド田舎で、
電車で行くにはまずバスに乗らなければいけない。
バスに乗るには、バス停まで歩かなければならなくて。

歩いて15分かけて、バス停へ。
10分待って、バスが来て、吊り輪に10分揺られて駅に着く。
また10分待って、電車が来て、さらに10分乗って、最寄り駅に着く。
ここまでの所要時間50分。
ここから店までは徒歩12分って書いてあったんだけれど、
さぁココからが、大変だった。

地図で見れば1.5キロぐらいの距離だったんだけど、
歩いても歩いても、いっこうに着かない。

だんだんと、うちのオカンが疲れてくる。。。

オカンは心臓に病気があって、
あまり歩かせたくなかったんだけど、
貧乏性がたたって頑張っちまったからに、
もうタクシーに乗るにも中途半端なタイミングで、
みんなで困った。

家族みんなで、オカンの様子をみたり、
近道がないか、先へ行ったり来たりで、なかなか進まない。

結局、牛歩戦術のようなオカンを連れて、
1時間がかりでお店へたどり着いた。

みんなもう、ヘトヘト。
車で20分のところへ、結局120分かけて到着・・・。

店構えは思っていたより“居酒屋”風味で、
兄貴とおいら、顔を見合わせて苦笑したけれど、
入ってみれば、落ちついた店内でよかった。

ヘトヘトになった後のビールは格別だし、
全10品のコース料理は、なかなかイケた。

料理内容は月代わりで変わるらしく、
天婦羅以外は、冷たいものづくし。
とりわけ、「鹿児島豚の冷しゃぶサラダ」や、
「牛フィレ肉のステーキ夏野菜添え 金山寺味噌で」、
「西瓜のムース寄せ花香るジュレがけ」が旨かった。

それに、普段あまり家から出ない兄貴や
オカンの旨そうな笑顔を見るのがなにより心地よくて、
連れてきてよかったと嬉しくなった。

・・・まぁ、オトンは途中から、
「俺もう冷たいものいらん…。あったかいものが食べたい」
とごねていたし、
オカンは、冷しゃぶサラダを食いながら、
「これだけで2800円やで。そらうまいわな」
と言っていたけれど。。。

有山な夜のぼちぼちブルース

2006-06-18 10:58:18 | Weblog
昨日は塚本にあるハウリンバーで、
ブルースナイトを楽しんだ。

メインディッシュは「有山じゅんじ」。
その前に前菜(なんて失礼!)として
「歌屋BOOTEE」のカサスリムが出てくる。

ライブ開始の8時を少しまわってしまって慌てて駆けつけたんだけど、
ペンキで落書きだらけの扉を開けた瞬間、
時間がいっぺんにスローになるのを感じた。

カサさんのゆったりとした歌声に包み込まれて、
あ~この声この声ってかんじで、うれしくなる。

有山のライブはもう何回も観ているけど、
歌屋BOOTEEは1年半前に、堺のレッドハウスで一度観たきりで。
そのときにめちゃくちゃ良かったもんだから、
今回も楽しみにしていたんだけど、やっぱり良かった。

歌声はもちろん、
歌っているときの表情がすげー良くて、もうやばい。

なにも気負わず、至福の笑顔で、
ぼちぼちぼちぼち、演ってくれる。

その声を、その表情を観ていると、
こっちの気負いもだんだんと溶けていって、
音色が、じかに肌に染み込んでくるのを感じる。

…水のようだなと思った。
あまりに気持よさそうに演ってくれるもんだから、
なんだかもう、心がほころんで、泣きそうになってしまう。
まるで湯舟に浸かっているときのような無防備さで
リラックスしてしまって、ちょっと驚く。

特に印象に残った曲で、

“ブルース片手にここまで来た”
“ブルース頼りにやってきた”

というフレーズがあって、
そこに流れる、とても切実で誠実なトーンに、心が震えた。


そんなカサさんの後に登場した有山のステージはもう、
いつものマイペースな「有山な夜」で。
思いっきり笑ったり、思いっきり感じたりしながら、
音と酒の溶けあった空間を、存分に楽しんだ。

ライブの途中に、客とうどんの話で盛り上がったり、
ちょっと弾いて「この曲ちゃうなぁ」と途中で止めたり…
そのまったりとしたぼちぼちさ加減に、誰かが、
『なんか有山さんの家に来てるみたいやなぁ』
と言って、そこに集ったみんなで、楽しく笑った。

有山が何曲か弾いたあとに、
「よし、今日はせっかくやし、ブルースを演ろうか」と言う。
そして、ギターをちょっと撫でてみて。
少し間があって。
だけど、「あかん、なんも出てけぇへんわ」と言って笑った。

俺、「ああ、すげぇなぁ」って思う。

もちろん、“ブルース”の曲ならいくらでも弾けるだろう。
sweet home cicagoでもいい、stomy mondayでもいい、
星の数ほど弾けるだろう。
だけど、「あかん、ブルースは出てこない」と言う。
それは「ジャンル」じゃない。

現在(いま)のこの瞬間の自分の中に流れている音色を
誠実にプレイしているのだなぁと、
そんな当たり前が身に染みて、ドキドキした。

空間に舞う、一音一音を抱きしめる。


弾きたい音。
書きたい言葉。

先日、友人に言われた、
「書きたいことがあるん?」ってセリフが蘇る。

言葉を並べる技術じゃなく、
自分の中に流れる言葉を見つめる。
溢れてくる言葉を見つめる。


目の前で、
俺が産まれる前からギターを抱き続けているオヤジが、
今日も楽しそうに、自分の音を奏でてる。

有山が言う。
「5年で100曲作るのも、
 50年で100曲作るのも一緒や。ぼちぼちやろうや。」

マイロックンロールブルース5

2006-06-03 13:24:03 | Weblog
今日は夜から予定があるが、
それまでは久しぶりに一人の時間。

朝からギターを片手に、色々な音楽を聴きあさる。

1曲、めちゃめちゃいい曲を見つけた。
とある知人のオリジナル曲で、
『ブルージーンズ』というタイトルのバラード。
メロディとギターの旋律が美しくて、歌詞がまたいい。

数十行の言葉で切り取られた幾つかの情景。
その一つ一つが、音のリズムに乗せられて
鮮やかさを増し、動き出す。

“すり切れたブルージーンズ”
“ブルーズも 酒も”
“お前がいなけりゃ 意味もない”

というフレーズに、
泣きそうなぐらい、心がゆさぶられた。

その瞬間、
俺の頭の中で、物語が、動き始めた。
情景が次々に切り替わって、
男と女が会話をして、
一つの映画のように連なっていく。

久しぶりの感触にドキドキした。
頭の中で流れ続ける情景を書き留めれば、
小説が一遍、出来上がる。

そういうテンションだ。

久しくこのモードが入らなかったのに、いきなりきた。
感性がちょっとずつ戻ってきたのかな。

この間、作家の友人に「書きたい」と言ったら、
やや間があって「書きたいことがあるん?」と聞かれた。
素敵な質問だなと思って、うれしくなった。

この間、宮本輝さんの
『命の器』というエッセイの中で、

“私は、私を信じなければ、
ただの一行も書けないことを知ったのである”

という言葉に触れた。
また、同書で、礒永秀雄さんの言葉も紹介されていた。

“「ただいま臨終!」”
“この厳しい覚悟に耐えられずして”
“どこににんげんの勝負があるか”

これらの言葉を受けて、
体の中で何かが動くのを感じてしまう。

やれやれ、また、ふらふらになってしまうのだろうなと
重いを抱きながら、ペンをにぎる。
俺、書きたいことがあるんです。

“「ただいま臨終!」”の言葉にも耐えてやる。

“ブルーズも 酒も”
“お前がいなけりゃ 意味もない”
と言える相手、言ってくれる相手を見つけたからには。