明日元気になれ。―part2

毎日いろいろあるけれど、とりあえずご飯と酒がおいしけりゃ、
明日もなんとかなるんじゃないか?

私の売りは・・・

2007-11-30 23:08:57 | 仕事
仕事がたくさんあると張り切ってしまう私。
今日は原稿を1本修正して、次号のメルマガの案を提出して、
それから昨日の取材原稿を書いた。
9人取材して、今日書いたのは7人分。
全部書いてしまうつもりだったが、さすがに集中が切れた。

書きながら、昨日のことを思い出して、ちょっとほっこりする。
取材先の学院の事務員の人たちがとてもいい人達だったなぁと。
おじさん2人がいろいろと世話をしてくれたのだけど、
2人とも顔から「いい人」が滲み出ているような人たちで。
私は待ち時間が長かったが、その間も話していて楽しかった。

最初に、学院長の取材を終え、控え室に戻ると、2人が待ち構えたように私に聞く。
「速記ですか?」
「すごいですね」
それが、なんとも無邪気で。

私はものすごい速さでメモをとるので、「速記ですか」と聞かれることが多い。
いえいえ。ただのひらがなです(笑)。

他のライターの人たちがどんなふうに取材をしているのか、全くわからないが、私はほとんど録音をしない。
メモをとるのだが、顔はまっすぐ相手を見たままで、手だけを機械的に動かす。
これがみんな不思議なようで、「何を書いてるんですか?」「速記ですか?」となる。
メモは後で記憶を辿る「きっかけ」となるものであって、一字一句を書いているというわけでもない。
取材中は五官をフル活動させ、相手の言葉や感情をすべて記憶しようと集中する。
ただ、天才じゃないので全部覚えることはできないので、手だけを機械的に動かして、キーワードを綴っておく。
後でそのメモを見ると、取材中の記憶がよみがえるように。

それを話すと、おじさんたちは「すごいなぁ」と感心してくれた。
なんか、素直でいい人たちだなぁと思う。

今日、原稿を書いていて思った。
生徒さんの取材は1人5分~10分程度しかとってもらえなかったが、楽しい取材だったなぁ、と。
とにかく時間がないから、取材中に並行して撮影も行った。
カメラマンが人物写真を専門にしている人だったということもあるけれど、「いい表情でしたよ」と見せてくれた画像は、本当にいい表情ばかりだった。
それは、私との取材がそれなりに楽しい時間だった、ということを表してくれているようで、嬉しかった。
みんな、いい笑顔だ。

この学校案内は今回リニューアル。
前回のものを見たら「先輩からのメッセージ」として在校生の言葉が掲載されているのだが、私から見ると少し言葉が固くて、載っているのは「特別な人たち」という感じがした。
実際、授業も見せてもらったが、そんなにすごい人たちばかりじゃなくて、居眠りしている子もいるし、みんな普通の子たちだ。
だけど、「夢」があるから、それを語るときはキラキラと目を輝かせる。

それで、「夢」というのをテーマにしたいなぁと勝手に思い、そうしてみた。
夢をもっている人は、輝いている。
それをあの写真と共に言葉で伝えられたらいいなと思いながら書いた。

この仕事は、とにかく納期が短い。
デザイン会社の人も「少しでも早く原稿をいただけたら」と言っていた。
今日頑張って書いて、できた分だけ送ったら、
「こんなに早くいただけて、本当に助かりました。ありがとうございました」
と喜んでもらえた。
こういうときは、やっぱり自分の売りはこれなんだろうな、と思う。
100点の仕上がりではないかもしれないが、80点くらいの合格点は出せるものを、最速で仕上げる。
私は「スピード」を売りにしかできないライター。
だから、ずっと三流のままだ。
100点を追求する一流ライターには、どうしたってなれない。

だけど、不思議なことにそれすら気にならなくなった。
自分には才能などないこともよくわかっているし、大きな仕事もできない。
ただ、言葉に触れることが好きだし、取材が好きだし、あんな「いい表情」で話してくれるのならいいかと、そう思うのだ。
自分が楽しくて、取材相手も楽しいと思ってくれたら、それが一番。
自己満足かもしれないけれど、取材相手に「自分の想いをちゃんと書いてくれた。ありがとう」と言われるだけで、私は幸せなのだ。

この間、変わった人(Kさん)の取材で、書いたものも「ナメた口調」だとか言われてへこんだこともあったが、後で担当者Mさんがメールをくれた。
『この間あったイベントで、Kさんはあの文章を何度も引用していましたよ。たぶん本当は気に入ってくれていたんだと思います』

それを読んだ時、Kさんがそうしてくれたということよりも、それをわざわざ伝えてくれたMさんの心遣いに感動した。
MさんもKさんとのやりとりには手こずっていたし、こんな人の取材をさせてしまって申し訳ないと、何度も謝ってくれていた。
それだけでも恐縮していたのに、わざわざこんなことを伝えてくれるとは・・・。

まだMさんのところで仕事をさせてもらえるようになって2ヶ月。
取材もまだ3本だけど、確かな信頼関係が築けていることが嬉しい。
今の取引先はみんな信頼できる人たちばかりだ。
昨日の仕事のように、ライター仲間のMさんにもお世話になり、私は本当に周りの人たちに恵まれているなぁと思う。感謝しきれない。
大切にしたいし、ちゃんと信頼に応えられるような仕事をしていきたいと思う。

一歩ずつ。
いつもそれしかない。
自分がどこか足りない、欠落した人間だということもよくわかっているけれど、
とにかく一歩ずつ。
こんな自分すら受け入れて、ひたむきに歩いていこう。

楽しいお酒は、いいお酒

2007-11-29 23:49:40 | 仕事
「酔っ払い検定」なるものを作った後で、こんなことを書くのも矛盾しているかとは思うのだが、自分が一体何日アルコールなしで暮らせるのかという、過酷極まりない実体実験をやってみた。

結果。2日である。

酒飲みがたたって、いろんな酒蔵とつながりができるものだから、「今、こちらで試飲やってます。よかったらどうぞ」みたいなDMがちょこちょこ届く。
今週末くらいに行ってみようかなぁなんて思っていた。
まあ、それ以前に、結局飲む機会に恵まれてしまったわけだけども。

実は、最近、あまりに仕事もなくて暇なものだから、
それならばと真剣に身を入れて、お菓子作りと編み物をやろうと思っていたら、
突然、仕事。

昨日の今日で取材に行って(ヒマなので断る理由もありません)、
帰りにライター仲間のMさんと飲む。
なかなか立ち寄る機会もない、ハービス・エントのワインのお店で。

私は自分でワインを飲まないので、逆に「いいワイン」しか飲んだことがないという、なんとも贅沢な人間だ。
だいたいワイン好きな人と一緒に飲むので、美味しいワインをいただく。
今日もそうで、ボトルで5000円~10000円ほどのものをグラスで安く飲めるお店で、それをいただいた。
チーズは、カマンベールと、ミモレット(たぶん6ヶ月)と、ロックフォール。
あまりに「ちょびっと」なのでびっくりしたが、お上品に文句も言わずにいただく。
ロックフォールは羊乳なのでブルーチーズといっても、まろやかな感じでおいしい。
ミモレットは最近美味しいのを食べて好きになった。
18ヶ月を食べてしまうと、今まで美味しいと思っていた6ヶ月もかすんでしまうのが残念だ。
あまりに美味しいものを知るというのは、いいのか、悪いのか。

カマンベールは大好きでついつい食べ過ぎてしまうので、最近控えていたのだが、今日久しぶりに食べて、やっぱり美味しいなぁと思い、帰りに成城石井で買ってしまった。
ついでに大葉も。
大葉でカマンベールをくるりと巻いて、さっと油で揚げる。
チーズがとろけて、大葉の香りとまた合って、絶妙。
彼もこれが大好きなのだけど、私も久しぶりに食べたくなった。

さて、今日の取材はあまりに楽しくて、まだ興奮状態。
まあ、急な話だっただけに、多少もめたりもしたのだけど、それでも、うーん、なんというか、取材相手のキラキラした瞳を見て、私も胸の奥が揺り動かされる気がした。
某専門学校の案内パンフレットのライティングで、先生や生徒さんたちを取材したのだが、「あれ、今の若者ってダメなんじゃなかったっけ?」と、そんなふうに疑問に思ってしまう自分を恥ずかしく思ってしまうほど、輝いた瞳を見せられて、ああ、なんというか、ちょっとドキドキした。

ついつい、自分が教えていたときの調子になって、自分の生徒みたいにタメ口になってしまいそうになるのが大変。
生きること、人の役に立つこと、頑張ること、夢を叶えること、信念をもつこと。
そんなことを一つもこれらの言葉では表現せずに、びんびんと伝えてくる。
これが「若さ」なんだ、と思う。
ありがとうと頭を下げたい気持ちで、ほっこりしながら、その学院を後にした。

1日がかりでそれなりの仕事ではあったけれど、自分が得たもののほうが大きくて、この仕事を紹介してくれたライター仲間にはただただ感謝。
それなのに、彼女にワインをごちそうになった(笑)

仕事の後の1杯ほど、世の中でうまいものはない。
この1杯のためになら、まだまだ頑張れると思う。
そして、そういうときの自分は愛せる。
これが大事。
だから、仕事が好きなんだろうなぁ。
仕事が好きなんじゃなく、単に「仕事の後の1杯」が好きなのかもしれないけれど。

チーズを買って、それからDMを思い出して、阪急の地下へ。
百貨店なのに「いつもありがとうございます」と顔なじみになっているのが、我ながらすごい(笑)。
お目当ては三重の半蔵だったのだけど、ふと見ると、秋田の天の戸も来ていた。
大好きな「五風十雨」がある。
それも今まで飲んだことのない、1年間熟成させた「生」。
酒好きじゃないと美味しくないかもしれないが、自分としてはかなり気に入り、一升瓶で買おうと思ったのだが、こういう酒に限って4合瓶しかない。
仕方なく、いろいろと3種類4合瓶で買って帰った。重い。

帰って、昨日の残りの、ひじきの煮物と、豚肉のレタス包みとで早速1杯。
1合ほどだったのだけど、既にビールとワインが入ってるから、ちょっといい気分になった。

「楽しいごはんが、いいごはん」

これは、リラックマが言ってた名言だけど、

「楽しいお酒が、いいお酒」

これは、私の名言。(って、まねしただけ)

楽しいお酒は、いいよね。ほんと。
労働の後の1杯は、本当に楽しい。

今日も仕事があることと、美味しいお酒が飲めることに、ただ感謝。
ありがとう。

黒砂糖の使い道

2007-11-27 22:29:52 | 美味しいもの
最近また、お菓子やパンを焼きたくなってきた。
昼間にやろうかなぁと思っていたら時間がなくなったので、
夜、ちゃっちゃと30分くらいでクッキーを焼いた。

きっかけは、乾物類や素麺、パスタ、粉物などを入れている容器の中を整理していて、大量の黒砂糖を見つけたからだ。
ちょうどお菓子も作りたかったので、簡単に生地を作って、
手で丸めてつぶして、オーブントースターで焼いた。
手抜き、手抜き
黒砂糖のクッキー完成!

形も不恰好だし、素朴な味だけど、なんだかほっこり。
ベノアのウバ(紅茶)と一緒にね。
明日の私のおやつ。

そうそう。
今日、前からやってみたかった「けんてーごっこ」で
「酔っ払い検定」なるものを作成してみた。
よかったらやってみてね。(携帯からは無理?)

「酔っ払い検定」はこちら!

「解説」も詳しく書いたので、よかったら見てください。
合格したら教えてね!

おせち料理って、美味しいのかなぁ?

2007-11-26 22:17:58 | 生活
おせち料理って、好き?

私はいつもお正月に実家へ帰ったときに少し食べるのだが、
いつも「たいして美味しくないなぁ」と思う。
まだ酒でもあればいいのだが、実家はノンアルコールなので酒も出ない。

「縁起ものなんだから、食べなさいっ!」とか言われ、
しぶしぶ、少しずつ食べておしまい。
そんな感じだ。

でも、2008年は結婚して初めて迎えるお正月だ。
とりあえず初年度くらいは張り切っておせちを作ってみようかと思う。
そういえば、実家でも手伝いをするくらいで、自分でちゃんと作ったことがない。
もしかしたら、なんか「美味しいおせち」が作れるかも!!
・・・と思い、今から計画中。

とりあえず、「かずのこ」と「黒豆」は実家からもらえるように取り付けた。
「かまぼこ」も田舎から送ってくるらしい。
それと、母から上等の塗りのお重箱もレンタルさせてもらえることになった。
よかった!
さらに、ローストビーフはびりけんで注文するつもりだし、
面倒なのや高いのはこれで揃うから、あとは何か美味しいのを数品作ろう。

お雑煮が楽しみだ。
ふふふ・・・
もちろん、香川県の「あん餅入り雑煮」にするつもり。
これを食べないと1年が始まらない。
彼に何が何でも食べさせてやる!
実家から、あん餅ももらえることになったので、準備はOK!

結婚したら、家族行事のある家を作りたいと、ずっと思っていた。
だから、大晦日やお正月もちゃんと過ごしたい。
その前のクリスマスも、久しぶりにケーキを焼こう。
ブッシュ・ド・ノエルか、ホワイトチョコをあしらったケーキか・・・。

そんなことを計画中の今日この頃。
今年も、もうすぐ終わる。

悟り。

2007-11-26 01:08:03 | 生活
今日は彼がいないので、一人でゆっくりとお酒をたしなみながら、いろんなことを考えた。
今は、紅茶を飲みながら、まったりとしている。
紅茶はベノアのダージリン・アールグレイ。
私がこの世で一番好きで、最も美味しいと思っている紅茶だ。
普通、アールグレイといえば、中国茶にベルガモットの香りをつけたフレーバーティーなのだけど、これは上質のダージリンで作っている。
常識で考えれば、ダージリンのマスカットフレーバーと、ベルガモットの香りがケンカしてしまいそうなのだが、これが見事な調和をみせている。
決して安い紅茶ではないけれど、自分の人生には欠かせない紅茶だ。

この3連休は、私も一度も仕事をせず、ゆったりと過ごした。
3日間とは思えないほど、充実した3日間だった。

23日は、ふみこの家へ。
私と彼と、あやととしくん夫妻と、ふみこファミリーとで楽しんだ。
いつも私の家やあやの家で集まることが多かったので、ふみこが「たまにはうちの家にも呼ぶわ」と素敵なホームパーティを開いてくれたのだ。

「かおりちゃんやあやみたいに料理に自信がない」と言っていたから、どんなものかと思っていたら、とにかく全てが美味しい!
ブロッコリーと海老の炒めものも、私とあやがレシピを尋ねたくらい美味しかったし、鯛の昆布締めのような豪勢なお料理も出たし、キッシュやお豆腐を使った揚げ物なども、本当に美味しかった。
昆布締めに使った昆布を揚げてくれたりしたのも、ニクイ演出だ。
ささみを使ってスナック春巻き風にしたのも、お酒のアテにちょうどよかったし、鮭と梅肉を使って巻き寿司風のおにぎりにしてくれたのも、美味しいだけじゃなく、見た目にも素敵だった。

彼も感激していて、「ふみこさん、お料理上手やなぁ。全部美味しかった」と絶賛。
お昼の12時に集まったのに、帰ったのは夜中の11時。
11時間も楽しんだ。

ふみこの家にはWiiがあるので、彼ととしくんはそれに夢中。
ボクシングに二人ではまり、ひたすらやっていた。
私も少しやらせてもらったが、運動不足がたたって、今も腕が筋肉痛。
ゲームで筋肉痛になるなんて、かなり体がなまっている証拠だ。

それに、ふみこの家に行けば、かわいい子供たちがいる。
私は決して子供好きではないし、子供なら何でもかわいいと言う女ほど胡散臭いものはないと思っている。
子供だって人間だもの。
かわいくないものは、かわいくない。
だけど、ふみこの子供はかわいい。
特に、小学生くらいになって、ちゃんと人として話ができるようになってからのほうがかわいくなった。
普通、子供好きな人は、2、3歳が一番かわいい時なんていうのだが。

赤ちゃんは本当にかわいい。無条件でかわいい。
小学生くらいになれば、人としてかわいい。
何度も言うが、私は決して子供好きではないが、塾の先生をしていたとき、自分はもしかしたら子供好きなんじゃないかと思ってしまうほど、子供たちが愛しかった。何よりも、誰よりも。

私はちゃんと「人」を見ていると思っている。
だから、ふみこの子供はかわいい。
極端に言えば、ふみこの家族や親戚が全部いなくなったら、自分が死ぬまで面倒を見てもいいと思うほど大事に思っている。
子供と遊ぶのなんて苦手だと思っていたのに、ふみこの子供とは普通に遊ぶ。
こういう感情をなんと表したらいいのだろう。
私たちの共同体の中で、ふみこの子供というのは特別なのだ。
もはや他人の子供ではない。
たぶん、あやもそうだと思う。

久しぶりに子供たちと一緒に「あやとり」をした。
日本人っていうのは、なんと素敵な遊びを考えついたのだろう。
あやとりというのは、もはや芸術。
折り紙もそうだと思う。
お金がかからず、想像力と創造力を養える、芸術的な遊びだと、つくづく思った。

あっと言う間に時間は過ぎ、みんな酔っ払って楽しくて、幸せだったと思う。
私の大事な共同体。
酒飲み友達、バンザイ!

そして、昨日は私が前から紅葉を見に行こうと言っていて、たぶん仕事もあったんだろうけど、彼はそれに付き合ってくれた。
今年行ったのは、光悦寺と源光庵。
京都の寺は行き尽くした私だけど、ここは好きな寺ベスト3に入る。

1位 蓮華寺
2位 祗王寺
3位 源光庵



写真の通り、源光庵には、二つの窓がある。
四角いほうが「迷いの窓」。
丸いほうが「悟りの窓」。大宇宙を表している。

この窓から見る庭は本当に素晴らしい。
こんなふうに、形の違う窓から庭を眺めさせ、何かを感じさせようとした文化というのは、一体何なんだろう。
とても現代人には思いもよらないことだ。

でも、この日も多くの日本人がこの寺に集まり、みんなこの窓から庭を見ていた。
私は寺が好きで、日本の古い文化が好きだけど、いつも寺に行くと思う。
「なんだ、みんな好きなんじゃない」と。

年配の方はもちろん、若いカップルでも大勢が紅葉を見に来ていて。
縁側でじっと正座して庭を眺めている。
美しい紅葉を心におさめている。

なんだ、みんな好きなんじゃない。
やっぱり日本人なんじゃない。
いつもそう思う。

美しいものは美しいし、それを愛でる心というのは、この100年でできたものではなくて、それこそ1000年以上前からのもので、そういうDNAが日本人にはあるのだ。
例えば、月でもそうだけど、一体どこの国の人が「月を愛でる」という習慣をもっているだろうか。
満月、三日月だけじゃない。
もう今の人はあまり知らないかもしれないが、月には1つ1つの名前がある。
立ち待ち月、居待ち月、寝待ち月など。
こんなにも月に名前をつける国民があるか?

樋口一葉の「十三夜」は、絶対に他の国の文化をもった人にはわからない。
でも、日本人なら、これを読んだとき、大半の人が何かを理解できるのではないだろうか。
(文語なので、非常に読みにくいとは思う。読むことが平気ならの話だ)

昔、小林秀雄の評論を読んでいたら、欧米人には月を愛でるということはどうしたってわからないだろう、という内容のものがあった。
「月」というのは、日本人にとって、特別なものなのだ。
人類がそこに到達してしまった現代ですら。

そういうことを、毎年秋に京都のお寺へ行き、紅葉を見るたびに思い出す。
なんだ、みんな好きなんじゃない、というこの感覚だ。
彼も悟りの窓の前でずっと座っていて、「いつまでもこうしていたい」と言った。
何か心を揺さぶられたらしい。

この寺にはもう1つ興味深いものがあって、血天井がある。
伏見桃山城で自決した武士たちの血がにじんだ床の板を天井にしてある。
リアルに血の足跡まで見ることができる。
こういうものを捨ててしまわず、寺に奉納する。
その心こそが、日本人だ。

血天井を見つめていると、壮絶な死が目に見える。
だけど、少しも目をそむけたいものではない。
尊い死というのは、あるのだ。
今の人から言えば、それは道徳的におかしな部分もあるだろうし、左翼的な人間から言えば、おかしな文化だと思うかもしれない。
だけど、その時代の人の心は、その時代の人にしかわからないことで。
何か信念をもって、人間にとって一番大事な「死」というものを、その信念の故に潔く渡すことができたのなら、それはやっぱり意味のあることだったのだと思う。
誰も、昔の時代の人間を悪く言うことなんてできないはずだ。

そんなことを感じさせてくれる源光庵。
だけど、数年ぶりに行ったこのお寺で、私が一番美しいと感じたのは、入口の薄だった。



薄を見ると、いつも何かを思い出しそうになる。
そういう郷愁が私にはある。

そして、今日は大きくて丸い月が出ていた。
私の好きなカキ色の月。

最近、自分の心を苦しめていたものが、ふいと溶けた気がした。
私は、もっともっと、昔のように朝から晩まで働きたいと思っている。
今は、まだまだ余裕がある生活で、それが物足りない。
だけど、生活に困っているわけでもない。
幸い、普通の若いOLさんくらいの収入はあって、「足りない」のは「もっともっと」という、私の欲望のせいだった。
人は「足ること」を知れば、いつでも幸せなはずなのに。

なんだかわからないけれど、今日はそういう思いがすべて溶けた。
私はどこかでいつも自分は人一倍健康なのだから、人の2倍働かなければならないという強迫観念に駆られていた。
収入に関わらず、人より働かなければ、罪のような気がしていた。
堕落すると思い込んで不安だった。
だけど、今日思った。
私はいつでも働きたいと思っている。だったら、少し休憩したって、また働くべきときがくれば、いつでも働けるはずだ、と。これは堕落ではないのだと。

今は、自分が子供の頃からずっと好きなだけやりたいと思っていた「物作り」をしよう。
それから、1円にもならない自分の文章を書こう。
そして、大好きな彼が毎日頑張れるように、やさしいご飯を作ろう。

やっとそう思えるようになった。
自分でもなんでこんな人間なんだろうかと思うときがある。
食べるものに困っているわけでもない。
仕事が全くないわけでもない。
むしろ、自分の好きな仕事があって、それなりに収入もあって、それで自由な時間があって、本当に最高の環境じゃないか。なのに、いつも「罪深い」気がしていて。
人より健康なんだから、人より働かなければという想いがあって、少しでも自由な時間があると、罰当たりな気がして仕方がない。
彼が夜中に帰って来るのに、自分がそれ以上に働かないなんて、おかしいと、いつも罪の意識に駆られていた。
ちょっと変な人だ。
どこかおかしいか、前世があったとしたら「奴隷」だったんだろうといつも思う。

だけど、この殻を破るのも、今の自分に必要なこと。
死ぬほど働かなくてもいいのだ。
人並みに人生を楽しんでも罪ではないのだ。
こんな普通の人にとって当たり前のことが、自分には何ヶ月も考え抜かなければ理解できないことだった。

だけど、今日、それを心から理解した。
明日から、また違った心で生活できると思う。
なんだか楽しみだ。
とても意味のある3連休だった。

やさしいごはん。

2007-11-23 02:12:21 | 美味しいもの
白菜のシーズン。
今年も何か新レシピを、と思い、今日は「白菜のクリーム煮」を作ってみた。
詳しいレシピはまた今度、HPのほうに更新しておこう。


野菜がたっぷり食べられる、やさしい味のスープだ。
白菜、いんげん、玉ねぎ、海老、ベーコンが入っていて、
固形スープと牛乳で煮込み、片栗粉でとろみをつけただけ。
癒し系の1品になった。

彼がまた終電で帰ってきて、これを食べて言う。
「あー、なんか元気になるわ。ありがとうな」

食べ物で人を癒せるって、嬉しい。
なんだかこちらまで、ほっこり。

でも、実は私はいつも彼がご飯を食べ始めるとイライラしてくる。
それは、お腹が減っているからだ。
私は外食のときは別として、基本的には「お腹がすいてちょっとしんどい」という状態でないと、寝ない。
たぶん、普通の人並みの晩ご飯は食べているのだが、大食漢の私がお腹いっぱいになろうとすると、かなりのカロリーを摂取しなければならない。
(1食で1500~2000kcalは必要)
イコール、太る。
なので、私は夜はお米を食べないし、お腹が減っている状態で寝る。
それも、かなり早めの7時くらいまでには食べ終えているので、
彼がご飯を食べる12時過ぎにはもうお腹ペコペコなのだ。

美味しそうに彼がご飯を食べるのを見ている時間は地獄だ。
本当に胃の小さな人が羨ましくて仕方がない。
こんなふうにいつもお腹がすいている状態で寝るなんてこと、ないんだろうなぁ。
それでも、中肉中背以下の体型にはならない。
とても損をしている気がする・・・

では、最近のご飯を紹介。


シマアジをいただいたので、彼と半分分けにして塩焼きに。
身がつまっていて、ほっこりして、美味しい。
右下は、水菜と豚肉の煮物。
今、水菜がおいしい時期。
この煮物は彼も大好きで、いつも喜んで食べてくれる。

この日の新作は、蓋物の器に入っている、ジャガイモと鶏つくねの煮物。
生姜をきかせて、あっさりと仕上げた。


↑この日は、完全に酒のアテ(つまみ)。
焼鳥とネギ。
里芋のサラダ。
人参とブロッコリーのグラッセ。
さつまいもチップス。
これは、さつまいもを薄くスライスして、油で揚げて、塩を振った。


↑この日はもっと酒のアテ。
水菜のサラダは、油揚げをカリカリにして乗せている。
小松菜と油揚げを炊いたの。
それと、ブリ大根。
ブリは、あえてアラで。これは2日目が美味しかったなぁ。


昨日は、こうちゃんがうちに遊びに来たので、鍋(うどんすき)をした。
こうちゃんは好き嫌いが多いので、いつも何を出すか悩む。
でも、冬はいい。
鍋は好きらしいので、とりあえず鍋にすれば大丈夫。

こうちゃんはビールを6缶あけて、梅酒と日本酒ちょっと。
私はビール2缶と、日本酒2合とウイスキー。
5、6時間飲んでしゃべった。楽しかったなー。

私の自慢の土鍋が写っているが、この土鍋はホントいい。
この鍋を持っていることだけで、いつも幸せな気持ちになれる。
厚みが全然違うので、すき焼きでもできる。
煮るだけじゃなく、「焼く」ということができる土鍋なのだ。
今年もまた大活躍!


↑最後に、ある日の彼のお弁当。
私の作る卵焼きが彼は大好きで、毎日入れても全く飽きないらしい。
この日はハンバーグ弁当。
彩りも考えないといけないので、お弁当は結構大変。

なんか、お弁当のおかずって難しい。
どうしてもおかずのローテーションが早くなる。

ふと思う。
そういえば、私が中学・高校、姉が中学・高校の、合計9年間、母は毎日お弁当作ってくれてたんだよなぁって。
あのときは何とも思っていなかったけど、大変だったろうな・・・
母は勤めていたから、朝8時過ぎには家を出るし、お弁当作って洗濯して、自分の身支度もして・・・って考えると、すごい労力だ。
だけど、できあいのものや冷凍食品などほとんど入っていなかった。
たまに、コロッケとシュウマイが冷凍だったかな。

私の母だけじゃなく、他の家庭でもそうだと思うが、私たちの親世代っていうのは、本当に働き者だ。偉い。尊敬する。
たぶん、もっと不便な時代を生きてきたから、労働を厭わないんだろう。
ほんの50年ほど前の話なのに、母は小学校に上がったら、弟をおんぶしながら、朝からかまどでご飯炊いてたっていうしなぁ。
この50年で、日本は本当に変わってしまった。
こんなに短い期間にこれだけの変化を遂げてしまった国というのも珍しいだろう。

母のことを考えると、頑張ってお弁当作ろう!という気になる。
できあいものや冷凍食品は、私もやっぱり使わない。
「あー、食べたら元気になった」って、彼が言ってくれるような、
そんな「やさしいごはん」を作り続けたいのだ。

だけど、おかずが決まらない。
なんかいいおかず、ないかなぁ。

労働と1杯の関係

2007-11-20 20:44:31 | 生活
不意打ちのように寒くなるのはやめてほしい。
・・・寒い。
朝、洗濯物を干すのがつらくなってきた。
それでも、前の厳寒の家よりはマシなのだが。

やっぱり私は人と接する仕事がしたいんだなぁと、最近つくづく思う。
今日も取材だったのだが、取材に出た日は気分が晴れる。
とても幸せで(それがどんな取材であれ)、生命力が漲る。
自然に元気になれるのだ。

それが、取材がない日が続いて3日、4日と家に閉じこもっていると、完全に鬱になる。
「仕事が少ない」のがイヤなのかと思っていたが、そうではなかった。
仕事が増えても、人と接する仕事でなければあまり意味がないようだ。

帰りに、春鹿の純米吟醸を買ってきた。
ちょっとしたおつまみと、お酒で簡単な夕食。
それだけで、今日もいい1日だったと思う。

そんなもんだよな。

食道楽生活に終止符

2007-11-19 12:07:37 | 美味しいもの
最近、食道楽に勢いがついて、夫婦で毎週末のように贅沢をしている。
先々週は、「びりけん」と「四万十川」に行って、
先週は、新規開拓で「日本酒がおいしいお店」と「尊尊我無」に行った。

私は「食道楽帳」を持っていて、そこに雑誌などで目をつけている店の情報をこと細かく書いている。
先週末は、その中の日本酒がおいしいと言われているお店に行ってみたのだけど、それがまあ・・・とても残念な結果になった。

私の「おいしいものアンテナ」は非常に高性能なので、理屈ではなく本能でおいしい店を見分ける。
その店は、入った瞬間に「あれ?」と思った。
こだわりの地ビールを注文し、料理を何品か。
美味しい。とても。
特に鰆の焼霜は絶品。鰆って本当においしい魚だなぁと思う。

そこまではよかったのだが、日本酒がまずかった。
確かにこだわった品揃えだし、数も多い。
燗にするなら、ちゃんと錫のちろりを使ってくれるし、常温、冷やと温度を分けて保存している。
1合だけでなく、5勺、8勺でも出してくれるので、いろいろ種類を試せるのも嬉しいところだ。

せっかくのなので飲んだことがない酒蔵のものをと選んで注文したら、これが常温保存のもので、舌にベタベタ残る。まさに「日本酒は苦手」という人は、最初にこういう酒を飲んでしまったんだろうなぁと思うような味。
当たり前だけど、置いている商品は全部純米だった。(本醸造など置いていたら、まず行かない)
なのに、これだ。
グラスも悪い。せっかくの酒を殺すような味気ないグラス。
他も試したが、チェイサーがないと飲みきれないほど美味しくなかった。

料理は美味しかったので、本当に残念。
あの日本酒のレベルで「日本酒のおいしい店」を謳ってはいけない。

結構早く店を出て、私がずっと文句を言っていたら、彼が「もう1軒行こうか?」と言う。
彼は私がなぜそんなに憤慨しているのか、どうもわからない様子。
彼は「まあ、こんなもんじゃないの?それなりに満足したで」という感じだ。

だけど、その後、まぐろ料理と日本酒のおいしい「尊尊我無」に行って日本酒を飲むと、彼はしきりに
「あー、こういうことね。かおりが言ってる意味がわかったわ。このレベルか!」とうなずいていた。
やっと美味しい日本酒にめぐり合え、私も落ち着いた。

あまり冷やしすぎないほうがおいしい酒があるのはわかるけど、常温も保存が悪いと味が確実に落ちる。
一升瓶だから、もしかすると何ヶ月も前のものかもしれない。
1ヶ月前だとしても、かなり暑い日もあった。味が落ちるのは当然だ。
また、どんな酒でも燗をするというのも納得がいかない。
燗が悪いわけではないが、燗を勧めるならば店主がすべて味を確かめて、「これは燗のほうがおいしい」という勧め方をしてほしいのだ。

ふと入ってみた店や、日本酒には期待していない居酒屋ならともかく、雑誌を見て美味しそうだなぁと狙いを定めていた店だっただけにショックだった。
それに、料理がおいしいだけになぁ・・・もったいない!
そのほかも、いくつか変えたいところがあるんだよなぁ。(トイレやBGMなど。店に入った瞬間、芳香剤の強い香りがしたのもアウト)

家に帰ってから、
「私に依頼してきたら、私があの店を繁盛店に変えてやる!
と意気込んでいたら、
「かおり、依頼はないから
と彼。
・・・うん、まあね。

しかし、最近本当に贅沢しすぎ!
私のことをよく知る人たちは「もう聞き飽きた」と思うだろうが、また言う。

「私、お金を貯めます!(今度こそ)

稼ぎも増やさないといけないけど、とりあえず節約する。
ゆうちゃんに「貯金いくらあるの?」と聞いて、金額を聞いてびっくりしたのだ。
「なんでっ!なんでそんなにあるの?!」と詰め寄ったら、
「うちらくらいの歳で働いてる人やったら、みんなこれくらいあるで。私なんて少ないくらいやもん。みんな何倍も持ってるで
と冷静に言われた。

貯金なぁ・・・・・・(遠い目)

私は自称「金の亡者」のくせに、「金」に興味がなくて。
お金を貯めるということがバカバカしくて仕方がないのだ。
明日死ぬかもしれないんだから、歌って踊って暮らそうよ!という、典型的なキリギリス体質。
こうしてキリギリスさんは、寒い冬が来たときに、食べるものもなく、死んでしまいましたとさ・・・。
なんて、結末になるんだろうけど。
お金っていうのは「稼ぐ」という行為が楽しいのであって、その後の使い道はあまり興味がない。持っていてもただの紙切れで楽しくないので、さっさと楽しいことや美味しいことに替えてしまう。それも自分がしたい贅沢なんて上限は知れてるから、極端な話、残ったお金は困っている人にあげてしまっても構わない。
それくらい、お金に興味がない。

だけど、1つ目標ができて、それには資金が必要なので、お金を貯める決意を固めた。とりあえず、これから1年間!
1年ならなんとか我慢もできるだろう。
この使い道は、もう少し具体的になったら、ここに書くこともあると思う。

目標が決まれば、貯金する意味も出てくる。
これからは贅沢も控えて、飲み代も抑えて、節約生活!
ゴールまで辿り着けばいいなぁ。


10 years ago

2007-11-19 00:20:08 | 友達
金曜日、ろこちゃんに会った。
高校時代に二人で何度も通った喫茶店で待ち合わせ。
私たちの通った高校のすぐそばにある。
久しぶりに会ったろこちゃんは、何も変わっていなくてほっとした。

仕事を始めてから会う機会が減り、ずっと「空を飛びたい」と言っていたろこちゃんが客室乗務員という仕事を選び、東京へ行ってしまってからさらに会えなくなり、年賀状で毎年のように「今年こそは会おうね」と言い合うだけになっていた、この数年間。

向かい合って、顔を見て、「何年ぶりだろう」と二人で考えてみたら、驚いたことに、ほぼ10年ぶりだった。
だけど、一瞬で10年という月日は溶けた。

「先月会ったくらいの感覚だね」と笑い合う。
懐かしい店で、懐かしい人たちの話題。
今の自分達の生活。
疑問に思っていた、客室乗務員という仕事についてのあれこれ。
話は尽きず、大笑いしたり、せつなくなったり。

店を出て、高校へと向かう。
門の外から校舎を眺める。
淋しいことに、あの美しい校舎はもうない。
面影すらなく、ただの新しい建物が並んでいるだけだった。

「あの辺りが、ピン館の場所やんね」
「あそこに、グラウンドがあったよね」
そう言って、面影を探そうとするのだけれど、悲しいことに正確になぞらえることは困難だった。

だけど、目を閉じればはっきり思い出す。
きしむ廊下、階段のてすり、踊り場の鏡、むき出しの蛍光灯、飾り窓、ボロボロの旧体育館、何度も走り抜けた「ささやきの小道」、「みんなで押したら動いた」という伝説のある五号館、丸い形をした水道、ほったて小屋みたいに並んだ部室、そこから見える北グラ、その脇の細い道を通ると出てくる、あの私の青春がつまった体育館。
今も、彼らがボールを打つ音が聞こえてくるようだ。
あの、体育館に響く、音。

ろこちゃんとは3年間、一度も同じクラスにはならなかった。
だけど、私が男子バレー部のマネージャー、ろこちゃんが野球部のマネージャーで、一緒の更衣室を使っていたことから、友達になった。
お互いの先輩マネージャーに紹介されて。

「なんて呼ばれてるの?」と聞くから、
「だいたいみんな『さんちゃん』って言うけど・・・」
と私が答えたら、ろこちゃんはこう言った。
「えー、なんか、さんちゃんなんてイヤだ。私は『かおりちゃん』って呼ぶね」
それから、私は「かおりちゃん」になった。
彼女はこういう天然マイペースなところがある(笑)

久しぶりに懐かしい場所で、ろこちゃんとしゃべっていたら、いろんなことを思い出した。
高校の空気が戻ってきたみたい。
また、話に出る同級生が、みんな公務員や先生、一流企業に勤め、海外などでも活躍しているのを聞き、高校時代の「異端児」だった感覚まで蘇ってきた。
なんだか別世界のようなのだけど、自分もそこに途中までは足を突っ込んでいたんだなぁと不思議な気分。
でも、負け惜しみではなく、そこに入らなかった自分の生き方が私は好きだし、誇りをもっている。
「自ら選んだ道」であれば、甲乙などつけられるはずもない。
ただ、自称「金の亡者」である私は思った。
「みんないい会社で働いて、金持ってるんやろなー。ええなー」と(笑)。

昔話にも花を咲かせながら、たっぷりしゃべった5時間。
だけど、10年間に蓄積した想いを語るには5時間では物足りなくて。
また会うこと、次はうちに来てもらうことを約束して、別れた。

帰りに思った。
なぜ10年も会わなかったのだろうかと。
遠く離れてしまったこともあるし、ろこちゃんが東京に行った頃の私の精神状態はあまり良くなかったこともあるだろう。
「求めること」「追いかけること」ができなかった。
1年空き、2年空くと、7年はあっと言う間で、気付けば10年。

もう私のことなど何とも思っていないんだろうなぁと思うから、ますます「会おう」と言いづらくなっていた。
だけど、結婚しましたの葉書を送った後、彼女から素敵なお花が届いた。
そこに添えられていたメッセージからは、私の結婚を本当に心から嬉しく思う気持ちが伝わってきて、・・・そして、最後にこうあった。
『腹心の友より』

私はそれを目にした瞬間、なんだかこみ上げてくるものがあって、ボロボロ泣いた。
『腹心の友』
それは、昔、私たちが使っていた言葉だ。
こんなに離れても、まだ私を「腹心の友」だと言ってくれるんだと思ったら、もっと素直になろうと思えた。
「今度大阪に帰って来たら、会いたい」と、ようやく言えた。

そして、それは実現した。

私の腹心の友は相変わらずの天然マイペースで、私は一緒にいると心安らいで、話しているだけであたたかい気持ちになれた。
私の仕事や生活に興味をもって、じっくり話を聞いてくれる。
あの頃に戻ったようだった。

10年は完全に溶けた。
これからまた、新たな友情が築かれるはず。
10年前の心が荒んでいた私とはもう違う。
自信をもってろこちゃんに会える。
それが、今は本当に嬉しい。

友達はみんな読書好き

2007-11-16 00:16:00 | 友達
私の友達は、なぜかみんな本を読む。
中には本好きが高じて(?)、図書館司書になってる人もいる。
別に大学とか行っていなくても、本は読む。
本と言っても、ビジネス本とかじゃない。主に小説。たまに随筆。

私はたぶん蔵書が多いほうなので(自分で所有しないと気がすまないから、借りるということをしない)、ほとんど「私設図書館」のようになっている。
会うときに「なんか本持ってきてー」という友達も少なくない。

前に、びりけんのマスターが「俺は本を読む友達は信用できるねん」というようなことを言っていたことがあった。
マスターも本好きだからだと思う。
これは別に、一般的に本を読まない人間が信用できないというわけではなくて、自分の感性に合った人間かどうかをはかっているということなんだと思う。

私も別に本が好きかどうかを確かめて友達になったわけではないのだが、なぜか100%みんな本を読む人たちだ。
本を読みたいだけでなく、所有したい欲望の強い私は、いろんな人に本を貸す。
自分の好きな本を読んでもらうのは、とても嬉しい。
精神的共有が好きな私ならではのことだ。
別に感想は同じでなくていいのだ。読んでくれること自体が嬉しくて。
私がどういうものに感動し、どういう言葉が好きで、どんなふうなものを書きたいか、それを知ってもらえるだけでもありがたい。

会うと、「最近、どんな本読んだ?」とか「あれ読んだ?」「あの本良かったわ」などといった話題になることも少なくない。
だけど、「最近どんな映画観た?」とか、「あれ観た?」「あの映画良かったわ」という話題になったことは一度もない。

みんなあまり映画を観ないのだろうか?
それすら確かめたこともないほど、「映画(ビデオ・DVD)」の話題ってない。
不思議なものだ。

だけど、本だけじゃなく、映画が好きな人でも友達になれると思う。
とりあえず、文化的じゃない人は無理だなぁ。
これは私の持論だけど、本や映画が好きな人っていうのは、ちゃんと人生というものを見つめている人だと思う。
他人の生き様を通していろんなことを考えるのだから。
それに興味がない人は本も映画も楽しくないだろうなぁと思うのだ。
人としての良さ悪さではなく、「深み」という点で物足りない気がする。

映画・・・
映画の話なんて、ここで書いたことがあったろうか?
何回かあるか。

実は長い長い間、映画を観ていない。
大学くらいまでは、ビッグタイトルくらいは映画館で観るタイプだったのだけど。
社会人になってから、一時期はビデオを週に1本観ていた時期もあった(半年くらいだったけど)
映画好きな人って、本当に毎日1本とか観るからなぁ。

なんでだろう。映像が苦手なのかなぁ。
ものすごく変な話をするけれど、えっちな映像を観ても「ふーん」って感じで何とも思わないけど、官能的な文章を読むと、やや興奮する(笑)。
つまりはこういうことだ。
私は視覚より文章から得る刺激のほうが強く感じられる、ということなんだろう。
(違う?例が悪い?)

私が好きな映画。
なんだろう?
一番を挙げるんだったら、チャップリンの「街の灯」。
チャップリンは大好きでほとんどの作品を観たと思う。
でも、これが最高。

今から15年くらい前、レンタルビデオ屋でこの作品に書いてあった店員のコピーがすごかった。
たぶん、自分が今までに見たコピーで一番すごいと思うものだ。

  「このラストをまだ観ていない人が羨ましい!」

実際に観て、このコピーを実感。
今も思う。
このラストをまだ観ていなくて、これから観る人がいるんだったら、羨ましい。
一度観てしまった者は、もう二度とあの感動を味わうことはできないから。

本でも同じ。
すごく感動した本は、貸すときに羨ましく思う。
ああ、これからあの感動を味わえるのか!と。

今年は近年まれに見る、読書をしない年だった。
月に1冊・・・・?
今月は、中野に勧められた「日本で一番小さな出版社」を読んで、その後、東野圭吾の本を1冊読んで、今は、なかにし礼の「戦場のニーナ」を読んでいる。

友達の本の趣味っていうのもなかなか面白い。
小川洋子の「ミーナの行進」が良かったという、あやといわさきっち。
二人とも乙女座?(そんなの関係ねぇ?←使ってみた)

私は、今年はあんまりいい本を読まなかったなぁ。
数もほとんど読んでないし・・・

今年のベストワンは、佐藤多佳子の「一瞬の風になれ」。
あとは、BBキングの自叙伝「だから、わたしはブルースを歌う」。

それから、5年くらい前の本だけど、エッセイを読まないから読んでいなかった、村上春樹の「もし僕らのことばがウィスキーであったなら」。
村上春樹の文章は、やっぱりすごい。
この一言に尽きる。

本はやっぱりいいなぁ。
言葉は、神様が人間だけに与えてくれた宝物!

信念喪失。

2007-11-14 23:23:59 | 仕事
そんなに悪い人だと思わなかったのだが、
この間、取材した相手がなかなかのクセモノで。
私に依頼してくれた担当者Mさんも手を焼いている様子。
電話しても出ない。(居留守?)
メールしても返事なし。(無視?)

私からも数回、原稿チェックなどで連絡をとったのだが、同じだった。
でも、Mさんはすごくいい人で、
「これ以上ご迷惑おかけできないので、あとはこちらで対処いたします」
と言ってくださる。
こんなふうに、私には優しい口調だけれど、かなり取材相手には怒っているみたいだった。
アポをとる段階からもめていたらしいし・・・

「もうこちらも待てないので、このままで入稿します」
とキレたMさん。
ああ、チェックは返ってこないのか・・・と諦めていたら、やっと来た。
来たはいいけど、びっくりした。
細かい、細かい訂正がいっぱい。
まあ、それはいい。

メールにこう書いてあった。
「ナメた口調を直しました」

あはは・・・
私の文章は、ナメた口調ですか。
それは、取材相手がしゃべってるような文章だったので、なるべく読んだ人が親しみやすいように、固くなりすぎないように書いたのだが。
おそらく、自分の思っていた雰囲気とは違う仕上がりだったんだろう。もちろん、それはその人それぞれの感性だから、別に構わない。
直せと言われれば、なんぼでも直しますがな。

私が言いたいのは、それをわざわざなんで「ナメた口調」なんて表現で送ってくるかねぇ・・・ってことだ。
取材したときは、「気難しい人」と聞いていたわりに、いい人だったなぁと思っていたのだが、これを読んで、なるほどね・・・と思った。
Mさんが怒っているのもわかる。

ふぅ・・・

11月に入ってから、仕事の量が少し減ってしまった。
こんなのフリーでやってる人にとったらいつものことで。
仕事は常にまとまってやってきて、「ああ、もう忙しい!休みたい!」と思っていたら、急にブランクがあって不安になる。
この繰り返し。

わかってはいるけれど、このブランクの時期が1週間でもあると、普通の精神状態を保っていられなくなる。
そんなときに限って、今まで週1でやっていた仕事が隔週になる(先方の都合で)と連絡が来たり、一度依頼を受けていた仕事がいよいよという時になって「会社の方針で社内の者が打ち合わせながらやることになったので、やっぱりいいです」と断りのメールが来たりする。
私の不安をどんどん煽る。
そこに、あの「ナメた口調」のメールだ。
私は弱ってるんだからさ・・・あんまりいたぶらないでよね、と言いたい。

反対に嬉しいこともあった。
見知らぬ人からの1通のメール。
自分もライターで、私の初期のホームページに載せていた「どうしても書きたい」という文章を読んで、何か感じることがあった・・・、自分の気持ちを思い出した・・・それを伝えたくて・・・というような内容。
それは、前の壊れたパソコンにファイルがあって、今のホームページからは見られないし、削除することもできないまま、サーバー上に今もある文章だった。

弱っているときに、こういうあったかいメールは心にしみる。
そして、私も思い出した。

「どうしても書きたい」
昔はその想いがあった。
それだけで前に進んできた。

大学時代、たぶん、いろんな選択肢があった。
だけど、「書く」ということ以外は考えられなかった。

塾の先生やりながらでも、パン屋でバイトしながらでも、
私は自分の書きたいものを書いていく。
喰うために書くんじゃなく、書くために喰うんだ。

・・・心にそう誓っていたあの頃。
「信念」があったから、何も怖くなかった。
自分に「すべり止め」のような保険も一切かけなかったのは、「信念」があったからだ。
皆が就職活動をして一流企業に内定をもらい、公務員試験に受かり、大学院を受験し・・・そうやって着々と人生を固めているときも、ただバイトして、旅をして、ブルースを聴いて、書き続けた。
「どうしても書きたい」という信念に突き動かされていた。

今、彼と結婚して、人生に頼る者ができて、少なくとも前よりは生活も精神も安定したはずなのに、毎日が不安で怖くてたまらないのは、この「信念」がなくなったからじゃないのか?
ふと、そんなことを思う。

朝、彼を見送ってから、夜中までずっと1人で家にいる。
パソコンに向かう。
でも、何も出てこない。
仕事が忙しい日はまだいい。そんなに忙しくもないと、すぐに不安になる。
落ち着かない。
またパソコンに向かう。
やっぱり何も出てこない。

こんな繰り返しの日々を送る中、心のこもったメールをいただいて、それで、やっと自分に問いかけることができた。
「どうしても書きたい」
その想いは・・・信念は、今、自分の内にあるのか?

今日は原稿用紙にして20枚くらいの文章を書いた。
ずっと書きかけてはやめて完成していなかった、「ひのきの本」。
今までとは全く違った形で書き出したら、一気に進んだ。

信念はもうないのかもしれない。
今はあの頃のように「どうしても書きたい」と思っていないのかもしれない。
わからない。

だけど、これだけは完成させたい。
最初に構想を練ったとき、これは是非とも出版したいと思っていたが、
今はもう出版にはこだわっていない。
ただ、完成させようと思う。
たった一人に読んでもらえば、それでいい。
そのために、書いている。

甘いものは、ガツンと甘く!

2007-11-14 01:27:41 | 生活
久しぶりにブログのテンプレートを変更してみた。

「カステラ」

こんなテンプレートがあることがびっくりだ。
見ているとお腹が減る。

既に知る人ぞ知る、どうでもいいカミングアウトだが、
私はカステラが好きだ。
太ることを気にしなければ、1本丸々食べられる。
いや、食べたい。
5分以内に食べられる自信がある。

でも、美味しくないカステラは嫌だ。
黒い端っこの部分にザラメが付いているやつ、あれが最高!
あれがあるのとないのとでは、食べるときのテンションが違う。

そして、紙がきれいにはがれなかったとき、
黒いところをフォークなどではがして食べるのが好きだ。
(きっとみんなそうだと思う。・・・そう信じてる!

そういえば、子供の頃、カステラの物語が好きだった。
小学校高学年が読むレベルの本だったと思う。
タイトルは忘れてしまったけれど、子供たちが協力しておじいさんか誰かのカステラを再現するというような話だったような・・・。
誰か知ってる?

カステラの売っている和菓子屋さんで、たまにカステラの切れ端を安く売ってることがある。200円くらい。
あれを見つけると、ついつい買ってしまう。

私は基本的に、「ガツンと甘いもの」が好きだ。
極端なことを言えば、「ただ甘いだけのもの」。
たいていの人が、「そればっかりたくさんは食べられない」と言い、
甘いものが得意じゃない人は「あまり好きじゃない」と言うようなもの。

カステラもそうだし、沖縄の「ちんすこう」も好き。
黒糖なんて、なんぼでもそのままガジガジ齧れるし、
ぜんざいも丼で食べられる。
チョコレートは外国製しかほとんど食べない。
日本製で食べられるのは、ホワイトチョコレートだけ。

この間もケーキ屋めぐりに行ったときに熱弁していたのだけど、
ケーキなどの「甘いもの」を食べて、「あっさりしてて美味しい」とか、「甘さ控えめでいいわ」などと言われると、カチンとくる。
カチンとこられても、食べてる人にしたら余計なお世話だろう。
でも、カレー好きな人も、「甘口のカレーで」と言うのを聞いたら、カチンとこないだろうか?
・・・みんな、そんなに心が狭くないか。
私だけ?

そういえば、最近「これって私だけ?」と思うことがいろいろある。
だいぶんたまってきたので、そのうちまとめて書いてみよう。
言っておくが、かなりくだらない。

例えば、今日もお風呂に入ってギョッとした。
また足に大きな青アザができていたからだ。
どこで打ったんだろう?全く記憶がない。
それも、直径3センチくらいある。
こんなになるまで打ったら、覚えていそうなもんだが・・・。

私は運動神経が途中で切れているとしか思えないほど鈍いので、びっくりするほどよくぶつかる。こける。
家の中で見えているドアに向かってまともに突進したりする。
そういうのはもう日常茶飯事なので、この青アザもたぶんそういう打撲でできたのだろうなぁ。

気付かないうちに、常に体に青アザがある・・・
これって、私だけ?

癒しのブルース

2007-11-12 12:41:20 | ライブ
世界で一番大きなブルースフェスティバルが「シカゴ・ブルース・フェスティバル」だとしたら、その100分の1くらいの小さなミュージックフェスがある。
それが、「水道筋ミュージックストリート」だ。

兵庫県の「王子公園」駅そばにある、大きな商店街。
7つの商店街と3つの市場に500余の店。
ここのうどん屋やカフェバー、商店街の中の簡易ステージで、とにかく1日中音楽をやろうっていうんだから、なかなか面白い。
それも、商店街らしく、午後1時~7時まで。
なんて健全なんだろう!

去年も行きたかったのだが機会がなく、今年こそはと調べたら、10日(土)に開催。慌てて予定を組み込んで、彼と二人で行ってきた。

目当ては、ツインズ、カサ・スリムさん、天野SHOさん。
ツインズはここ2年くらいに好きになったのだけど、双子のデュオで、もう最初に見たときから心奪われてしまった。
別々にも活動していて、お兄ちゃんのほうは、元・憂歌団のドラマー、島田さんやブルースギタリスト・田中晴之さんなどと一緒に、FOUR ACESというブルースバンドもやっている。
お兄ちゃんもカッコイイけど、弟さんの日本人離れした声とリズム感はたいしたもので、あの声を聴くと「声っていうのは神様からのギフトなんだなぁ」ということを実感してしまう。

1時過ぎに到着して、早速スケジュールを調べ、商店街の中を急ぐ。
めちゃくちゃ広い。
そして、いい感じ。
探し当てたライブ会場となる店は、小さな小さな居酒屋のような店。
20人も入ればもういっぱいという空間に、入口まで人があふれている。
私と彼も無理やり入り、ツインズのライブを観た。
たった30分だけど、久しぶりだったので、なんだか胸がいっぱいだ。

ブルース好きな人って、ハードロック系から転向してきた人が多いのだけど、私はR&RやR&Bからブルース好きになった。
ツインズはまさに私の好きなタイプの曲をやる。
ビートルズのCAN't BUY ME LOVEから始まって、ジミー・リードの「Honest I do」をすごくメロディアスなアレンジで聞かせる。それから、サム・クック。こちらもアコースティックなアレンジで、心にしみる。

その後は、カサさんのライブ。
カサさんは、歌屋BOTEEという2人組のデュオだったんだけど、今は一人で活動している。
またこれが、癒しのブルースマンで。
ちょっと酔っ払って、手元がおぼつかない。
でも、歌い出せば、優しい空気が流れ出す。
その表情を見ているだけで、いつも幸せな気持ちになれるのだ。
一体誰を想っているんだろう。
楽しそうで、嬉しそうで、愛しそうで。

最後の目当ては天野SHOさんだったけど、それまでに他にも4ライブほど見て飲んで、私も彼もすっかりいい気分。
天野SHOさんはすごかったなぁ。
久しぶりに見たけれど。
昔、もう10年くらい前に、西野やすしさんと「天西ブルースライン」っていうバンドをやっているのを見たことがある。
ベースを弾きながら歌うんだけど、カッコイイし、歌もすごくいい。
私が思っていたより神戸では人気があるようで、会場は熱気に包まれ、うどん屋とは思えないブルージーな雰囲気(笑)。
白熱したライブだった。

すっかり満足の1日。
ライブもよかったけれど、商店街もおいしそうなものがいっぱいで、何もなくてもまた足を運んでみたいなぁと思ったくらい。

カサさんと少し話ができたので、リクエストしたら、2回目のステージではラストにそのリクエスト曲をやってくれた。

  ブルース片手にここまできた
  ブルース頼りにやってきた・・・

カサさんの歌を聴いていたら、私の中の、すっかり閉じてしまっていた「感性」という箱が、パッと開いてどんどんこぼれるように想いがあふれてきた。
私も何か表現したいと、切実に思ってドキドキした。

「ブルース」って何なんだろうかと思う。
黒人が演奏するような音、どんなに上手くたって絶対に出せない。
(彼はこういうと怒るけど)
だけど、真似をするんじゃなくて、なぞろうとするんじゃなくて、自分の魂の叫びを歌にすれば、それが「ブルース」。
カサさんの癒しのブルースは、それはもう、確かに「ブルース」だった。

本当においしいマグロをやっと食べた

2007-11-11 17:12:36 | 美味しいもの
ちょっと前から彼が「びりけんに行きたい」と言っていて、
もちろん私はいつでも行きたいのだけど、
とにかく彼が忙しいものだから、なかなか一緒に行く日を作れなかった。

だけど、金曜日、久しぶりに彼が8時半くらいに会社を出られたので、一緒にびりけんへ。
金曜日なのでどうかなぁと思っていたのだが、意外にすいていてラッキー。
久しぶりにおいしいものを堪能した。

ムカゴを軽く茹でて塩を振ったものから始まって、
隼人瓜とエンドウを梅肉で和えたもの、
それからびりけん特製のポテトサラダ。
お手製の生でもおいしいベーコンが少し風味付けのように入っている。
これがまた絶妙。

しかし、今日のベストはやっぱりお造り。
天然のハマチと大間のマグロ。
ハマチは大好きなのだけど、普段食べ慣れているものだけに、その違いがはっきりとわかって、もうホッペタが落ちるとはこのこと。
そして、マグロがあまり好きでない私に「マグロっておいしい」ということをわからせてくれたマグロ!

外でマグロを食べておいしいなんて思ったことがほとんどないのだ。
あの変な食感。
味気のなさ。水っぽさ。
ぐにょぐにょして気持ちが悪いったらない。

だけど、わかっていはいたのだ。
本当はマグロはおいしい魚だってことは。
ただ、それが普通には出回っていないし、食べる機会もなかっただけってことは。

びりけんでマグロを食べたのも初めてだったのだが、目が覚めるような強烈な旨味だった。
これか・・・と思った。
やっぱりマグロはおいしい魚なんだなぁ。
トロの部分も切ってもらったのだけど、その脂ののり方といったら……!
口の中でとろけそうだった。


それから、きのこのお吸い物。
本物の天然なめこ。
大きなものだと傘が直径4センチくらいある。
こんなに大きいと大味なんじゃないかと思ってしまうのだが、とんでもない!
豊潤な香り。
口の中でぱーっと広がっていく。
ほっこりして、幸せの味だ。


それから、今日のメインともいうべき、白甘鯛のホイル焼き。
なんと贅沢に一人1匹!
前に、魚の専門店で食べた時、白甘鯛のお刺身は7切れくらいで3500円だった。
まあ、その店は半分ぼったくりみたいなものだが、そうでなくてもこれだけ良い素材を使って手をかけて料理したら、この1皿で3500円はもらってもいいところ。
ましてや、場所は新地である。


こういうのを惜しみなくさっと出してしまうところに、びりけんのすごさがある。
天然のきのこをたっぷり添えて、ホイル焼きに。
白身の部分はもちろんほっこりとしてうまいが、皮の味がもうたまらない。
こうやって素材の旨味を完全に閉じ込めてしまうところに、ホイル焼きの良さがあるなぁ。

あとは、いろんな豆類が入ったトマト煮込みに、美しい卵を乗せて焼いたもの。

卵の黄身をつぶして混ぜながら食べると、また格別!
お豆もいい味を出している。

そして、恒例の帆立のムース、ローストビーフ、生のベーコン。
帆立のムースは彼が大好物なので、作り方を教えてもらった。
簡単だというが、難しそう。
「かおりちゃんやったらすぐにできるんちゃうか」とマスターは言ってくれるけど、この味と同じものをつくるには、かなりの年月を必要としそうだなぁ。


ローストビーフはもうイヤっていうほど食べているけど、
今日の出来は最高だった。
今までで食べた中で一番おいしかったんじゃないだろうか。
マスターも、今日は肉がよかったと言っていた。

これだけ食べたらもう充分というところだが、ここから寿司7貫!
さっきのマグロ、トロはもちろん、ヅケにもして。
あとは、イワシ、ヒラアジ、サバときたもんだ。
たまらんねぇ。
ただ、欲を言えば、今日はシャリの温度が多少高かったのが残念だったかな。
もう少し冷やしたほうがネタとなじんでおいしかったかもしれない。
だけど、まあ、そんなことはたいしたことではなく、とにかくおいしかったの一言!

基本的にマグロとかサーモンとか、そういう脂ののった魚が好きな彼は、私よりもっとたまらなかったようだ。
よくびりけんで会うMさんとも、またたまたま同席したので、より楽しい時間を過ごせた。

そして、今日のもう一つの収穫は、新しい器に出会えたこと。
いつもお酒を飲むぐいのみを選ばせてくれるのだが、今日は「新入り」がいるとのこと。
見ると、まあ、なんて美しいんだろう。
まず、形がいい。
手になじむ大きさ、ウエストのくびれ。
そして、生まれながらにもった品のよさ。
ちょっと青みがかって、なんともいえない風合いがある。
女性にたとえれば、まだ18歳くらいの若さで、透き通るような肌と濁りのない瞳。
聡明でまっすぐ。
でも、芯が一本通って。
これからの育て方で、どうにでも美しく味のある女性に育つ、そんな感じだ。(オヤジか!私は……)

彼がその新入りさんに挑戦。
私はいつもの「びりけん、ご指名ナンバーワン」のぐいのみ。
同じお酒を入れてもらったが、飲み比べてみるとその違いは明らか。
新入りさんがそのお酒の特徴をはっきり主張してしまうのに対して、指名ナンバーワンは、際立つ特徴をまるく包んで、その良さだけを前面に押し出してくる。
滑らかで、清らかで、水のように済んでいるのに、米の旨味の一番純粋な部分だけが舌の上で香り立ち、飲む人の心をやさしく抱擁する。

指名ナンバーワンは、もうびりけんに来て7年くらい、とのこと。
その容姿の美しさから、いろんなお客さんに愛され、ひたすら皆に毎日育てられてきたため、今ではどんなにお金を積んでも買えないほどの名器になっている。

新入りさんは、それと比べるとまだまだ。
同じお酒なのに、器でこれほども味が変わるのかと、また器の神秘に触れた。
だけど、これから来るたびに1杯は必ず飲んであげて、少しずつ育てていってあげよう。
これから7年後、どんなお酒を飲ませてくれるようになるのか、楽しみだ。
この器なら7年も待たなくても、2年くらいで充分おいしいお酒に変えてくれるだろうけれど。
そういう見込みのある器だ。
一目で人を虜にしてしまう、そういう要素をもっているし。

久しぶりにおいしいものを食べ、おいしいお酒の飲み、彼と楽しい時間を過ごした。
なんか元気になったなぁ。
あの料理にはどんなパワーが込められているのだろう。
いつも幸せになる。

気難しい人?!

2007-11-09 01:30:02 | 仕事
「怖い人」の取材って面白いんだ、これが。
ちょっとワクワクするってことは、私ってM?(笑)

今日は夕方、某企業の取材。
16時半と聞いていたので行ってみたら、
「こちらは6時半ってお願いしたんですけど!」と言われた。

ああ・・・たぶん、16時と6時の聞き間違いね・・・
私は全く悪くない。
言われた通りに来ただけで、それは聞き間違いじゃないので。
取引先とこの企業との間の話。

しかし、この取材は来る前から若干不安を煽られていた。
アポをとる段階で意思疎通がうまくいっていなかったらしく、「ちょっと気難しい方なので、きちんとした対応を」と言われていたのだ。
なのに、いきなりこのザマだ。
確かに、ちょっと勢いのある女性。
「それでは出直します!」と会社を出た。

2時間もある・・・
しかし、嬉しいことに近くに上島珈琲があるではないか!
なんてタイムリーな!
おまけに読みたい本も持っていた。
うん、珈琲飲みながら読書も悪くない。

私は不思議なくらい、ライター仕事に関してはポジティブだ。
それは「絶対失敗したくない」という想いが異常に強いからだと思う。
たとえ人生に失敗しても、ライターという仕事で失敗するのはイヤなのだ。
だから、基本的にはネガティブな人間のはずなのに、ことライター仕事に関しては「絶対に」ネガティブな感情を抱かない。意識してそうする。
それは、思ったとおりになることが「本当に」怖いからだ。

上島珈琲で考える。
先ほどの、ちょっと機嫌を悪くしていた女性。
言われていた通り、こちらがまずい対応をしたら容赦がなさそうだ。
今までも何度も難しい人の取材はしてきたけれど、でも、そういう取材って実は意外に面白いのだ。
「怖い人」とか「気難しい人」なんて、自分の周りにはまずいないし、そういう人間に触れるチャンスだ。また、そういう人って、芯があって、いい人だったというケースも多い。
さらに、そういう人に、にっこりしてもらえたら、こんなに嬉しいことはない。
自分の腕試しでもある。

ほら、かなりポジティブ!
自分でもなぜこうなるのか、よくわからない。
普段は子供みたいな内容の私だが、仕事となるとめちゃくちゃ「デキる女」になる。(ほら、こういうことを自分で言うのが子供だ!)

2時間経って、ちょっとオネムでうとうとしはじめた頃、6時半前になった。
再び会社に伺うと、先ほどの女性、そして、若手社員の男性。
結論から言うと、とても良い取材だった。
楽しかった。

私は「企業取材」が一番好きなのだが、何が好きって、それは「働く人」がとても美しいからだ。
そして、自分の知らない世界の仕事があることを知り、豊かになる。
職業に貴賎なしというが、本当にそうだと思う。
どんな仕事も、仕事だ。
それに誇りをもっている人は素敵だ。
そして、「良い会社」というのはあるのだ。

今日の会社もとてもいい会社だった。
社長さんにも会ったのだけど、そういう会社の社長さんというのは、気さくで社員と仲がよい。
だけど、尊敬されている。
そういう社長だから、幹部社員も同じようなタイプで、そういう人が雇うから社員もアルバイトも同じようなタイプになる。
そうすると「社風」というのが出来上がる。
その社風がいいものだと、自然と仕事が楽しくなり、業績が上がる。
業績が上がるとまた仕事が楽しくなって、みんなが潤うからさらに人間関係が良くなる・・・
といった循環になっている良い会社がある。

今日取材した会社も、まさにそれ。
怖そう、気難しそうと思っていた女性も、しゃべってみると、とても素晴らしい人だった。
頭が良すぎてテキパキしているから、ちょっとキツい感じに見えてしまうだけなんだろうなぁ。
話しているのがとても楽しかった。
こういうとき、自分がのってくるのがわかる。

それから、まだ入って二ヶ月という若手社員の方もいい人だった。
営業さんっていうのは、取材がしやすい!
やっぱりしゃべりが上手、愛想がいい、礼儀正しい、サービス精神旺盛。
いつも取材する側みたいな立場で仕事をしているのだから、当たり前といえば、当たり前だが、こちらが欲しい言葉をスラスラと口にしてくれる。

取材しているうちからもう文章ができてしまった。
こういう取材は100点。
あとは紙に打ち込むだけでいい。

今日は、昔のライター仲間から、同じような求人サイト関連の仕事の話ももらえた。
これで同じような仕事の取引が3社目なので、どうもこの仕事がメインになりつつある。
ただ、自分が望んでいた仕事に近いので(企業を取材して働く人の想いを文章にする)、ありがたい。

今、もう一つしたいのは、自叙伝を書く仕事。
これはもうずっと前から思っていたのだけど、自分の生き様を1冊の本にしたいと思っている人って結構いるから(中小企業の社長とか。もちろん自費出版とかで)、そういう人の話を聞いて本にまとめる仕事ができたらいいのになぁと思う。
B.Bキングの自伝を読んでから、よけいにその気持ちが強くなった。

有名な人である必要なんてないのだ。
どんな人にも輝いた瞬間がある。
それを書き留めてストーリーにできたら、どんなにいいだろう。

今の求人サイトの仕事は、そのほんの断面だけど、
一生懸命誇りをもって働いている人の、小さな日々と想いを綴れる。
そんなふうに想って読んでくれる人はいないかもしれないけれど、
書き手としてはとても幸せなのだ。

人がひたむきに信念をもって生きる様っていうのは、とても尊くて美しい。
その小さな断片を拾って文章にできたら、
こんなに嬉しいことはない。