明日元気になれ。―part2

毎日いろいろあるけれど、とりあえずご飯と酒がおいしけりゃ、
明日もなんとかなるんじゃないか?

新レシピ ブロッコリーとカニ身の卵あんかけ

2007-07-18 23:34:20 | 美味しいもの
今日の晩ご飯。
・天然ぶりの照り焼き
・小松菜と厚揚げの煮物

そして、久しぶりに新レシピ。

「ブロッコリーとカニ身の卵あんかけ」

彩りもきれいだし、おいしい。
油を使っていないから、カロリーも低い。
栄養バランスもまあまあいいでしょう

彼も「ブロッコリーうまい。味が違う」と言って食べている。
やっぱりね。
スーパーで売ってるのはほとんどアメリカ産だから・・・

茎の部分は短冊に切って、胡麻和えにした。
こちらは明日の彼のお弁当に。

今日はのんびり過ごしたなぁ。
夕方、空がきれいだった。
雲が夕陽で立体的に照らされて。
それが静かに流れていった。


駆け出しのライター気分で

2007-07-18 14:11:51 | 仕事
昨晩、彼とお互いのブログを読み合って、
それから布団を敷いているとき、
ふとウイスキーが飲みたいな、と思った。

だけど、それはいつものような精神的に欲するものではなく、
なんだか心地良い欲求で、「ああ、文章が書きたいな」と思うときと
似ているように思った。

彼が文章を書き始めると、私も書くことへの欲求が深まる。
一緒に暮らし始めてから、ますますこの連鎖反応は大きくなって。

この2、3日、やっと彼はまた自分の文章に向き合い始めた。
(←ブックマークしておくので、よかったらどうぞ)
彼特有のこねくりまわした文章ではないけれど、いい具合に肩の力が抜けていて、それでいて彼らしい表現やリズムのある、私の好きな文章だ。

私と彼は二人とも文章で自己を表現したいと思い、それを仕事にしているけれど、同じような二人が一緒に生活すると影響し合うことも多い。
この「影響」を良いほうに向かわせないとダメなんだろうな。

私は今、ようやく精神的に安定してきて、それと同時に生活も落ち着いてきて、肝臓が悲鳴をあげたこともあるかもしれないが、とりあえず酒はやめている。
(ちなみに昨晩も結局ウイスキーは飲まなかった。ノンアルコール・デイ)

今週は急ぎの仕事も終わり、あえて人との約束も入れていないので、
ホームページも更新して、シカゴ日記も書いて、
自分の文章をいろいろ書くつもりだ。

物理的な「時間」の問題と、精神的な「心」の問題が、
今は一度に解決している状態。
こういうときに書かないで、一体いつ書くというのか。

仕事は仕事で、営業も頑張っている。
今朝もまた1社、メールを送っておいた。
週3日働くだけで何とか暮らしていけるこの生活も悪くはないのだが、
私としては週にあと1日か2日分の仕事はほしい。
お金のこともあるが、やっぱり仕事が好きだから。

昨日は、単発の急ぎの仕事が入っていて、なかなか面白かった。
メルマガの仕事もクライアントが上場企業だから、
結構質の高いものを求められるのでやりがいがある。
また、間に入ってくれるSVの方もすごく「アツい人」がいたりして、
いろいろとはっとさせられることがある。

この間は、
「後で修正がかかってもいいから、もっと伝えたいことを強調したものにしてください。先方はやんわりとした表現に変えてほしいと言ってくるかもしれませんが、それでも、ここは強調しないと意味がないので」
というメールがきて、昔の自分を呼び起こされるようだった。

前にもこの同じチームの人に、
「クライアントの言いなりになる必要はないです。本当にいいものを創るためにはもっと提案をしてもいいと思います」
と言われ、もう一度、自分についてしまった悪い癖を見直さないといけないなと感じていた。

ライターの仕事を始めた頃は、「いいもの」を提案するのに必死だった。
自分の書くものに自信もあった。
それが、間に入る人に「ここは削って」「この表現はやめて」「先方がこう言ってるからこうして」と言われ続け、「じゃあ、もう自分がいいと思うものよりも、クライアントがいいと思うものを創ろう」と考え方を変えるようになった。
それどころか、途中からはもう一体誰を満足させるために書いているのかすら、わからなくなっていた。

あの頃はモチベーションもすっかり失い、一時は仕事が楽しくなかったな・・・
チームで仕事をしていたら、自分ひとりでモチベーションを見出すなんて、絶対無理な話だ。
それは、クリエイティブな仕事でなくてもそうだろう。
やっぱり上の人が、チームの雰囲気を見て盛り上げ、あなたがこの仕事に携わってくれているお陰でチームが成り立っているんです、ということを見せてくれなくては。

クライアントありき。
それは当たり前。
だけど、ライターやデザイナーが自分の仕事に誇りをもって、本当にいいものだと提案してきた時に、それでクライアントを納得させられるかどうかは、やっぱりディレクターの力量だと思う。

今、一緒に仕事をしている人たちは、まず読者のことを考え、私の力を信じ、それを責任をもってクライアントに伝えようとしてくれる。
だから、私に対して「もっとやりすぎてもいいから!」と言ってくれるのだ。
昔の私と全く反対のことを言われている自分を、ちょっと苦笑してみてしまう。

10年の経験なんてないものと思って、
もう一度、駆け出しのライター気分で頑張ってみよう。

「キャリアがキャリアを生む」
フリーにとって、これは絶対なんだ。
だから、1つ1つの仕事に誠実に向き合っていくしかない。

新しい人と出会えば、またなんぼでも勉強することあるなぁ、ほんま。

おいしい文化を追求しよう

2007-07-18 01:25:41 | 美味しいもの
9年以上続けていた「有機野菜の宅配」を、結婚式前~先月までの3ヶ月ほどお休みしていた。
いろいろバタバタしていたし、お金もかかるし。

でも、やっぱりスーパーの野菜がおいしくないので、彼に「野菜また始めていい?」と聞いたら、
「いいよー。やってー。やっぱり野菜の味が違う」
と言ってくれた。
よかった、よかった

それで、先週からまた野菜が届き始めたのだけど、何を食べてもおいしくて、自然の力ってすごいなぁと改めて感じている。
「味」そのものだけじゃなく、なんというのか・・・「生命力」を感じられるのだ。「命をいただいています!ありがとう!」という感じがして、それがそのまま自分の血や肉になっていっている気がする。

簡単に言えば、元気になる!!

ちょっと前から中国の食品のことが問題になってるけど・・・
まぁ、ダンボール入り肉まんなんかは問題外として、いつも思うのは日本国民が食品で気にするのは「安全性」。
もちろん、安全であることは前提だけど、「おいしい文化」をもっと追求してもいいと思うのだ。

それは、飽食グルメな人になれと言っているのとは違う。
利潤を追求するよりも、おいしいものや正しいものを作ろうと、昔ながらのやり方を守ったり、研究したりして、心を込めて野菜を作っている農家の人がいる。
そういう人たちを応援する意味もあって、私は野菜を買わせてもらっている。
誰かが買わなければ、農薬をまいて安い野菜を作るしかなくなる。
でも、そうなってはいけない。

醤油でも、味噌でも、みりんでも、お酒でもそう。
正しいやり方で造られた本当においしいものを消費者が求めなければ、文化は廃れていくしかない。
文化というのは、一度廃れてしまえば、復興させるのは難しい。

だから、みんなで「おいしい文化」を追求したいのだ。
安全かどうか、自分の体は、子供に食べさせるのには・・・って、そんなことを考えるんじゃなくて、ただ「おいしい文化」を追求していけば、それは安全だし、皆が買えばどんどん安くなる。

本当においしい野菜を食べていたら、身体も心も元気になる。
こうして日本は平和になりました・・・
ってのはあかんかな?(笑)

話がだんだん大きくなってきたけれど、とりあえず、私はまたおいしい野菜が食べられて嬉しい

そして、彼の舌がだんだん肥えてきたのが怖い・・・