前回の日記にも書いたけれど、諸事情によりブログを引っ越しました。
フェイスブックを見ていたら、仕事関係の人の記事に
「漢字一文字で人生を表すって難しいなぁ」
と書いていて、いろんな人が「私はこれ!」というのをコメントしていた。
「遊」「食」「楽」「行」「王」・・・
いろんな文字が並んでいるのを見て、私は何だろうな、と考えた。
人生を表すとなると、好きな言葉とか、信条とはまた違うわけで。
確かに難しい。
でも、考えて、結局思いついたのは1つだけだった。
(「酒」じゃないよ!笑)
「情」
自分の中でこれ以外には候補も挙がらなかったし、
思いついてみると、なんだかしっくりきた
情熱の「情」でもあるし、感情の「情」でもある。
情が深いの「情」でもあるし、情緒(不安定)の「情」でもある。
人にかける、またかけられる「情け」でもある。
そして、「情けない!」と自分自身に嘆くときの「情け」でもある・・・。
自分の人生って、良くも悪くもそんな感じだ
ちなみに、夫に尋ねてみたら、即答で「走」と返ってきた。
こういうのはじっくり考えるより、インスピレーションのほうがいいんだろうな。
しかし、これってなんか流行ってるの?
友人のブログをさっき覗いたら、まったく同じタイトルの文章が書かれていた。
その友人は「学」だった。
高校のミニ同窓会で、この話題になったという・・・
漢字っていいなぁ。
たった一文字でいろんな想いが表せて。
アルファベットじゃ、こうはいかないもんね。
そういえば、昨日、「笑四季」というお酒を飲んだ。
読み方は、「EMISHIKI」。
ラベルにローマ字でもこう書かれてあった。
私は、このお酒の名前って、すごく素敵だなぁと思った。
漢字を見ているだけで、ぐっとくる。
下手したら、目頭が熱くなるほどだ
(←変人)
例えば、「都忘れ」という花があるけど、この花の名前も、漢字を見ているだけでぐっとくる。
この名前だけで、いろんなドラマが瞬間的に動き出して感情になって襲ってくる感じ・・・(わかるかなぁ?)
そんなことを情緒深く考えながらテイスティングしていたら、夫がラベルを見て言った。
「この『SHIKI』って見ると、漢字は『式』しか思いつかへんわ」
えっ、そうなん?
何を言っているのかよくわからなかったが、軍事マニアのお兄さんの影響で、
「SHIKI」というと、「~式」とかいう、戦闘機?武器?のことしか頭に浮かばないらしい。
意味がわからない・・・
私は「四季」しか思い浮かばないけどなぁ・・・
これが日本語の面白いところ。
同音異義語
※たぶん、これから私に会う人、みんな「人生を表す一文字」を聞かれると思うので、回答ご用意を!
「漢字一文字で人生を表すって難しいなぁ」
と書いていて、いろんな人が「私はこれ!」というのをコメントしていた。
「遊」「食」「楽」「行」「王」・・・
いろんな文字が並んでいるのを見て、私は何だろうな、と考えた。
人生を表すとなると、好きな言葉とか、信条とはまた違うわけで。
確かに難しい。
でも、考えて、結局思いついたのは1つだけだった。
(「酒」じゃないよ!笑)
「情」
自分の中でこれ以外には候補も挙がらなかったし、
思いついてみると、なんだかしっくりきた

情熱の「情」でもあるし、感情の「情」でもある。
情が深いの「情」でもあるし、情緒(不安定)の「情」でもある。
人にかける、またかけられる「情け」でもある。
そして、「情けない!」と自分自身に嘆くときの「情け」でもある・・・。
自分の人生って、良くも悪くもそんな感じだ

ちなみに、夫に尋ねてみたら、即答で「走」と返ってきた。
こういうのはじっくり考えるより、インスピレーションのほうがいいんだろうな。
しかし、これってなんか流行ってるの?
友人のブログをさっき覗いたら、まったく同じタイトルの文章が書かれていた。
その友人は「学」だった。
高校のミニ同窓会で、この話題になったという・・・
漢字っていいなぁ。
たった一文字でいろんな想いが表せて。
アルファベットじゃ、こうはいかないもんね。
そういえば、昨日、「笑四季」というお酒を飲んだ。
読み方は、「EMISHIKI」。
ラベルにローマ字でもこう書かれてあった。
私は、このお酒の名前って、すごく素敵だなぁと思った。
漢字を見ているだけで、ぐっとくる。
下手したら、目頭が熱くなるほどだ

例えば、「都忘れ」という花があるけど、この花の名前も、漢字を見ているだけでぐっとくる。
この名前だけで、いろんなドラマが瞬間的に動き出して感情になって襲ってくる感じ・・・(わかるかなぁ?)
そんなことを情緒深く考えながらテイスティングしていたら、夫がラベルを見て言った。
「この『SHIKI』って見ると、漢字は『式』しか思いつかへんわ」
えっ、そうなん?

何を言っているのかよくわからなかったが、軍事マニアのお兄さんの影響で、
「SHIKI」というと、「~式」とかいう、戦闘機?武器?のことしか頭に浮かばないらしい。
意味がわからない・・・

私は「四季」しか思い浮かばないけどなぁ・・・
これが日本語の面白いところ。
同音異義語

※たぶん、これから私に会う人、みんな「人生を表す一文字」を聞かれると思うので、回答ご用意を!

一日中、雪がちらついているような、そんな寒い日だった
雪に埋もれて生活している人もいるんだなぁと、
テレビで雪かきをしている人たちを見ながら思う。
雪の中、車が何百台も立ち往生していた。
大変だということはわかるけれど、雪の怖さを知らない私には実感が湧かない。
夏は35度を超える猛暑。
冬は大雪。
秋は台風が来て、洪水が起こって。
梅雨の時期はじめじめと長く、
湿気が……、乾燥が……と季節によって正反対の対策を練って。
しょっちゅう地震におびえて。
日本人は、本当に自然と向き合って暮らしているんだなぁと、そんなことを思う。
向き合って、寄り添って、恩恵を受けて、闘って、感謝して。
ずっとそうやって生きてきたのだ。
長い歴史の中で、自然と上手に共存するやり方を学んできたはずなのに、
戦後、それが少しずつ崩れ始めたように思う。
便利になった、克服できた、そんな部分は多々あるにしても。
どこかアメリカ的な、自然を人間たちの前に屈服させようという、そんな感じが否めない。
「支配」ではなく「共存」することを良しとしてきた日本人だから、どこかで歪みが出ているのではないだろうか。
原発問題、然り。
開国や民主主義まで遡って否定はしないけれど、
便利な文明を使いこなしながらも、自然の前で時折立ち往生してしまう日本人を見ていると、
ふと、そんなことを思ってしまったりもする。
ドラマ『北の国から』のワンシーン。
吹雪で車が動かなくなり、雪に埋もれて捜索不可能になってしまったとき、馬だけがそれを嗅ぎ当てる。
トラクターで田を耕すようになり、役目のなくなった馬だけが。
ドラマと区別もつかないほど実感の湧かない大雪の映像を見ながら、そんなことを思い出していた。
日本は小さいけれど、広いなぁ。
いや、私が狭い範囲で生きているだけか。
昔は、だから、旅をした。
自分とは違う生活を見たかった。感じたかった。
でも、所詮、旅人は通りすがりの人でしかない。
そのことに気づかされた。
それが、何よりの収穫だったとも思う。
・・・今日はお酒も飲んでいないのに、つらつらと何を書いているのだか
久しぶりに、結構長い記事を書いたからかなぁ。
この間の講演会のパンフ。
長いといっても、4000文字かそこらだけど。
やっぱりこれだけの文章量を、紙面構成考えながら書いて形にするのは楽しい。
長い取材のときは録音するけれど、私はそれを聞き直したり、いわゆる「テープ起こし」をすることがほとんどない。
取材内容は全部メモしているからだ。
「速記できるんですか?」と聞かれることがよくあるが、できない。
普通の日本語で必死に書いている。
なぜって、テープ起こしが嫌いなのだ。
時間がその分、よけいにかかるし、二度手間になるから。
それに、全部メモる気持ちで取材していると、集中力が単に聞くだけよりもはるかに高くなるので、内容がしっかり頭に入る。
だから、内容を覚えてしまっているので、構成が早い。
あとは、メモで言葉を拾って文章に作り直していくだけでいい。
どうしてもわからない箇所だけ、録音を聞くことはあるが・・・。
インタビューならいいが、これが講演会となると大変だ。
2時間、人が話し続けているのをすべてメモるのだから。
でも、今回もなんとかメモだけで記事ができた
今日デザイン事務所に送ったら、「完璧です!」と言われた。
いろいろ褒めたメールが来た。
めちゃくちゃうれしかった。
久しぶりに人に仕事を褒められたような気がする・・・(言葉にして)
やっぱりこういう仕事をしていかないとだめだな。
自分の得意分野で勝負する。
いい仕事ができると、気持ちいいもん
それに、人を取材すると、少しだけ「範囲」が広がる。
狭い世界で生きている自分だけど、もう少しだけ見えるものが増える。
それが楽しくて、この仕事を辞められない。

雪に埋もれて生活している人もいるんだなぁと、
テレビで雪かきをしている人たちを見ながら思う。
雪の中、車が何百台も立ち往生していた。
大変だということはわかるけれど、雪の怖さを知らない私には実感が湧かない。
夏は35度を超える猛暑。
冬は大雪。
秋は台風が来て、洪水が起こって。
梅雨の時期はじめじめと長く、
湿気が……、乾燥が……と季節によって正反対の対策を練って。
しょっちゅう地震におびえて。
日本人は、本当に自然と向き合って暮らしているんだなぁと、そんなことを思う。
向き合って、寄り添って、恩恵を受けて、闘って、感謝して。
ずっとそうやって生きてきたのだ。
長い歴史の中で、自然と上手に共存するやり方を学んできたはずなのに、
戦後、それが少しずつ崩れ始めたように思う。
便利になった、克服できた、そんな部分は多々あるにしても。
どこかアメリカ的な、自然を人間たちの前に屈服させようという、そんな感じが否めない。
「支配」ではなく「共存」することを良しとしてきた日本人だから、どこかで歪みが出ているのではないだろうか。
原発問題、然り。
開国や民主主義まで遡って否定はしないけれど、
便利な文明を使いこなしながらも、自然の前で時折立ち往生してしまう日本人を見ていると、
ふと、そんなことを思ってしまったりもする。
ドラマ『北の国から』のワンシーン。
吹雪で車が動かなくなり、雪に埋もれて捜索不可能になってしまったとき、馬だけがそれを嗅ぎ当てる。
トラクターで田を耕すようになり、役目のなくなった馬だけが。
ドラマと区別もつかないほど実感の湧かない大雪の映像を見ながら、そんなことを思い出していた。
日本は小さいけれど、広いなぁ。
いや、私が狭い範囲で生きているだけか。
昔は、だから、旅をした。
自分とは違う生活を見たかった。感じたかった。
でも、所詮、旅人は通りすがりの人でしかない。
そのことに気づかされた。
それが、何よりの収穫だったとも思う。
・・・今日はお酒も飲んでいないのに、つらつらと何を書いているのだか

久しぶりに、結構長い記事を書いたからかなぁ。
この間の講演会のパンフ。
長いといっても、4000文字かそこらだけど。
やっぱりこれだけの文章量を、紙面構成考えながら書いて形にするのは楽しい。
長い取材のときは録音するけれど、私はそれを聞き直したり、いわゆる「テープ起こし」をすることがほとんどない。
取材内容は全部メモしているからだ。
「速記できるんですか?」と聞かれることがよくあるが、できない。
普通の日本語で必死に書いている。
なぜって、テープ起こしが嫌いなのだ。
時間がその分、よけいにかかるし、二度手間になるから。
それに、全部メモる気持ちで取材していると、集中力が単に聞くだけよりもはるかに高くなるので、内容がしっかり頭に入る。
だから、内容を覚えてしまっているので、構成が早い。
あとは、メモで言葉を拾って文章に作り直していくだけでいい。
どうしてもわからない箇所だけ、録音を聞くことはあるが・・・。
インタビューならいいが、これが講演会となると大変だ。
2時間、人が話し続けているのをすべてメモるのだから。
でも、今回もなんとかメモだけで記事ができた

今日デザイン事務所に送ったら、「完璧です!」と言われた。
いろいろ褒めたメールが来た。
めちゃくちゃうれしかった。
久しぶりに人に仕事を褒められたような気がする・・・(言葉にして)
やっぱりこういう仕事をしていかないとだめだな。
自分の得意分野で勝負する。
いい仕事ができると、気持ちいいもん

それに、人を取材すると、少しだけ「範囲」が広がる。
狭い世界で生きている自分だけど、もう少しだけ見えるものが増える。
それが楽しくて、この仕事を辞められない。
昨晩の夜中もまた夢にうなされ、自分の大声で目が覚める。
布団の中に入っていた黒い物体に右手の小指を噛まれるという、なんとも恐ろしい夢だった
新年、すでに2回目の悪夢。
新年を迎えてもずっと鬱状態で過ごした1週間。
無気力状態でぼんやりとしていた。
ブログを書こうにも、何もしていないし何も考えていないので、ネタもない。
そんな憂鬱に支配された日々。
でも、今朝、やっと元気になった。
「元気になった」というのも変な表現で、別に「元気がなかった」わけでもないのだが、
なんというか、自分の中から力が湧いてくるのを感じている。
単純な話、仕事をしたからだ。
午前中、ちょっと仕事をしただけでパワー充電!
文章を書いていると、自分が生きていることを実感できる。
言葉とリズム。
想像と創造。
自分の想いが言葉になって刻まれるということは、なんて素敵なことなんだろう。
いろいろ悩んでいたけれど、結局、戻ってくるところはここ(書く仕事)しかなくて。
じゃあ、もう悩まなければいいのに、といつも思う
恋愛と同じかもしれない。
好きだから、悩む。
ちょっとしたことにも一喜一憂する。
そして、幸せにも不幸にもなる。
今はビートルズの「ラバー・ソウル」を聴きながら、久しぶりに穏やかな気持ちでいる。
布団の中に入っていた黒い物体に右手の小指を噛まれるという、なんとも恐ろしい夢だった

新年、すでに2回目の悪夢。
新年を迎えてもずっと鬱状態で過ごした1週間。
無気力状態でぼんやりとしていた。
ブログを書こうにも、何もしていないし何も考えていないので、ネタもない。
そんな憂鬱に支配された日々。
でも、今朝、やっと元気になった。
「元気になった」というのも変な表現で、別に「元気がなかった」わけでもないのだが、
なんというか、自分の中から力が湧いてくるのを感じている。
単純な話、仕事をしたからだ。
午前中、ちょっと仕事をしただけでパワー充電!

文章を書いていると、自分が生きていることを実感できる。
言葉とリズム。
想像と創造。
自分の想いが言葉になって刻まれるということは、なんて素敵なことなんだろう。
いろいろ悩んでいたけれど、結局、戻ってくるところはここ(書く仕事)しかなくて。
じゃあ、もう悩まなければいいのに、といつも思う

恋愛と同じかもしれない。
好きだから、悩む。
ちょっとしたことにも一喜一憂する。
そして、幸せにも不幸にもなる。
今はビートルズの「ラバー・ソウル」を聴きながら、久しぶりに穏やかな気持ちでいる。
昨晩もまた夢にうなされた。
例によって、私の声で夫が飛び起きた。
朝、「そのうち、俺のほうがショック死してしまうんちゃうか
」と言われた。
本当に申し訳ない。
どんな夢だったか話したら、「聞いてるだけで怖い……」とびびって会社へ行ってしまった。
確かに怖い夢だった。
心に闇があるのか、ストレスによるものか。
年々、うなされる回数が増えてきていることは間違いない。
昔は年に1、2回程度だったのに。
なぜこうなったのか、自分には全くわからない。
こういうときの精神状態は「憂鬱」というよりは「苛立ち」に近い感じはあるので、ストレスなのかな。
なんだかわからないけど、淋しいなぁ。
なんやろ、この感じは。
ずーっとモヤモヤしている。
また旅に出たくなってきた。
いや、とりあえず仕事だ。
目の前の仕事を片付けなければ。
例によって、私の声で夫が飛び起きた。
朝、「そのうち、俺のほうがショック死してしまうんちゃうか

本当に申し訳ない。
どんな夢だったか話したら、「聞いてるだけで怖い……」とびびって会社へ行ってしまった。
確かに怖い夢だった。
心に闇があるのか、ストレスによるものか。
年々、うなされる回数が増えてきていることは間違いない。
昔は年に1、2回程度だったのに。
なぜこうなったのか、自分には全くわからない。
こういうときの精神状態は「憂鬱」というよりは「苛立ち」に近い感じはあるので、ストレスなのかな。
なんだかわからないけど、淋しいなぁ。
なんやろ、この感じは。
ずーっとモヤモヤしている。
また旅に出たくなってきた。
いや、とりあえず仕事だ。
目の前の仕事を片付けなければ。
この時期になると、喪中ハガキが何枚か届く。
今年もちらほら、3、4枚。
同級生の親世代が亡くなるような歳になってしまったな・・・
そんなことを考えながら淋しい気持ちでハガキを見ていたら、目が留まった。
喪中ハガキにしては珍しく、小さな字がぎっしりと印刷されている。
見ると、高校時代の部活の顧問の先生のものだった。
今年の1月9日、先生は亡くなった。
このブログにもお通夜の様子は書いたと思う。
まだ52歳という若さ。
食道動脈瘤破裂出血性ショックが死因だった。
普通にお正月を迎え、元気に何事もなく暮らしていた、そんな中での突然死。
ご家族の気持ちを思うとやりきれない。
この先生と私は特に親しかったわけではない。年賀状のやりとりすら行っていなかった。
10年以上ぶりの再会が、あのお通夜。
部員からの知らせでなんとか参列させてもらうことができた。
思い入れがあるのは、先生の奥さんが私の同級生だったからということもあって。
同じ部活のメンバーだった。
私は特に仲良くはしていないし、ほとんどしゃべったこともなかったが、
それでも同級生ということで、印象には残っていた。
お通夜で、打ちひしがれながらも、気丈に挨拶をしていた彼女を思い出すと、今でも涙が出てくる。
その先生のご両親からの喪中ハガキ。
普通は定型文で送られてくるものだが(それで十分だと思うが)、ぎっしりと細かい字で書かれたハガキを見て、
ご両親の悔しさ、悲しさ、淋しさ・・・いろんなものが伝わってきた。
以下、失礼ながら一部抜粋。
今も悲しさと、寂しさ、悔しさをかみ締めております。
正月二日、家族で新年の会食をして、一週間後の死です。
体育の教師をしておりましたので、体を過信していたのでしょう。
今でも「只今」と帰って来る気がいたします。
いろいろな面で、お世話になった皆様、長い間のお付き合いをありがとうございました。
折に触れて思い出してやっていただければと願っています。
ご両親はお二人ともご健在のようで、差出人はご両親の名前だった。
おそらくまだ70代だろう。
自分より先に息子が逝ってしまう、それもある日、何の前触れもなく、突然に。
そのショックを思うだけで、胸が痛い。
喪中ハガキを見て泣いたのなんて、初めてのこと。
一文一文、一言一言から、悲痛な叫びが聞こえてくるかのようで、読むごとにキリキリと心を締め付けられた。
いつ、突然やってくるかもわからない「死」。
今日生きていることのほうが奇跡なんだと、そんな気持ちで感謝して生きなければならないと思う。
先生、ありがとう。
改めてご冥福をお祈りします。
今年もちらほら、3、4枚。
同級生の親世代が亡くなるような歳になってしまったな・・・
そんなことを考えながら淋しい気持ちでハガキを見ていたら、目が留まった。
喪中ハガキにしては珍しく、小さな字がぎっしりと印刷されている。
見ると、高校時代の部活の顧問の先生のものだった。
今年の1月9日、先生は亡くなった。
このブログにもお通夜の様子は書いたと思う。
まだ52歳という若さ。
食道動脈瘤破裂出血性ショックが死因だった。
普通にお正月を迎え、元気に何事もなく暮らしていた、そんな中での突然死。
ご家族の気持ちを思うとやりきれない。
この先生と私は特に親しかったわけではない。年賀状のやりとりすら行っていなかった。
10年以上ぶりの再会が、あのお通夜。
部員からの知らせでなんとか参列させてもらうことができた。
思い入れがあるのは、先生の奥さんが私の同級生だったからということもあって。
同じ部活のメンバーだった。
私は特に仲良くはしていないし、ほとんどしゃべったこともなかったが、
それでも同級生ということで、印象には残っていた。
お通夜で、打ちひしがれながらも、気丈に挨拶をしていた彼女を思い出すと、今でも涙が出てくる。
その先生のご両親からの喪中ハガキ。
普通は定型文で送られてくるものだが(それで十分だと思うが)、ぎっしりと細かい字で書かれたハガキを見て、
ご両親の悔しさ、悲しさ、淋しさ・・・いろんなものが伝わってきた。
以下、失礼ながら一部抜粋。
今も悲しさと、寂しさ、悔しさをかみ締めております。
正月二日、家族で新年の会食をして、一週間後の死です。
体育の教師をしておりましたので、体を過信していたのでしょう。
今でも「只今」と帰って来る気がいたします。
いろいろな面で、お世話になった皆様、長い間のお付き合いをありがとうございました。
折に触れて思い出してやっていただければと願っています。
ご両親はお二人ともご健在のようで、差出人はご両親の名前だった。
おそらくまだ70代だろう。
自分より先に息子が逝ってしまう、それもある日、何の前触れもなく、突然に。
そのショックを思うだけで、胸が痛い。
喪中ハガキを見て泣いたのなんて、初めてのこと。
一文一文、一言一言から、悲痛な叫びが聞こえてくるかのようで、読むごとにキリキリと心を締め付けられた。
いつ、突然やってくるかもわからない「死」。
今日生きていることのほうが奇跡なんだと、そんな気持ちで感謝して生きなければならないと思う。
先生、ありがとう。
改めてご冥福をお祈りします。
昨晩、やさぐれてお酒を飲んで、床でごろ寝してしまったら、風邪悪化
当たり前か・・・
咳で胸が苦しい。
そういえば、数ヶ月前に、夫の友達が結核になって入院した。
昔、日本では結核で死ぬ人も多かったようだが、今となっては堀辰雄の文学に出てくるような印象しかなく、「ほんまかいな」と驚いた。
でも、一番驚いたのは本人だっただろう。
まさか結核だなんて思わないから、かなり重症になるまで処置を行っておらず、深刻な事態に陥ってしまった。
退院はしたけれど、元通りとはいかないようだ。
すごく向上心があって、知識欲があって、野望があって。
人の話を聞くのも上手だし、営業マンとしての才覚も現していたような人だった。
いつも素直で、人当たりも良く、少なくとも私に対してはキラキラした目で仕事のことなどを語ってくれていた。
なので、病気のことを聞いたときはショックだったけど、本当に辛いのは本人やし。
何か力になれることがあれば・・・と夫とよく話すが、何もできず。
一日も早く体力が回復して、また仕事で活躍できることを祈るのみ。
健康は一番大事だなぁとつくづく思う。
心と体が元気だったら、いろんなことがあっても何とかなる。
私もそろそろ定期健診行かないと
その前に、今日は風邪を絶対治そうと思い、早々とお風呂も入って寝る用意も万全。
もちろんお酒も飲んでいない。
仕事も切り上げて、お茶飲んでくつろいでいたら、電話が鳴った。
着信を見ると、仕事関係。
22時だったので「こんな時間に?」と思ったが、急用だったら困るので出てみた。
例のベンチャーの若い人の集まりの企業だ。
朝や昼間と全く変わらず、「今いいですかー?」みたいなノリ
いやいや・・・
そりゃ、こういう仕事やから時間関係なく原稿書いているときもあるけど、別に急ぎのものを任されてる最中じゃないし。
何かと思えば、「今日中にアップする」と言っていた写真を今からアップするから、キャプションをつけてくれ、という話。
いやいや・・・
今日中とか明日の朝までの仕事なら、今言うのも構わないけど、締め切りは明日の夕方。
こんな遅くになったのは自分の責任なんだし、私に今それを連絡する必要があるのか?
とりあえず、不機嫌そうな声で「確認してやっときます」と言ったら、
「あ、じゃあアップしたら後でまた電話しますね」と言う。
いやいや・・・
明日でええやん。なんで?
もうすっかりオフモードやのに、これ以上電話したくないで・・・
さすがに「いやちょっと非常識ちゃいますの?こんな時間やのに。確認したらやっときますので、それでいいですか?」と怒ってしまった。
「あ!すみません・・・」と向こうも困った感じ。
そうなると、私も強く出るのがイヤになって、「まー、あのー、やっとくんで・・・」みたいな感じでもごもごして終わった。
電話を切ってから、友達と「今の若い人は『夜分にすみません』の一言が出ない」という話をしていたことを思い出した。
(もちろん、出る人もいるんだろうけど)
「家電話文化」がないからなぁ・・・
友達の家でも9時くらいを過ぎたら、「夜分にすみませんが、●●ちゃんいらっしゃいますか?」というのが常識だった。
それを経験してない世代だなぁと思った。まさに!!
もし、彼がそれを最初に私に言ってくれていたら、私もそんなに怒らなかったんだけどなぁ
やはり、「携帯電話は18歳から」にすべきだと思う。
防犯のために小さい子に持たせるとか、いい使い方もあるのはわかるけど。
「家電文化」を経験したおかげで、いろんなことを学べたと思う。
親が横で口うるさく「切れ、切れ」と言ってくるのもストレスだったけど、あの「ストレス」を経験するのも大事な気がする。
社会生活を送るための小さな「訓練」というか。
男の子から電話がかかってきたりしたら、もう家中が大騒ぎで、「誰?誰?」「何?何?」と干渉されたものだ。
めちゃくちゃ鬱陶しかったけど、あれも大事やったと思う。
自分の子供の交友関係がわからん今のほうが怖いよな・・・
同じ世代の人と話すと、家電の話って、結構盛り上がる
「家電あるある」が豊富だし、懐かしさで笑えてくる。
そういえば、携帯電話を左耳で聞くか、右耳で聞くかで年齢がわかるらしい。(テレビでやってた)
「利き耳」というのがあるので(耳を壁に当てて音を聞くときなどにとっさに当ててしまう方の耳)、それも関係してくるのだが、
利き耳は右なのに、携帯電話は左耳で聞いてしまうという人がアラフォー以上には多いという。
10代・20代はその逆。
利き耳が右なら、携帯も右という人が多い。
理由を聞いてちょっとショックを受けた。
理由は、私の世代以上の人は「黒電話」文化を経験しているから、らしい
黒電話って、コードの関係で左手で持つようになっているので、子供の頃からそれが習慣になり、コードのない携帯電話になっても左で持ってしまう・・・ということみたいだ。
人が集まるときにこれを話すと、わりと盛り上がる(笑)
やっぱりアラフォーは圧倒的に左携帯が多い。
私も例に漏れず・・・
黒電話か・・・懐かしいな。
呼び出し音が異常に大きかったよな。
友達は「子供はもうダイヤル式の電話のかけかたがわからん」と言っていた
なんか、自分が普通に高校くらいまで使っていたものが「古道具」みたいになってると思うと、ややショック。
年齢を実感させられた
「夜分にすみません」にこだわるのも、年寄りっぽいなぁ・・・
そうは思いつつも、営業の彼に怒ってしまったのだった。

当たり前か・・・
咳で胸が苦しい。
そういえば、数ヶ月前に、夫の友達が結核になって入院した。
昔、日本では結核で死ぬ人も多かったようだが、今となっては堀辰雄の文学に出てくるような印象しかなく、「ほんまかいな」と驚いた。
でも、一番驚いたのは本人だっただろう。
まさか結核だなんて思わないから、かなり重症になるまで処置を行っておらず、深刻な事態に陥ってしまった。
退院はしたけれど、元通りとはいかないようだ。
すごく向上心があって、知識欲があって、野望があって。
人の話を聞くのも上手だし、営業マンとしての才覚も現していたような人だった。
いつも素直で、人当たりも良く、少なくとも私に対してはキラキラした目で仕事のことなどを語ってくれていた。
なので、病気のことを聞いたときはショックだったけど、本当に辛いのは本人やし。
何か力になれることがあれば・・・と夫とよく話すが、何もできず。
一日も早く体力が回復して、また仕事で活躍できることを祈るのみ。
健康は一番大事だなぁとつくづく思う。
心と体が元気だったら、いろんなことがあっても何とかなる。
私もそろそろ定期健診行かないと

その前に、今日は風邪を絶対治そうと思い、早々とお風呂も入って寝る用意も万全。
もちろんお酒も飲んでいない。
仕事も切り上げて、お茶飲んでくつろいでいたら、電話が鳴った。
着信を見ると、仕事関係。
22時だったので「こんな時間に?」と思ったが、急用だったら困るので出てみた。
例のベンチャーの若い人の集まりの企業だ。
朝や昼間と全く変わらず、「今いいですかー?」みたいなノリ

いやいや・・・
そりゃ、こういう仕事やから時間関係なく原稿書いているときもあるけど、別に急ぎのものを任されてる最中じゃないし。
何かと思えば、「今日中にアップする」と言っていた写真を今からアップするから、キャプションをつけてくれ、という話。
いやいや・・・
今日中とか明日の朝までの仕事なら、今言うのも構わないけど、締め切りは明日の夕方。
こんな遅くになったのは自分の責任なんだし、私に今それを連絡する必要があるのか?

とりあえず、不機嫌そうな声で「確認してやっときます」と言ったら、
「あ、じゃあアップしたら後でまた電話しますね」と言う。
いやいや・・・
明日でええやん。なんで?
もうすっかりオフモードやのに、これ以上電話したくないで・・・

さすがに「いやちょっと非常識ちゃいますの?こんな時間やのに。確認したらやっときますので、それでいいですか?」と怒ってしまった。
「あ!すみません・・・」と向こうも困った感じ。
そうなると、私も強く出るのがイヤになって、「まー、あのー、やっとくんで・・・」みたいな感じでもごもごして終わった。
電話を切ってから、友達と「今の若い人は『夜分にすみません』の一言が出ない」という話をしていたことを思い出した。
(もちろん、出る人もいるんだろうけど)
「家電話文化」がないからなぁ・・・
友達の家でも9時くらいを過ぎたら、「夜分にすみませんが、●●ちゃんいらっしゃいますか?」というのが常識だった。
それを経験してない世代だなぁと思った。まさに!!
もし、彼がそれを最初に私に言ってくれていたら、私もそんなに怒らなかったんだけどなぁ

やはり、「携帯電話は18歳から」にすべきだと思う。
防犯のために小さい子に持たせるとか、いい使い方もあるのはわかるけど。
「家電文化」を経験したおかげで、いろんなことを学べたと思う。
親が横で口うるさく「切れ、切れ」と言ってくるのもストレスだったけど、あの「ストレス」を経験するのも大事な気がする。
社会生活を送るための小さな「訓練」というか。
男の子から電話がかかってきたりしたら、もう家中が大騒ぎで、「誰?誰?」「何?何?」と干渉されたものだ。
めちゃくちゃ鬱陶しかったけど、あれも大事やったと思う。
自分の子供の交友関係がわからん今のほうが怖いよな・・・
同じ世代の人と話すと、家電の話って、結構盛り上がる

「家電あるある」が豊富だし、懐かしさで笑えてくる。
そういえば、携帯電話を左耳で聞くか、右耳で聞くかで年齢がわかるらしい。(テレビでやってた)
「利き耳」というのがあるので(耳を壁に当てて音を聞くときなどにとっさに当ててしまう方の耳)、それも関係してくるのだが、
利き耳は右なのに、携帯電話は左耳で聞いてしまうという人がアラフォー以上には多いという。
10代・20代はその逆。
利き耳が右なら、携帯も右という人が多い。
理由を聞いてちょっとショックを受けた。
理由は、私の世代以上の人は「黒電話」文化を経験しているから、らしい

黒電話って、コードの関係で左手で持つようになっているので、子供の頃からそれが習慣になり、コードのない携帯電話になっても左で持ってしまう・・・ということみたいだ。
人が集まるときにこれを話すと、わりと盛り上がる(笑)
やっぱりアラフォーは圧倒的に左携帯が多い。
私も例に漏れず・・・

黒電話か・・・懐かしいな。
呼び出し音が異常に大きかったよな。
友達は「子供はもうダイヤル式の電話のかけかたがわからん」と言っていた

なんか、自分が普通に高校くらいまで使っていたものが「古道具」みたいになってると思うと、ややショック。
年齢を実感させられた

「夜分にすみません」にこだわるのも、年寄りっぽいなぁ・・・
そうは思いつつも、営業の彼に怒ってしまったのだった。
今夜は久しぶりに、真夜中に1人、グラスを傾けながらパソコンに向かっている。
「こういう時間」をもたないとあかんなぁと思う今日この頃。
年をとるにつれて怠惰になっていく自分を感じる。
35歳くらいまで、信じられないくらい働いても「しんどい」と思ったことがなかったし、
ついこの間まで何事に対しても「面倒くさい」と思ったことがあまりなかったように思う。
それが今はどうだろう、なんだかしんどいなと思うことも増えたし、たまにいろんなことを面倒だと思う自分に気づいてはっとする。
これは年齢による「衰え」なんだろうか?
最初に書いた「こういう時間」というのは、「自分を見つめる時間」という意味。
20代後半は本当に忙しかった。
寝る時間もないほど働いていた。
だけど、「毎日」日記を書いていた。
昔から読んでくれている人はそれを知っていると思う。
本当に、「毎日」書いていた。何年間も。
あのパワーと情熱は一体どこに行ってしまったんだろう?
見方を変えてみる。
あの頃は書くことが「はけ口」だった。
今は「はけ口」を必要としていないほど生活が充実している。
だから書く必要がない。
パワーや情熱がなくなったわけではない。
そういう考え方もできる。
どっちも誇張していないし、どっちも正しい。
こういうニュートラルな考え方は悪くない。
でも、とても私らしくない。
卑屈で偏って、とことん自分を追い詰める。
そういう生き方のほうが似合っている気がするなぁ。
本人は疲れるけど
一年を振り返るにはまだ少し早いかもしれないけど、
40歳という年齢だからか、今年は本当にターニングポイントだったように思う。
いろんな面で、いろんな意味で。
いろいろと悩んでいる。
誰かに話したい気持ちもある。
でも、友達に会うと言葉は出てこない。
隠すとかそういうことではなく、ただ安心して「もういいや」という気持ちになるから。
文章にするのはこんなにも簡単なのに、話をするのはどうして難しいんだろう。
いつもあんなにペラペラとくだらない話は出てくるのだから、もっと大事なことを話せればいいのに。
この間、もんちゃんとの旅の途中、ようやく本当の意味での「話」ができるようになって、
「ああ、これから」というときに、旅の終わりの時間が来た。
二人とも「これからやったのに・・・」という思いでいっぱいだった。
帰りのバスの中で思い出した。
「旅は3日目から」だったなぁ・・・と。
これは私が昔、気に入ってよく使っていたフレーズ。
旅に出ても1日目は日常が抜けない。はしゃいだ気分とお客さん的な気分とで終わる。
2日目は日常が抜けてくる。旅を楽しみ始める。
3日目から、非日常が訪れる。ルーティンワークをこなすような毎日から離れる。実質的にも、心も。
そこから自分を見つめることがようやくできるのだ。
まさに3日目、やっと非日常が訪れ、本当の「話」ができるようになった頃、終わりが来た。
「話したりない!」と二人ともが言った。「これからやったのに」と。
旅に出ても3日目からやのに、日常の中で私に「話」なんてできるはずもなく。
ここもいろいろと書きづらくなってしまい、心がまとまらなくなってしまった。
だからだろうか、最近はいつも悶々としている。
自分の中の整理ができない。
でも、今日は少し書いてみよう。
うまく書けるかわからないが、少し書こう。
1ヵ月前くらいだろうか、夫の実家へ行った。
その時、おかあさんが言いにくそうに、「おめでたらしいよ」と言った。
夫の兄夫婦のことだ。
「わー、よかったですねー」と私はすぐ喜びの反応を見せたのだが、話は全く盛り上がらなかった。
他の話になってしまったので、「で、予定日はいつなんですか?」と無理やり話を戻さないといけないほどだった。
気を遣ってるんだなぁと思った。
そんな必要は全くないのだが、そういう話をしたことがないし、おかあさんにとったらタブーな話なんだろう。
その気遣いはとても嬉しかったが、不必要でもあった。
帰りのバスの中で、なぜかビートルズの「イエロー・サブマリン」が流れていた。
何の脈略もない。思い出もない。関連性もゼロ。
なのに、ずっと好きでもない「イエロー・サブマリン」が流れ続けていた。
(紙の上なら、「好きでもない」に傍点を打ちたい)
このときの気持ちを一言で表すなら、「あちゃー」という感じだ。
正直、落ち込んでいた。
でも、それは、例えば義理のおねえさんには子供ができて、自分にはできないとか、そういう感情ではなかった。
前から書いているように、自分はどうしても子供が欲しいわけではないし、それに対して何か努力をしているわけでもない。
だから、昼のメロドラマ的に「なんであの人にできて、私にはできないのー!」みたいなのは微塵もなかった。
でも、落ち込んでいた。
いつもの分析癖で、なんで落ち込んでいるんだろうかと分析してみたら、答えは簡単だった。
「もう理由がないから」
お兄さん夫婦は、結婚して7年目。
義理のおねえさんは最初から専業主婦で、特にこれといって没頭する趣味があるとか、そういうわけでもない。
だから、失礼な話だけれど、たぶん子供が欲しくてもできないんだろうなーと勝手に思っていたのだ。
それは環境として「産まない理由」は見つからなかったし、年も私より4つ下くらいで結構な年だから、不妊ということも大いにありうると思ったからだ。
夫のおかあさんは夫を含めて3人の息子を生み、体が弱いのにここまで育てあげた。
それなのに、孫を1人も見ることができない。(もう1人のお兄さんはまだ結婚していない)
それはあまりにも気の毒だと私は思っていた。
おねえさんが無理なら私が生まないと!
これが、私が子供を生もうかと考えた一番の理由だった。
それが、「おめでた」だと聞いた瞬間、「あ、もう理由がなくなった」と思った。
もう誰のせいにも、誰かのためにもできない。
「自分」がどうしたいか?
それだけが選択肢の決め手になる。
私はそのことに落ち込んでいたのだった。
落ち込むというより、恐怖に近かったかもしれない。
もう逃げられない、もう自分で決めるしかないという・・・
イエロー・サブマリンがずっと流れていた。
悩んでいる時間はもうない。
タイムリミットはもうそこまできている。
答えを出さないといけないのに、私にはどうしても出すことができない。
白黒はっきりさせないと気がすまない私だから、
答えが出なくなって迫られる「選択」はとても苦手だ。
昔も一度、別のことで「選択」に悩んだことがあったっけ。
世の中で一番嫌いなことがこの「選択」という作業だ。
グレーでいるのは気持ち悪い。
かといって、白黒もはっきりできない。
この感じが一番しんどい。
だから、最近落ち込んでいるんだろうなぁ・・・
でも、私は絶対に考えることから逃げたくない。
考えに考えて、それで出した結論だったら、どんなことになっても後悔しないと思うから。
昔、「いーーーーっつも何か考えてますよねー!」と、相場さんに言われたっけ(笑)
でも、自分の信条として、「反省はしても、後悔はしない人生」というのがある。
いつも100%で、ひたむきに、真摯に、できるだけのことをしたら、反省はしても後悔はしないだろうと思っている。
これまでもそうだった。山ほど失敗はあるけど。
それに、ちょこちょことだけど、友達に話をする中で、少しずつだけど心がまとまりつつもある。
プライベートすぎて書けない話もあるので、書けることだけ。
ちょっと前、ふみことあやと飲みに行って、その帰りにふみこと二人で立ち話をしていた。
だいたい上に書いたようなことを初めてふみこに話した。
「みんな不安だ」という経験者の話や、ふみこらしい冷静な判断をもらえた。
もう少し深く考えてみようと思えることがいろいろとあり、考え方が少しステップアップした。
もんちゃんとの旅の途中、もんちゃんが言ってくれた言葉も嬉しかった。
私が子供を生んだら、「絶対子育てがうまいと思う」と。その姿が容易に想像できると、言ってくれた。
私も子育てについての不安というのはないのだ。
もちろん、その子の性質もあるのだろうけど、私は、自分が母に育てられたように育てればいいと、単純にそう思っている。
感謝することも、物事の善悪も、美しいものを愛する心も、「教育はお金には変えられない財産」という考え方も、今私の核を作っている全部が母の教えだから。
学歴なんて捨てて就職活動もせずに「作家になる」と言った私を何の躊躇もなく応援してくれたのも母だった。
(無邪気に「早く直木賞とって!」といわれるのは困ったが・・・)
人の道にそれたことでなければ、私がやりたいことを絶対に否定することはなかった。
少ないけれど「好きな自分」というのは、全部母の影響を受けた自分だ。
だから、それを同じようにやればいいと、そう思っている。
でも、これは私の勝手な思いだったから、もんちゃんに肯定されたのはとても嬉しかった。
結局、私が悩んでいるのは、子育てではなく、その子の存在なのだ。
でも、それも、随分と楽になる言葉をかどやがくれた。
夏くらいだったろうか。
二人でワインボトルを2本あけた夜。
私は、自分が好きじゃなくて、いろんな劣等感で生きていくのがずっとつらかった。
でも、友達やいろんな人のおかげで、なんとか今幸せに生きている。
私はなんとかやってこれた。
だけど、私の子供はそうじゃないかもしれない。
「私は、私みたいな子が生まれるのが怖い。私はなんとかやれたけど、その子はわからない」
私はそう言った。
40歳にもなって、まだ自分のことで悩んでいて、自分のことで精一杯の私。
ただでさえ感情移入しやすいのに、そんな自分の分身みたいな人間がそばにいたらもう無理だ。
「私みたいな子が生まれたら、かわいそうやん・・・」
私のこんな言葉に、かどやが言った。
「じゃあ、その子には、また私みたいな友達ができるやん!」
あ・・・・?
一瞬、なんだかわからなかった。
だけど、その後、涙がボロボロこぼれて、お店だというのに止まらなくなってしまった。
(ワインボトル2本も大いに効いている)
「そんなことないよー」とか「なんとかなるよー」とか、そういう言葉を想像していたのに、意表をつかれた。
そうか・・・私みたいな子が生まれたら、その子には、またかどやみたいな友達ができるのか・・・
何の確信もない言葉だったけれど、なんて心強い言葉なんだろうかと思った。
やっぱり、すごいなぁ、この人は・・・と思った瞬間だった。
いろんな人に少しずつだけど機会があれば話もして、言葉をもらって、考えている。
答えはまだ出ない。
グレーゾーンの、一番しんどい時間。
でも、絶対に後悔しないよう、何が何でも考える。
とりあえず、今書けることを書いた。
次に会って、何か言葉があったらください。
「こういう時間」をもたないとあかんなぁと思う今日この頃。
年をとるにつれて怠惰になっていく自分を感じる。
35歳くらいまで、信じられないくらい働いても「しんどい」と思ったことがなかったし、
ついこの間まで何事に対しても「面倒くさい」と思ったことがあまりなかったように思う。
それが今はどうだろう、なんだかしんどいなと思うことも増えたし、たまにいろんなことを面倒だと思う自分に気づいてはっとする。
これは年齢による「衰え」なんだろうか?
最初に書いた「こういう時間」というのは、「自分を見つめる時間」という意味。
20代後半は本当に忙しかった。
寝る時間もないほど働いていた。
だけど、「毎日」日記を書いていた。
昔から読んでくれている人はそれを知っていると思う。
本当に、「毎日」書いていた。何年間も。
あのパワーと情熱は一体どこに行ってしまったんだろう?
見方を変えてみる。
あの頃は書くことが「はけ口」だった。
今は「はけ口」を必要としていないほど生活が充実している。
だから書く必要がない。
パワーや情熱がなくなったわけではない。
そういう考え方もできる。
どっちも誇張していないし、どっちも正しい。
こういうニュートラルな考え方は悪くない。
でも、とても私らしくない。
卑屈で偏って、とことん自分を追い詰める。
そういう生き方のほうが似合っている気がするなぁ。
本人は疲れるけど

一年を振り返るにはまだ少し早いかもしれないけど、
40歳という年齢だからか、今年は本当にターニングポイントだったように思う。
いろんな面で、いろんな意味で。
いろいろと悩んでいる。
誰かに話したい気持ちもある。
でも、友達に会うと言葉は出てこない。
隠すとかそういうことではなく、ただ安心して「もういいや」という気持ちになるから。
文章にするのはこんなにも簡単なのに、話をするのはどうして難しいんだろう。
いつもあんなにペラペラとくだらない話は出てくるのだから、もっと大事なことを話せればいいのに。
この間、もんちゃんとの旅の途中、ようやく本当の意味での「話」ができるようになって、
「ああ、これから」というときに、旅の終わりの時間が来た。
二人とも「これからやったのに・・・」という思いでいっぱいだった。
帰りのバスの中で思い出した。
「旅は3日目から」だったなぁ・・・と。
これは私が昔、気に入ってよく使っていたフレーズ。
旅に出ても1日目は日常が抜けない。はしゃいだ気分とお客さん的な気分とで終わる。
2日目は日常が抜けてくる。旅を楽しみ始める。
3日目から、非日常が訪れる。ルーティンワークをこなすような毎日から離れる。実質的にも、心も。
そこから自分を見つめることがようやくできるのだ。
まさに3日目、やっと非日常が訪れ、本当の「話」ができるようになった頃、終わりが来た。
「話したりない!」と二人ともが言った。「これからやったのに」と。
旅に出ても3日目からやのに、日常の中で私に「話」なんてできるはずもなく。
ここもいろいろと書きづらくなってしまい、心がまとまらなくなってしまった。
だからだろうか、最近はいつも悶々としている。
自分の中の整理ができない。
でも、今日は少し書いてみよう。
うまく書けるかわからないが、少し書こう。
1ヵ月前くらいだろうか、夫の実家へ行った。
その時、おかあさんが言いにくそうに、「おめでたらしいよ」と言った。
夫の兄夫婦のことだ。
「わー、よかったですねー」と私はすぐ喜びの反応を見せたのだが、話は全く盛り上がらなかった。
他の話になってしまったので、「で、予定日はいつなんですか?」と無理やり話を戻さないといけないほどだった。
気を遣ってるんだなぁと思った。
そんな必要は全くないのだが、そういう話をしたことがないし、おかあさんにとったらタブーな話なんだろう。
その気遣いはとても嬉しかったが、不必要でもあった。
帰りのバスの中で、なぜかビートルズの「イエロー・サブマリン」が流れていた。
何の脈略もない。思い出もない。関連性もゼロ。
なのに、ずっと好きでもない「イエロー・サブマリン」が流れ続けていた。
(紙の上なら、「好きでもない」に傍点を打ちたい)
このときの気持ちを一言で表すなら、「あちゃー」という感じだ。
正直、落ち込んでいた。
でも、それは、例えば義理のおねえさんには子供ができて、自分にはできないとか、そういう感情ではなかった。
前から書いているように、自分はどうしても子供が欲しいわけではないし、それに対して何か努力をしているわけでもない。
だから、昼のメロドラマ的に「なんであの人にできて、私にはできないのー!」みたいなのは微塵もなかった。
でも、落ち込んでいた。
いつもの分析癖で、なんで落ち込んでいるんだろうかと分析してみたら、答えは簡単だった。
「もう理由がないから」
お兄さん夫婦は、結婚して7年目。
義理のおねえさんは最初から専業主婦で、特にこれといって没頭する趣味があるとか、そういうわけでもない。
だから、失礼な話だけれど、たぶん子供が欲しくてもできないんだろうなーと勝手に思っていたのだ。
それは環境として「産まない理由」は見つからなかったし、年も私より4つ下くらいで結構な年だから、不妊ということも大いにありうると思ったからだ。
夫のおかあさんは夫を含めて3人の息子を生み、体が弱いのにここまで育てあげた。
それなのに、孫を1人も見ることができない。(もう1人のお兄さんはまだ結婚していない)
それはあまりにも気の毒だと私は思っていた。
おねえさんが無理なら私が生まないと!
これが、私が子供を生もうかと考えた一番の理由だった。
それが、「おめでた」だと聞いた瞬間、「あ、もう理由がなくなった」と思った。
もう誰のせいにも、誰かのためにもできない。
「自分」がどうしたいか?
それだけが選択肢の決め手になる。
私はそのことに落ち込んでいたのだった。
落ち込むというより、恐怖に近かったかもしれない。
もう逃げられない、もう自分で決めるしかないという・・・
イエロー・サブマリンがずっと流れていた。
悩んでいる時間はもうない。
タイムリミットはもうそこまできている。
答えを出さないといけないのに、私にはどうしても出すことができない。
白黒はっきりさせないと気がすまない私だから、
答えが出なくなって迫られる「選択」はとても苦手だ。
昔も一度、別のことで「選択」に悩んだことがあったっけ。
世の中で一番嫌いなことがこの「選択」という作業だ。
グレーでいるのは気持ち悪い。
かといって、白黒もはっきりできない。
この感じが一番しんどい。
だから、最近落ち込んでいるんだろうなぁ・・・
でも、私は絶対に考えることから逃げたくない。
考えに考えて、それで出した結論だったら、どんなことになっても後悔しないと思うから。
昔、「いーーーーっつも何か考えてますよねー!」と、相場さんに言われたっけ(笑)
でも、自分の信条として、「反省はしても、後悔はしない人生」というのがある。
いつも100%で、ひたむきに、真摯に、できるだけのことをしたら、反省はしても後悔はしないだろうと思っている。
これまでもそうだった。山ほど失敗はあるけど。
それに、ちょこちょことだけど、友達に話をする中で、少しずつだけど心がまとまりつつもある。
プライベートすぎて書けない話もあるので、書けることだけ。
ちょっと前、ふみことあやと飲みに行って、その帰りにふみこと二人で立ち話をしていた。
だいたい上に書いたようなことを初めてふみこに話した。
「みんな不安だ」という経験者の話や、ふみこらしい冷静な判断をもらえた。
もう少し深く考えてみようと思えることがいろいろとあり、考え方が少しステップアップした。
もんちゃんとの旅の途中、もんちゃんが言ってくれた言葉も嬉しかった。
私が子供を生んだら、「絶対子育てがうまいと思う」と。その姿が容易に想像できると、言ってくれた。
私も子育てについての不安というのはないのだ。
もちろん、その子の性質もあるのだろうけど、私は、自分が母に育てられたように育てればいいと、単純にそう思っている。
感謝することも、物事の善悪も、美しいものを愛する心も、「教育はお金には変えられない財産」という考え方も、今私の核を作っている全部が母の教えだから。
学歴なんて捨てて就職活動もせずに「作家になる」と言った私を何の躊躇もなく応援してくれたのも母だった。
(無邪気に「早く直木賞とって!」といわれるのは困ったが・・・)
人の道にそれたことでなければ、私がやりたいことを絶対に否定することはなかった。
少ないけれど「好きな自分」というのは、全部母の影響を受けた自分だ。
だから、それを同じようにやればいいと、そう思っている。
でも、これは私の勝手な思いだったから、もんちゃんに肯定されたのはとても嬉しかった。
結局、私が悩んでいるのは、子育てではなく、その子の存在なのだ。
でも、それも、随分と楽になる言葉をかどやがくれた。
夏くらいだったろうか。
二人でワインボトルを2本あけた夜。
私は、自分が好きじゃなくて、いろんな劣等感で生きていくのがずっとつらかった。
でも、友達やいろんな人のおかげで、なんとか今幸せに生きている。
私はなんとかやってこれた。
だけど、私の子供はそうじゃないかもしれない。
「私は、私みたいな子が生まれるのが怖い。私はなんとかやれたけど、その子はわからない」
私はそう言った。
40歳にもなって、まだ自分のことで悩んでいて、自分のことで精一杯の私。
ただでさえ感情移入しやすいのに、そんな自分の分身みたいな人間がそばにいたらもう無理だ。
「私みたいな子が生まれたら、かわいそうやん・・・」
私のこんな言葉に、かどやが言った。
「じゃあ、その子には、また私みたいな友達ができるやん!」
あ・・・・?
一瞬、なんだかわからなかった。
だけど、その後、涙がボロボロこぼれて、お店だというのに止まらなくなってしまった。
(ワインボトル2本も大いに効いている)
「そんなことないよー」とか「なんとかなるよー」とか、そういう言葉を想像していたのに、意表をつかれた。
そうか・・・私みたいな子が生まれたら、その子には、またかどやみたいな友達ができるのか・・・
何の確信もない言葉だったけれど、なんて心強い言葉なんだろうかと思った。
やっぱり、すごいなぁ、この人は・・・と思った瞬間だった。
いろんな人に少しずつだけど機会があれば話もして、言葉をもらって、考えている。
答えはまだ出ない。
グレーゾーンの、一番しんどい時間。
でも、絶対に後悔しないよう、何が何でも考える。
とりあえず、今書けることを書いた。
次に会って、何か言葉があったらください。
本当に優しいってことは、どういうことなのかなと、ずっと考えて生きてきた。
小学校のときに読んだ本の中に、
「優しいことは、強いのよ」
という言葉があった。
自分は、この言葉を大切にして生きてきた。
優しいっていうのは、性格が穏やかだとか、人とうまくやれるとか、愛情が深いとか、親切だとか、
そういうことではないと思っている。
想像力も大事だ。
相手がどう思うか、どんな気持ちになるか、自分のために何をしてくれているか、自分のことをどれほど思ってくれているか。
それを想像できない人というのは、時にとんでもなく人を傷つける。怒らせる。
そういう時、私は、ああ、この人は想像力が欠如してるんだなと思う。
自分に対しても当然そう。
人を怒らせたり傷つけたりすると、想像力の欠如を自身にも感じる。
想像力が欠如した人を、私は「優しい」とは思えない。
また、いわゆる「勇ましい」ことをやったり、強く自己主張したりすると、「強い人」という印象を人に与えてしまう。
それは、人々の考える「優しさ」とは間逆にあるかのようにも見える。
でも、私は、本当に強い人間なんていないと思っている。
みんな弱い。
ただ、「強くあろう」としているか否か、それだけの話だ。
強くあろうとするためには、人を見なければならない。
人の思いに気づかなければならない。
人の思いに応えるために、時には自分の枠を越えなければならない。
その勇気をもたなければならない。
それが、本当の「強さ」であり、優しさなんだと思っている。
私は昔、幸せになることが怖かった。
いつも少しだけ不幸がよかった。
それは、自分の手綱みたいなもので、それを放すと底のない井戸へ落ちてしまうような気がしていた。
でも、「私なんか」という言葉を、私から除いてくれたのは、友達だった。
劣等感の塊で、うまく生きていけない自分を、「それでいい」と認めてくれたのは友達だった。
いつもそばにいて、私を肯定してくれた。
「それはいけないよ」という批判はもちろんあっても、そんな駄目な部分も含んだ私という存在を肯定してくれた。
だから、私は、自分を越えようと思えた。
そうでなければ、この大好きな人たちを否定してしまうことになると思ったから。
夫もそう。
「未来には楽しいことがいっぱい待ってるから!」と、
自分の心の闇や本当に苦しいことは一切見せずに私に夢を見させてくれた。
本当にただの能天気な人の言葉だったら、ついてはいかなかったと思う。
そうじゃないから、私は自分が一番怖かったことを、越える決意をした。
私は強い人間ではないけれど、周りの人が強くしてくれた。
優しい人がいっぱいいたから、自分も前より優しくなれた。
でも、それは、自分がちゃんと人とまっすぐに接して、見て聞いて、感じて、話して、敬意をもってきたからだと思う。
そうでなければ、どんなにいい人たちに囲まれていても、昔の自分を越えられなかっただろう。
今もいろんな不安はある。
自己嫌悪と戦う日々はまだ続いている。
今年に入ってからでも、なかなか消えない劣等感のせいで長年の親友を怒らせてしまったこともあるし、
もんちゃんとも旅先で大ゲンカ
20年前と全く変わらない自分自身を自覚させられた(仲直りしたが・笑)
そういうことがあると、若い時よりダメージも大きいし、立ち直るまで時間もかかる。
だけど、どこまでいっても、結局は自分と付き合うしかないのだ。
駄目だろうが、足りなかろうが、こういう自分と歩いていくしかない。
びりけんのマスターがFBの中で、こう書いていた。
「最大の短所の裏返しは最大の長所です。
短所を直すことは、長所を抑えることにつながります。
性格を上下で考えるのではなく、円の中でとらえていきましょう。」
上下、右左、白黒、善悪、好き嫌い・・・
私はすぐに物事を二分したがる。
この間、床床。さんと飲みに行ったとき、「私はグレーがない。白黒やねん」という話をしたら(私は悪い意味で言ったのだけど)、
彼女は自分の日記で「すごい!と思った」と書いてくれていたので驚いた
自分が短所と思っていることも、人から見れば長所に映ることもあるんだなと実感した出来事。
私が「駄目だ」と書くと、いつも誰かが「かおりさんは駄目じゃないです」とコメントでフォローしてくれるが、
それも「フォロー」ではなく、その人には本当にそう映っているのだろうな・・・
先に紹介したマスターの「円の中でとらえる」って、いい言葉だなと思う。
私にはとても必要な言葉。
性格を「直そう」なんて思わずに、上手に付き合っていけばいいんだな。
そういえば、新潟旅行のとき、温泉に浸かりながら、もんちゃんに悩み事を打ち明けた。
私は次女に生まれて、子供の頃は家の中では真面目な姉と違ってお調子者でひょうきんだった。
本来の私自身は、いかにも次女らしいおおらかさやひょうきんさをもっているはずなのに、
それがなぜか大人になるにつれて、真面目で「深刻な人」になってしまった。
皆、私のことを深刻で面白みのない人間だと思っていると思うが、本来の自分はそうじゃない。
根底にある「おおらかでひょうきんな自分」の上にかぶさってしまった「深刻な自分」を取り除いて、
本来の自分で生きられたら、もっと楽だと思うし、周りからもそう思われたい・・・
そのような話をした。
「そんなひょうきんな面とか持ってるのか・・・」とか言われるかなと思ってびくびくしていたら、
なぜかもんちゃんは大爆笑
「え・・・何笑ってるの?
」
私が聞くと、もんちゃんはひぃひぃ笑いながら言った。
「それ本気で言ってるん?!だって・・・だって・・・、ひょうきんやん!!
」
「え・・・
」
いや、上に覆いかぶさってて見えないと思うけど、実はそうで・・・とか説明しだしたら、
「もうやめて。おかしい・・・苦しい・・・。何言ってるのかわからん・・・」と、またひぃひぃ笑いだした。
落ち着いて話を聞けば、もちろん、私の深刻な面も知っているけれど、もんちゃんにとってはそれが「覆いかぶさってひょうきんな私を見えなくしている」ようには見えていなかったらしい。
ちゃんと私の根底にある(と私が思っていた性格)が普通に見えていて、あくまでもそれと並行して「たまに深刻になる」と、そう思っていたみたいだ。
この後、旅の途中、もんちゃんは何度も思い出し笑いをしていた・・・
自分が思う自分のイメージって、アテにならんな・・・。
上下で性格を考えない。円でとらえる。
これって、すごく大事なことだなぁ。
自分を自分で批判するのは簡単だし、楽なこと。
もっと自分を許して、優しくできるようになりたい。
そのことのほうがずっと難しいけれど、そうしたい。
生きている限りどこまでも続く「自分」との付き合い。
上手に付き合えるようになることが、毎日を楽しく生きるための第一歩かな、と思った。
旅から帰ってきて、そんなことを考えている。
小学校のときに読んだ本の中に、
「優しいことは、強いのよ」
という言葉があった。
自分は、この言葉を大切にして生きてきた。
優しいっていうのは、性格が穏やかだとか、人とうまくやれるとか、愛情が深いとか、親切だとか、
そういうことではないと思っている。
想像力も大事だ。
相手がどう思うか、どんな気持ちになるか、自分のために何をしてくれているか、自分のことをどれほど思ってくれているか。
それを想像できない人というのは、時にとんでもなく人を傷つける。怒らせる。
そういう時、私は、ああ、この人は想像力が欠如してるんだなと思う。
自分に対しても当然そう。
人を怒らせたり傷つけたりすると、想像力の欠如を自身にも感じる。
想像力が欠如した人を、私は「優しい」とは思えない。
また、いわゆる「勇ましい」ことをやったり、強く自己主張したりすると、「強い人」という印象を人に与えてしまう。
それは、人々の考える「優しさ」とは間逆にあるかのようにも見える。
でも、私は、本当に強い人間なんていないと思っている。
みんな弱い。
ただ、「強くあろう」としているか否か、それだけの話だ。
強くあろうとするためには、人を見なければならない。
人の思いに気づかなければならない。
人の思いに応えるために、時には自分の枠を越えなければならない。
その勇気をもたなければならない。
それが、本当の「強さ」であり、優しさなんだと思っている。
私は昔、幸せになることが怖かった。
いつも少しだけ不幸がよかった。
それは、自分の手綱みたいなもので、それを放すと底のない井戸へ落ちてしまうような気がしていた。
でも、「私なんか」という言葉を、私から除いてくれたのは、友達だった。
劣等感の塊で、うまく生きていけない自分を、「それでいい」と認めてくれたのは友達だった。
いつもそばにいて、私を肯定してくれた。
「それはいけないよ」という批判はもちろんあっても、そんな駄目な部分も含んだ私という存在を肯定してくれた。
だから、私は、自分を越えようと思えた。
そうでなければ、この大好きな人たちを否定してしまうことになると思ったから。
夫もそう。
「未来には楽しいことがいっぱい待ってるから!」と、
自分の心の闇や本当に苦しいことは一切見せずに私に夢を見させてくれた。
本当にただの能天気な人の言葉だったら、ついてはいかなかったと思う。
そうじゃないから、私は自分が一番怖かったことを、越える決意をした。
私は強い人間ではないけれど、周りの人が強くしてくれた。
優しい人がいっぱいいたから、自分も前より優しくなれた。
でも、それは、自分がちゃんと人とまっすぐに接して、見て聞いて、感じて、話して、敬意をもってきたからだと思う。
そうでなければ、どんなにいい人たちに囲まれていても、昔の自分を越えられなかっただろう。
今もいろんな不安はある。
自己嫌悪と戦う日々はまだ続いている。
今年に入ってからでも、なかなか消えない劣等感のせいで長年の親友を怒らせてしまったこともあるし、
もんちゃんとも旅先で大ゲンカ

20年前と全く変わらない自分自身を自覚させられた(仲直りしたが・笑)
そういうことがあると、若い時よりダメージも大きいし、立ち直るまで時間もかかる。
だけど、どこまでいっても、結局は自分と付き合うしかないのだ。
駄目だろうが、足りなかろうが、こういう自分と歩いていくしかない。
びりけんのマスターがFBの中で、こう書いていた。
「最大の短所の裏返しは最大の長所です。
短所を直すことは、長所を抑えることにつながります。
性格を上下で考えるのではなく、円の中でとらえていきましょう。」
上下、右左、白黒、善悪、好き嫌い・・・
私はすぐに物事を二分したがる。
この間、床床。さんと飲みに行ったとき、「私はグレーがない。白黒やねん」という話をしたら(私は悪い意味で言ったのだけど)、
彼女は自分の日記で「すごい!と思った」と書いてくれていたので驚いた

自分が短所と思っていることも、人から見れば長所に映ることもあるんだなと実感した出来事。
私が「駄目だ」と書くと、いつも誰かが「かおりさんは駄目じゃないです」とコメントでフォローしてくれるが、
それも「フォロー」ではなく、その人には本当にそう映っているのだろうな・・・
先に紹介したマスターの「円の中でとらえる」って、いい言葉だなと思う。
私にはとても必要な言葉。
性格を「直そう」なんて思わずに、上手に付き合っていけばいいんだな。
そういえば、新潟旅行のとき、温泉に浸かりながら、もんちゃんに悩み事を打ち明けた。
私は次女に生まれて、子供の頃は家の中では真面目な姉と違ってお調子者でひょうきんだった。
本来の私自身は、いかにも次女らしいおおらかさやひょうきんさをもっているはずなのに、
それがなぜか大人になるにつれて、真面目で「深刻な人」になってしまった。
皆、私のことを深刻で面白みのない人間だと思っていると思うが、本来の自分はそうじゃない。
根底にある「おおらかでひょうきんな自分」の上にかぶさってしまった「深刻な自分」を取り除いて、
本来の自分で生きられたら、もっと楽だと思うし、周りからもそう思われたい・・・
そのような話をした。
「そんなひょうきんな面とか持ってるのか・・・」とか言われるかなと思ってびくびくしていたら、
なぜかもんちゃんは大爆笑

「え・・・何笑ってるの?

私が聞くと、もんちゃんはひぃひぃ笑いながら言った。
「それ本気で言ってるん?!だって・・・だって・・・、ひょうきんやん!!

「え・・・

いや、上に覆いかぶさってて見えないと思うけど、実はそうで・・・とか説明しだしたら、
「もうやめて。おかしい・・・苦しい・・・。何言ってるのかわからん・・・」と、またひぃひぃ笑いだした。
落ち着いて話を聞けば、もちろん、私の深刻な面も知っているけれど、もんちゃんにとってはそれが「覆いかぶさってひょうきんな私を見えなくしている」ようには見えていなかったらしい。
ちゃんと私の根底にある(と私が思っていた性格)が普通に見えていて、あくまでもそれと並行して「たまに深刻になる」と、そう思っていたみたいだ。
この後、旅の途中、もんちゃんは何度も思い出し笑いをしていた・・・

自分が思う自分のイメージって、アテにならんな・・・。
上下で性格を考えない。円でとらえる。
これって、すごく大事なことだなぁ。
自分を自分で批判するのは簡単だし、楽なこと。
もっと自分を許して、優しくできるようになりたい。
そのことのほうがずっと難しいけれど、そうしたい。
生きている限りどこまでも続く「自分」との付き合い。
上手に付き合えるようになることが、毎日を楽しく生きるための第一歩かな、と思った。
旅から帰ってきて、そんなことを考えている。
今朝はポーチの夢を見た。
ポーチって、あの化粧品とか入れるやつね・・・
アニマル柄の生地にバラの刺繍がしてあるポーチの夢。
昨日寝る前に、そんなポーチの商品コピーをうなって書いていたからだ
今日も朝から夕方まで5人の取材。
初めての媒体だったけど、先方がかなり満足してくれたと、
さっき営業さんからメールがあったのでホッとした。
とにかく仕事と飲み会が忙しい
仕事はともかく「飲み会が」ってなんやねんと思うかもしれないけど仕方がない。
逆に、そんな楽しみでもなければ、生活が潤わないじゃないか
まあ、今仕事が忙しいのは、もちろんそれなりに案件も入っているからだけど、
それ以上に、4、5日連休をとるからということのほうが影響している。
実は、あさっての夜から新潟へ行ってくる。
仕事じゃない。
全くのプライベートの旅行。
先月か、もう少し前の夏の終わりか、いろいろと思い悩んでいたときに、ふと思ったのだ。
「そうだ、旅に出よう」と。
9月はシンガポールに行くことが決まっていたので、暇なはずの10月にしようと思った。
お金もないけど、でも、借金したって(いや、してないけど)何したって、絶対行こうと決めた。
そこに何か自分が求めている答えがあるような気がして。
どこに行こうかと考えていて、「あ、もんちゃんに会いに行こう」と思った。
栃木にいるもんちゃんに会って、その辺りをふらふらして帰ってこようと思っていた。
もんちゃんにそれを話したら、じゃあ、近場で一緒に1泊しよう、と言われた。
うわー、それはいいなと、話が盛り上がって、もんちゃんちに1泊、近場で1泊・・・のような話だったのだが、
もんちゃんの旦那さんが「せっかく来るんやから、ちゃんと二人で旅をしておいで」と言ってくれた。
そこから話が変わってきて、じゃあ、栃木からだったら新潟でも行こうか・・・
新潟まで行くんなら2泊しようか・・・
みたいになって、結局、新潟へ二人で2泊旅行に行くことになった。
本当に、もんちゃんの旦那さんには感謝、感謝である
そして、さっき(本当にさっき)ようやく宿とまわる場所が決まった
さすがに20歳の頃みたいに、宿も決めずに飛び出すわけにもいかないので、宿はそれなりにいい感じのところを予約した。
でも、できるだけ安く済ませたいので、私は新潟まで夜行バスで行く。
これがすごくて、京都から新潟までなんと5800円!!
いやー、夜行バスすばらしい!
今回試して大丈夫だったら、ちょこちょこ行ってもいいなぁ(酒買いに)
40歳の老体に夜行バスはこたえるかもしれないが、まあ、そういうのは平気。
乗り物酔いはすごくするけど、寝ていれば大丈夫だし、どこでも寝られるし(笑)
たまに仕事で車に乗せてもらうことがあるけど、あの時のほうが寝られないからつらいかも・・・
またごはんもいっぱい食べさせてもらった後とかだし、すい臓も負担があって(すい臓が弱い)。
とりあえず、久しぶりの夜行バス。
この5年の内には乗ってるけど。(東京まで)
新潟の越後湯沢で朝9時にもんちゃんと待ち合わせている。
新潟で待ち合わせって変な感じ(笑)
川端康成が泊まったという宿を予約した。
その時の部屋も見られるらしい。わーい
天気は最悪のようで、ずっと雨・・・
でも、なんでかな、そんなに憂鬱でもないのだ。
もともともんちゃんと会うのが目的で栃木へ行こうと思ったのだし、
もうそれで目的は果たせたような気さえしてる。
あとは、プラスの幸せだから、何でもうれしい
そのために、今仕事を全部片付けようと頑張っている。
こういうときにかぎってまた仕事がどんどん入ってきて、昨日は2件も断った
今回の旅行の代金になるくらいだったけど、仕方ない・・・
とにかく楽しみで楽しみで仕方がないのだ。
夫とはいろんなところへ旅行したけれど、友達と行くのは本当に久しぶり。
若いときはもんちゃんともいろんなところへ行ったなぁと思ったら、いろんな場面が浮かんできた。
長野の民宿。
のっぺりした顔の私と、濃い濃い顔のもんちゃんを「おねえさんたち、姉妹?」と聞いた民宿のおばさん
エメラルドグリーンの川と白い岩がある山奥で、紫陽花がきれいに咲いていたのを覚えている。
帰ってきたら、1つ物語ができた。
もんちゃんに読んでもらったら、「私と一緒に旅をしていた女の子は、こんなことを考えていたのか!」と言われた。
九州の臼杵。
いろんな石仏を見られてよかった。
私の母にそっくりな仏様がいた。
日田の小鹿田焼の窯も見に行った。
バスがなくて、二人で何駅も歩いた。
青森で泊まったお寺のお坊さんが卓球をしていたこと。
翌朝起こしてくれなくて、カップヌードルを持ったまま走って電車に乗ったこと。
北海道では、摩周湖でケンカした。
宿なんて予約もしてなくて、残ったお金で泊まり歩いていたから、
旭川で変な宿にも泊まった。
部屋のふすまを開けたら便器があったり、
さっきまで誰か寝ていたような臭いのする布団だったり。
サウナにも2回泊まった。
水商売系の女の人がいっぱいいて、私たちも「ミキちゃん」とか関係ない源氏名(?)で呼んだりした。
岐阜だったか、また変なさびれた宿に泊まったけど、
隣のホテルの温泉に入れて、それがすごくよかった。
星を見ながら2時間ぐらい温泉につかって話をした。
あのとき、何かわかったような気がして帰ったのに、結局駄目だったんだなぁ、私は。
でも、あの旅の後も物語が1つ生まれた。
ダンプカーをヒッチハイクして乗せてもらったら、
「悪女が好き!」というステッカーが貼ってあったけど、めっちゃいい運転手さんだったり、
ひたすら二人で俳句を詠みながら歩いたりした。
いろんないい旅があった。
いつも珍道中だけど、そういう旅のほうが忘れない。
なんだか今回は、昔のような旅が出来そうな気がして、とても楽しみだ。
思い切っていくことにしてよかった。
今の私にはきっと必要なこと。
ポーチって、あの化粧品とか入れるやつね・・・
アニマル柄の生地にバラの刺繍がしてあるポーチの夢。
昨日寝る前に、そんなポーチの商品コピーをうなって書いていたからだ

今日も朝から夕方まで5人の取材。
初めての媒体だったけど、先方がかなり満足してくれたと、
さっき営業さんからメールがあったのでホッとした。
とにかく仕事と飲み会が忙しい

仕事はともかく「飲み会が」ってなんやねんと思うかもしれないけど仕方がない。
逆に、そんな楽しみでもなければ、生活が潤わないじゃないか

まあ、今仕事が忙しいのは、もちろんそれなりに案件も入っているからだけど、
それ以上に、4、5日連休をとるからということのほうが影響している。
実は、あさっての夜から新潟へ行ってくる。
仕事じゃない。
全くのプライベートの旅行。
先月か、もう少し前の夏の終わりか、いろいろと思い悩んでいたときに、ふと思ったのだ。
「そうだ、旅に出よう」と。
9月はシンガポールに行くことが決まっていたので、暇なはずの10月にしようと思った。
お金もないけど、でも、借金したって(いや、してないけど)何したって、絶対行こうと決めた。
そこに何か自分が求めている答えがあるような気がして。
どこに行こうかと考えていて、「あ、もんちゃんに会いに行こう」と思った。
栃木にいるもんちゃんに会って、その辺りをふらふらして帰ってこようと思っていた。
もんちゃんにそれを話したら、じゃあ、近場で一緒に1泊しよう、と言われた。
うわー、それはいいなと、話が盛り上がって、もんちゃんちに1泊、近場で1泊・・・のような話だったのだが、
もんちゃんの旦那さんが「せっかく来るんやから、ちゃんと二人で旅をしておいで」と言ってくれた。
そこから話が変わってきて、じゃあ、栃木からだったら新潟でも行こうか・・・
新潟まで行くんなら2泊しようか・・・
みたいになって、結局、新潟へ二人で2泊旅行に行くことになった。
本当に、もんちゃんの旦那さんには感謝、感謝である

そして、さっき(本当にさっき)ようやく宿とまわる場所が決まった

さすがに20歳の頃みたいに、宿も決めずに飛び出すわけにもいかないので、宿はそれなりにいい感じのところを予約した。
でも、できるだけ安く済ませたいので、私は新潟まで夜行バスで行く。
これがすごくて、京都から新潟までなんと5800円!!
いやー、夜行バスすばらしい!
今回試して大丈夫だったら、ちょこちょこ行ってもいいなぁ(酒買いに)
40歳の老体に夜行バスはこたえるかもしれないが、まあ、そういうのは平気。
乗り物酔いはすごくするけど、寝ていれば大丈夫だし、どこでも寝られるし(笑)
たまに仕事で車に乗せてもらうことがあるけど、あの時のほうが寝られないからつらいかも・・・
またごはんもいっぱい食べさせてもらった後とかだし、すい臓も負担があって(すい臓が弱い)。
とりあえず、久しぶりの夜行バス。
この5年の内には乗ってるけど。(東京まで)
新潟の越後湯沢で朝9時にもんちゃんと待ち合わせている。
新潟で待ち合わせって変な感じ(笑)
川端康成が泊まったという宿を予約した。
その時の部屋も見られるらしい。わーい

天気は最悪のようで、ずっと雨・・・
でも、なんでかな、そんなに憂鬱でもないのだ。
もともともんちゃんと会うのが目的で栃木へ行こうと思ったのだし、
もうそれで目的は果たせたような気さえしてる。
あとは、プラスの幸せだから、何でもうれしい

そのために、今仕事を全部片付けようと頑張っている。
こういうときにかぎってまた仕事がどんどん入ってきて、昨日は2件も断った

今回の旅行の代金になるくらいだったけど、仕方ない・・・
とにかく楽しみで楽しみで仕方がないのだ。
夫とはいろんなところへ旅行したけれど、友達と行くのは本当に久しぶり。
若いときはもんちゃんともいろんなところへ行ったなぁと思ったら、いろんな場面が浮かんできた。
長野の民宿。
のっぺりした顔の私と、濃い濃い顔のもんちゃんを「おねえさんたち、姉妹?」と聞いた民宿のおばさん

エメラルドグリーンの川と白い岩がある山奥で、紫陽花がきれいに咲いていたのを覚えている。
帰ってきたら、1つ物語ができた。
もんちゃんに読んでもらったら、「私と一緒に旅をしていた女の子は、こんなことを考えていたのか!」と言われた。
九州の臼杵。
いろんな石仏を見られてよかった。
私の母にそっくりな仏様がいた。
日田の小鹿田焼の窯も見に行った。
バスがなくて、二人で何駅も歩いた。
青森で泊まったお寺のお坊さんが卓球をしていたこと。
翌朝起こしてくれなくて、カップヌードルを持ったまま走って電車に乗ったこと。
北海道では、摩周湖でケンカした。
宿なんて予約もしてなくて、残ったお金で泊まり歩いていたから、
旭川で変な宿にも泊まった。
部屋のふすまを開けたら便器があったり、
さっきまで誰か寝ていたような臭いのする布団だったり。
サウナにも2回泊まった。
水商売系の女の人がいっぱいいて、私たちも「ミキちゃん」とか関係ない源氏名(?)で呼んだりした。
岐阜だったか、また変なさびれた宿に泊まったけど、
隣のホテルの温泉に入れて、それがすごくよかった。
星を見ながら2時間ぐらい温泉につかって話をした。
あのとき、何かわかったような気がして帰ったのに、結局駄目だったんだなぁ、私は。
でも、あの旅の後も物語が1つ生まれた。
ダンプカーをヒッチハイクして乗せてもらったら、
「悪女が好き!」というステッカーが貼ってあったけど、めっちゃいい運転手さんだったり、
ひたすら二人で俳句を詠みながら歩いたりした。
いろんないい旅があった。
いつも珍道中だけど、そういう旅のほうが忘れない。
なんだか今回は、昔のような旅が出来そうな気がして、とても楽しみだ。
思い切っていくことにしてよかった。
今の私にはきっと必要なこと。
仕事に疲れて、気分転換がしたいと思ったとき、ふと「一年前の今日、何を考えていたのかな」と思った。
日記をたどる。
1年前、2年前・・・
そして、2007年10月17日にたどり着いた。
新米をいただいたので、「ご飯の友」になりそうなおかずを。
きんぴらごぼうと、野菜たっぷりお味噌汁と、焼き鳥風の鶏肉と、かぼちゃの煮物。
私はもっと先にご飯を済ませているので、彼だけが食べる。
私はいつも彼が食べるのを横でじっと見ていて、そのときにいろいろお話する。
彼が一口食べて、炊き立てのご飯を頬張って、心から搾り出したような声で言う。
「・・・うまい。・・・あー・・・ほんま、幸せ」
目を閉じて味わっている。
何度も何度も「幸せやわ~」と口にする。
それを横で聞いていた私は、目頭が熱くなる。
泣きそうだ。
なんでだろ。
私は、人が美味しい顔をしているのを見るのが好き。
お腹がいっぱいで満たされているというのは、一番幸せなことなんだと思ってる。
でも、泣きそうなのはそれだけじゃなくて・・・。
私もなんか、幸せだったんだ。
ちなみに昨日も彼は家でご飯を食べた。
写真撮るの忘れたけど、昨日はれんこんのはさみ揚げと、牛肉とごぼうの煮物と、冷奴と、枝豆。
これも彼は同じように、幸せそうに食べてくれた。
やっぱりきちんと生きよう。
頑張って仕事して、特別贅沢でもないけど美味しいご飯を食べて、1杯だけ飲んで。
地味だけど、小さいけど、何よりも確かな幸せだ。
これが一番。
新婚1年目の秋。
これを読んで思った。
今も全く変わらない。
4年たっても変わらないことがよかったと思った。
そのとき、前後で目に付いた日記を2、3読んだのだけど、これがよかった。
夫や周りの人に言わせれば「いつも大げさすぎる」私は、
「運命だ!」とか、
「奇跡だ!」とか、
何かちょっとしたことでもドラマの主人公のように叫んでることが多いけど、
本当にそう思うことがあるんだから、仕方がない。
別にじんわりかみしめて、流してしまったっていいのだけど、
ミュージカルのアクターのように、体全身で声を張り上げて、
「これは奇跡よぉぉぉー!!」と文章で表現すると、
なんだかその出来事が、より輝きを増すような気がするのだ。
そして、文章の素晴らしいことは、後で何度でも読めることだ。
普通なら忘れてしまうような感動を、私は自分の文章で何度でも繰り返し味わうことができる。
だから、思うのだ。
「書ける」ということは、2倍感動を味わえるから幸せだ、と。
「こじつけ」と「意味づけ」が大好きな私。
何にでも「意味」を見出したときに、いろいろな物事が肯定されるからだ。
ぼんやりと否定したまま生きたくない、というのが私の考え。
だから、大げさで意味づけが好きな私はこう思う。
「BLUES」は、私の人生の鍵だ。
24歳でBLUESを捨てた私が、堕落しかけた10年間を送った後、
もう一度BLUESを自分の中に取り戻したとき、
まさしく文字通り「BLUES」というキーワードが私と彼を結びつけた。
自分のHPのブルースページに「EVERYDAY I HAVE THE BLUES」とタイトルをつけていた私。
彼のブログも偶然、同じタイトルで。
ブルース好きなら誰でもわかる、このベタな感覚。
ベタだけど、一番ストレートにブルースを愛していることが伝わる。
だから、こういう表現をする彼に好意をもったのは、今思えば当然で。
正直に言えば、もう絶対に無理だと思っていたのだ。
BLUESを分かち合えるソウルメイトで、なおかつ男性として愛せるような人と出会えるなんて。
なのに、彼はBLUESだけでなく、ほかの幸せもいっぱい連れてきてくれた。
文章を書くこと。
お酒。
自然の中の語らい。
旅。
文学。
家族を大切にすること。
いつも感謝すること。
いつもポジティブな思考をもつこと。
優しくあること。
彼と出会ってからの私の頭上は、毎日が上天気で、
この10年に失っていたものをすべて取り戻すことができた。
そして、新たな出会いも。
彼のバンド仲間はみんな酒飲みのブルースマンで。
そのうえ、優しかったり、ポジティブだったり、物事をよく考えていたりで、
こんな若者がいるなら、日本はまだ大丈夫だなぁなんて、そんなことを会うたびに思わせてくれる人たちだ。
自然満喫のBBQで、ウイスキーをボトル1本空けてしまう人たちはそうそういない。
川で飲むウイスキーの旨さを同じように感じられることが幸せだった。
そして、夢だったシカゴ・ブルースフェスティバルへ行くことも現実になり、
そこで出会ったブルースマンと、またつながって。
昨日は、久しぶりに、本当に久しぶりに、ブルースを堪能した。
あんなライブはシカゴ以来だ。
バーボンがどんどんブルースに溶けてなくなって、3杯も飲んだ。
昼間っからさんざん飲んでいたのに。
この間、B.Bキングの自叙伝を読んだのだけど、その中で、
B.Bキングが、自分がどんなにBLUESを愛しているかと語る。
その語りを読むだけで、私は泣けてきてしまう。
私も自分がどんなにBLUESを愛しているか、気付いてしまって。
BLUESは普遍的なものだとBBは言う。
私もそう思う。
それはきっと、ソウルだけで受け止められる音楽だからだ。
音楽論もテクニックも、言葉さえも、そこには必要なくて。
BBがルシールをかき鳴らす。
それだけで私は、その1音だけで私は、いつも胸が潰れるようだと思う。
魂に直接響くからだ。
その感じを味わえる、もしくは味わうのが好きな人間ばかりが集まったライブハウスというのは、本当に天国のようだ。
「ここにいる人たち、みんなBLUESに魅せられた人たちなんだ」と思うだけで、私は幸せで、そしてわくわくしてしまう。
バーボンを飲みながら、ブルースの洪水に呑み込まれながら、私は思う。
「私はブルースとバーボンがあったらそれだけでいいんだなぁ」と。
シカゴで、世界のブルースギタリスト・菊田俊介さんが私のこの言葉を聞いて、こう言ってくれたっけ。
「そういう女性は、ブルースマンの夢だよ!」
人生で、最高の褒め言葉だ。
そうか、私はブルースマンの夢の女性なのか、なんて(笑)。
BLUESを求めたとき、彼と出会い、そこからすべてが始まった。
ブルースはどんどん人とのつながりを作ってくれる。
不思議なほど、ブルース好きに出会う。
私はいつも満たされている。
笑顔で楽しく過ごしていると、また良いことばかりが起きる。
良い循環が生まれる。
幸せで、幸せで、それが受け止めきれずにこぼれ落ちていくようだ。
昔の私ならあふれる幸せなんて怖くて逃げ出していたけれど、
今は貪欲に、こぼれ落ちる幸せも拾い上げて、
そして、私は強くなる。
昨日は本当に思ったのだ。
BLUESが私の人生の鍵だったんだって。
昔の自分の文章って、なんでこんなにいいんだろう(笑)
いや、他の人はなんとも思わないのはわかってる。
ほら、アルバムをめくって「あー、こんなときあったな」と思うような感覚で・・・
ここにも書いているけれど、私は2倍(きっとそれ以上)昔の感動を自分の文章で味わえるので、
なんだか得した気分になる。
だから、できる限り残しておきたい。
そういえば、この間の取材で、「面接でどんなところを見ますか?」と質問したら、
ちょっとオネエ系みたいなビジュアル系の男の人が冗談みたいに、
「携帯のアドレス」と言った。
意味がわからなくて聞き返したら、
「携帯のアドレスって、意外に自分の趣味や想いを入れている人が多いから」と言った。
確かに、私の携帯には「kozmic blues」と入っている。
なるほどなぁ、と思った。
(大好きなジャニス・ジョプリンの曲名だ)
全員が全員ではないかもしれないけど、自己主張のある人ほど、そういうのを入れるのかもしれない。
知ってる人は確かめてほしいけど、私の夫のアドレスも結構、彼を表している(笑)
日記をたどる。
1年前、2年前・・・
そして、2007年10月17日にたどり着いた。
新米をいただいたので、「ご飯の友」になりそうなおかずを。
きんぴらごぼうと、野菜たっぷりお味噌汁と、焼き鳥風の鶏肉と、かぼちゃの煮物。
私はもっと先にご飯を済ませているので、彼だけが食べる。
私はいつも彼が食べるのを横でじっと見ていて、そのときにいろいろお話する。
彼が一口食べて、炊き立てのご飯を頬張って、心から搾り出したような声で言う。
「・・・うまい。・・・あー・・・ほんま、幸せ」
目を閉じて味わっている。
何度も何度も「幸せやわ~」と口にする。
それを横で聞いていた私は、目頭が熱くなる。
泣きそうだ。
なんでだろ。
私は、人が美味しい顔をしているのを見るのが好き。
お腹がいっぱいで満たされているというのは、一番幸せなことなんだと思ってる。
でも、泣きそうなのはそれだけじゃなくて・・・。
私もなんか、幸せだったんだ。
ちなみに昨日も彼は家でご飯を食べた。
写真撮るの忘れたけど、昨日はれんこんのはさみ揚げと、牛肉とごぼうの煮物と、冷奴と、枝豆。
これも彼は同じように、幸せそうに食べてくれた。
やっぱりきちんと生きよう。
頑張って仕事して、特別贅沢でもないけど美味しいご飯を食べて、1杯だけ飲んで。
地味だけど、小さいけど、何よりも確かな幸せだ。
これが一番。
新婚1年目の秋。
これを読んで思った。
今も全く変わらない。
4年たっても変わらないことがよかったと思った。
そのとき、前後で目に付いた日記を2、3読んだのだけど、これがよかった。
夫や周りの人に言わせれば「いつも大げさすぎる」私は、
「運命だ!」とか、
「奇跡だ!」とか、
何かちょっとしたことでもドラマの主人公のように叫んでることが多いけど、
本当にそう思うことがあるんだから、仕方がない。
別にじんわりかみしめて、流してしまったっていいのだけど、
ミュージカルのアクターのように、体全身で声を張り上げて、
「これは奇跡よぉぉぉー!!」と文章で表現すると、
なんだかその出来事が、より輝きを増すような気がするのだ。
そして、文章の素晴らしいことは、後で何度でも読めることだ。
普通なら忘れてしまうような感動を、私は自分の文章で何度でも繰り返し味わうことができる。
だから、思うのだ。
「書ける」ということは、2倍感動を味わえるから幸せだ、と。
「こじつけ」と「意味づけ」が大好きな私。
何にでも「意味」を見出したときに、いろいろな物事が肯定されるからだ。
ぼんやりと否定したまま生きたくない、というのが私の考え。
だから、大げさで意味づけが好きな私はこう思う。
「BLUES」は、私の人生の鍵だ。
24歳でBLUESを捨てた私が、堕落しかけた10年間を送った後、
もう一度BLUESを自分の中に取り戻したとき、
まさしく文字通り「BLUES」というキーワードが私と彼を結びつけた。
自分のHPのブルースページに「EVERYDAY I HAVE THE BLUES」とタイトルをつけていた私。
彼のブログも偶然、同じタイトルで。
ブルース好きなら誰でもわかる、このベタな感覚。
ベタだけど、一番ストレートにブルースを愛していることが伝わる。
だから、こういう表現をする彼に好意をもったのは、今思えば当然で。
正直に言えば、もう絶対に無理だと思っていたのだ。
BLUESを分かち合えるソウルメイトで、なおかつ男性として愛せるような人と出会えるなんて。
なのに、彼はBLUESだけでなく、ほかの幸せもいっぱい連れてきてくれた。
文章を書くこと。
お酒。
自然の中の語らい。
旅。
文学。
家族を大切にすること。
いつも感謝すること。
いつもポジティブな思考をもつこと。
優しくあること。
彼と出会ってからの私の頭上は、毎日が上天気で、
この10年に失っていたものをすべて取り戻すことができた。
そして、新たな出会いも。
彼のバンド仲間はみんな酒飲みのブルースマンで。
そのうえ、優しかったり、ポジティブだったり、物事をよく考えていたりで、
こんな若者がいるなら、日本はまだ大丈夫だなぁなんて、そんなことを会うたびに思わせてくれる人たちだ。
自然満喫のBBQで、ウイスキーをボトル1本空けてしまう人たちはそうそういない。
川で飲むウイスキーの旨さを同じように感じられることが幸せだった。
そして、夢だったシカゴ・ブルースフェスティバルへ行くことも現実になり、
そこで出会ったブルースマンと、またつながって。
昨日は、久しぶりに、本当に久しぶりに、ブルースを堪能した。
あんなライブはシカゴ以来だ。
バーボンがどんどんブルースに溶けてなくなって、3杯も飲んだ。
昼間っからさんざん飲んでいたのに。
この間、B.Bキングの自叙伝を読んだのだけど、その中で、
B.Bキングが、自分がどんなにBLUESを愛しているかと語る。
その語りを読むだけで、私は泣けてきてしまう。
私も自分がどんなにBLUESを愛しているか、気付いてしまって。
BLUESは普遍的なものだとBBは言う。
私もそう思う。
それはきっと、ソウルだけで受け止められる音楽だからだ。
音楽論もテクニックも、言葉さえも、そこには必要なくて。
BBがルシールをかき鳴らす。
それだけで私は、その1音だけで私は、いつも胸が潰れるようだと思う。
魂に直接響くからだ。
その感じを味わえる、もしくは味わうのが好きな人間ばかりが集まったライブハウスというのは、本当に天国のようだ。
「ここにいる人たち、みんなBLUESに魅せられた人たちなんだ」と思うだけで、私は幸せで、そしてわくわくしてしまう。
バーボンを飲みながら、ブルースの洪水に呑み込まれながら、私は思う。
「私はブルースとバーボンがあったらそれだけでいいんだなぁ」と。
シカゴで、世界のブルースギタリスト・菊田俊介さんが私のこの言葉を聞いて、こう言ってくれたっけ。
「そういう女性は、ブルースマンの夢だよ!」
人生で、最高の褒め言葉だ。
そうか、私はブルースマンの夢の女性なのか、なんて(笑)。
BLUESを求めたとき、彼と出会い、そこからすべてが始まった。
ブルースはどんどん人とのつながりを作ってくれる。
不思議なほど、ブルース好きに出会う。
私はいつも満たされている。
笑顔で楽しく過ごしていると、また良いことばかりが起きる。
良い循環が生まれる。
幸せで、幸せで、それが受け止めきれずにこぼれ落ちていくようだ。
昔の私ならあふれる幸せなんて怖くて逃げ出していたけれど、
今は貪欲に、こぼれ落ちる幸せも拾い上げて、
そして、私は強くなる。
昨日は本当に思ったのだ。
BLUESが私の人生の鍵だったんだって。
昔の自分の文章って、なんでこんなにいいんだろう(笑)
いや、他の人はなんとも思わないのはわかってる。
ほら、アルバムをめくって「あー、こんなときあったな」と思うような感覚で・・・
ここにも書いているけれど、私は2倍(きっとそれ以上)昔の感動を自分の文章で味わえるので、
なんだか得した気分になる。
だから、できる限り残しておきたい。
そういえば、この間の取材で、「面接でどんなところを見ますか?」と質問したら、
ちょっとオネエ系みたいなビジュアル系の男の人が冗談みたいに、
「携帯のアドレス」と言った。
意味がわからなくて聞き返したら、
「携帯のアドレスって、意外に自分の趣味や想いを入れている人が多いから」と言った。
確かに、私の携帯には「kozmic blues」と入っている。
なるほどなぁ、と思った。
(大好きなジャニス・ジョプリンの曲名だ)
全員が全員ではないかもしれないけど、自己主張のある人ほど、そういうのを入れるのかもしれない。
知ってる人は確かめてほしいけど、私の夫のアドレスも結構、彼を表している(笑)
最近、ブログを書かなかったのは、忙しかったというよりも、
書くと昨日みたいに楽しくない話を書いてしまうとわかっていたからだと思う。
この場を「はけ口」みたいにするのは本意ではない。
今日はもう少し前向きな話を書こうと思う。
もう随分と長い期間、気持ちが沈んでいるけれど、
この間、少しだけ変化はあった。
最近、ちょっとでも足しになればと、全くやりがいのない安い仕事を請けてしまったことがあった。
作業をしながら、ちょっと泣いた。
なんだか自分が情けなくて。
その後、別件で頼まれた仕事があり、それは自分が一番得意な「人の想いの代弁(ライティング)」だった。
たった1時間で、先に書いた「やりがいのない仕事」3日分くらいのギャラをもらい、帰り道でまた涙が出た。
それは、こんなことを考えたから。
自分には確かに、プロとして通用するような、ある種の能力がある。
それを生かせば、ちゃんと評価され、ちゃんとした報酬がもらえる。
それは、「誰にでもできるわけではないこと」だからだ。
結果、ちょっと多いかな・・・というくらいのお金がもらえる。
「誰にでもできること」をやっていたらダメだ。
私は、私のプロとしての能力を、ちゃんと生かせる場を、自分で作っていかないと・・・。
前はそういう場をひたすら「見つけよう」としていた。
でも、この歳になったら、もう無理だ。
「見つける」んじゃなく、自分で「作って」いかないと・・・。
少し前からそのことは頭ではわかっていたんだけど、
勇気がないのと、怠惰から、なかなか実行に移せずにいた。
変えなければならないと、わかっていながら。
凹んだり、泣いたりしているヒマがあるなら、少しでも前に進まないとなぁ。
今日、取材した若い女の子は、座右の銘や目標などを聞くと、「志を高く持つ」と言った。
久しぶりに「志」という言葉を聞いた気がした。
若いピュアなパワーに触れると、いい刺激になる。
「志を高く持つ。」
帰り道、この言葉を繰り返しながら、
私ももう一度、志を高く持って、少しずつでも登っていきたいと、
そんなふうに思った。
書くと昨日みたいに楽しくない話を書いてしまうとわかっていたからだと思う。
この場を「はけ口」みたいにするのは本意ではない。
今日はもう少し前向きな話を書こうと思う。
もう随分と長い期間、気持ちが沈んでいるけれど、
この間、少しだけ変化はあった。
最近、ちょっとでも足しになればと、全くやりがいのない安い仕事を請けてしまったことがあった。
作業をしながら、ちょっと泣いた。
なんだか自分が情けなくて。
その後、別件で頼まれた仕事があり、それは自分が一番得意な「人の想いの代弁(ライティング)」だった。
たった1時間で、先に書いた「やりがいのない仕事」3日分くらいのギャラをもらい、帰り道でまた涙が出た。
それは、こんなことを考えたから。
自分には確かに、プロとして通用するような、ある種の能力がある。
それを生かせば、ちゃんと評価され、ちゃんとした報酬がもらえる。
それは、「誰にでもできるわけではないこと」だからだ。
結果、ちょっと多いかな・・・というくらいのお金がもらえる。
「誰にでもできること」をやっていたらダメだ。
私は、私のプロとしての能力を、ちゃんと生かせる場を、自分で作っていかないと・・・。
前はそういう場をひたすら「見つけよう」としていた。
でも、この歳になったら、もう無理だ。
「見つける」んじゃなく、自分で「作って」いかないと・・・。
少し前からそのことは頭ではわかっていたんだけど、
勇気がないのと、怠惰から、なかなか実行に移せずにいた。
変えなければならないと、わかっていながら。
凹んだり、泣いたりしているヒマがあるなら、少しでも前に進まないとなぁ。
今日、取材した若い女の子は、座右の銘や目標などを聞くと、「志を高く持つ」と言った。
久しぶりに「志」という言葉を聞いた気がした。
若いピュアなパワーに触れると、いい刺激になる。
「志を高く持つ。」
帰り道、この言葉を繰り返しながら、
私ももう一度、志を高く持って、少しずつでも登っていきたいと、
そんなふうに思った。

毎日一応覗いてくれる方が150名前後はいるようで、本当にありがたい限り。
年末年始くらいしか読者に向けてのメッセージは送らないのだけど、
ただただ「ありがとうございます」です

もう随分長い間、弱っているように思う。
シンガポールに行って、気分転換はできたけれど、結局は元通り。
まあ、普段が「深刻な人間」なので、弱っていてもさほど変わらないが。
最近のアイドル的に自己紹介するなら、
「たいしたことじゃないのに、いつも地球の終わりみたいに深刻になれる、
落ち込んでるあなたの気持ちに共感。アラフォーかおりです

って感じかな(笑)
シンガポール旅行記もプロローグ書いたままで気になっているが、
帰国してからもなんだか仕事ばっかりで。
今週はやっと木・金とゆっくりできると思っていたら、急ぎの仕事が入ってきたし(ありがたいが!)
ちょっと時間ができたら、掃除したり、庭手入れしたり、実家に行ったりと、
結局のところは自分のことなど何もする時間は残されていなくて

時間の使い方も下手になってきた。
昔は1時間残ったら、そこで何か有意義なことをしよう!という気力があったが、
最近は1時間あっても、なんかネット見たり、テレビ見たり、頭や心を休ませる時間に費やしてしまう。
これが歳をとるということなのか・・・?

とりあえず、元気ないな、最近。
表面的には全く変わらないが。
昨日、夫に言った。
「絶対100歳まで生きるってずっと言ってたけど、最近はもうそんなに長生きしなくていいかなって思ってるねん」
自分でも不思議なほど、初めて生まれた感情。
もちろん、死にたいわけじゃない。
今が幸せじゃないわけでもない。
ただ、自分が長生きをする意味が見えなくなったというか・・・
うまく書けないな・・・
夫はそれを聞いて言った。
「俺を置いて死なんといてや

それから、
「俺は前はそう思ってたけど、最近は長生きしたいって思ってる」と。
「充実してるんやね」
そんな言葉が勝手に出た。
逆に言えば、私は充実していない、ということなのかな。
昨晩は、夫が早く帰ってきたので、一緒にお酒を飲んで話した。
「40歳にもなって、私はまだ自分探しをしてる」
と言った。
探したって、どこにもないことはわかっているはずなのに。
ヤバイな、と思う。
10代や20代はいい。
自分探し、大いに結構。
40歳の自分探しはヤバイ。
樹海に迷い込むようなもんだ

ヤバイな、ヤバイなと思いながら、お酒を飲んで気持ちよくなって、
まぁいいかと眠りについて、また同じ朝が来る。
そして、最近はずっとビートルズを聴いている。
中学時代みたい。
それも、大好きなホワイトアルバムとか、「ラバー・ソウル」じゃなくて、
曲でいえば、ワインディングロードとか、レット・イット・ビーとか、そういうのがしみる。
やたらしみる。
ジョンよりポールがしみる。
14歳の頃みたい。
だから、夫に言ったんだ。
「ブルースが足りない」と、切実に。
ブルースが足りないから、こんなふうになっている。
このままでは、智恵子じゃないけど、「わたし、もうぢき駄目になる」。
旅に出たい。
ブルースに溺れたい。
40歳は14歳と同じではいけない。
「自分探し」じゃない、「自分を取り戻す」旅を、しなければならないと、そんなことを考えている。
土曜日からシンガポール。
ということで、毎日仕事に追われて本当に忙しい。
いつも言うことだけど、忙しい時に限って忙しくなる。
細かい仕事がどんどん入ってきて、焦るばかり
朝7時半から夜2時半まで休む間もほとんどない。
仕事だけじゃなく、家のこともそうだし、こうしてたまにはブログも更新せにゃーとか。
こんな忙しくなると思っていなかったから、自ら企画した飲み会まであって
サルヴァトーレ・クオモへ。

やはりこれが一番うまいか。
お店の看板商品のピッツァ「DOG」。
ヤバすぎる旨さ。

前菜盛り合わせもよかった。
いろいろ食べられるから、イタリアンの前菜って大好き。

黒豚のスペアリブもおいしかった!
肉がやわらかく、口の中でほどける。
とても楽しく気分転換になった。
時間が経つのがあっという間だったなー。
さて、明日もまた2件取材だー
いつもお仕事をいただいているところの取材が込み合っているとわかっていた時期に
1週間もお休みをもらうので心苦しい。
しっかり仕事をせねば!
夫も明日、東京出張だというし、よく働く夫婦だなーと客観的に思う。
一生懸命働いて、ローンを返していかないとね。
ただ、「家」というのはすごいもんだなとも思う。
この家があるから・・・この大好きな家を手に入れられたから、どんなことでもがんばろうと、
たぶん、私も夫もそんな気持ちで毎日必死に働いている。
それくらい、この家が宝物。
それはもちろん、資産価値なんかじゃなくて、心のよりどころとして。
1日1回は必ず思う。
「ああ、いい家だなー。この家が大好きだなー」と。
自分ひとりでは決して手に入れられなかった家だから、夫には本当に感謝している。
お金というより、家族の「近くに住んで欲しい」という暗黙の願いを断ち切って、この町を選んでくれたことに。
最近、凹んだり、情緒不安定に陥ってばかりの毎日だけど、
空を見たり、月を見たりして、なんとか頑張ろうと顔を上げられるのは、この町にいるからだと思う。
昨日の十六夜の月も本当に美しかった。
今も、聴こえるのはただ、静かに鳴く虫たちの声のみ。
情緒の定まらない私は、そんな静かな声にも目頭が熱くなる。
昨日は川端の「千羽鶴」を再読した。
舞子まで取材に行ったので(往復4時間!)1冊すぐに読み終えた。
明日の取材もまた遠いので、川端の作品を何か持っていこうか。
ふと、久しぶりに「恢復」という言葉が頭をよぎる。
酔っ払って帰ってきた夫と昨夜、少し話した。
周りが早稲田・慶応・同志社と優秀な学歴をもった人たちばかりの会社で、自慢できるような学歴もない大学中退の夫だが、
その分、人一倍の努力を重ねていることを私は知っている。
彼独自の処世術もあるし、人柄もあるしで、努力の甲斐あって仕事は順調だ。
毎晩、12時を過ぎないと帰ってこないような暮らしの中で、6年付き合っていてただの一度も愚痴をこぼしたことがない。
とてもマネできることじゃないと、心から尊敬している。
そう私が話したら、嬉しくて笑いをこらえきれなかったようで満面の笑みになった(笑)
「くっくっく」と笑いがどんどんこぼれていた
でも、彼は本当の意味で恢復していないと、たまに思う。
「もっと書いたらいいのに」と私は言う。
物書きのくせに、彼は書かない。
私とは違うんだな、とも思う。
書かなくても生きていける人なのかと。
そう言うと、お前が書くのは日記だけか?日記だけでいいのか?と言われた。
いい、と言ったら何も言わなかった。
日記でも何でもいい。
私は、書かないと無理だ。
一番近くて、一番親密で、一番離れられない。
親友みたいなもの。
私のことを一番理解してくれるもの。
汚い自分を取り繕ったり、良く見せるために虚勢を張ったり、楽しい話をして場を盛り上げる必要もない。
出すのは、本当の自分だけでいい。
それが、私にとっての「書く」という行為。
そんなことを思うだけで涙が出る夜もある。
失望して、お酒を飲み続ける夜もある。
少しも恢復しないまま、自分をごまかし続けて日々が過ぎる。
言い訳と逃げだらけの人生は、一体いつまで続くのか。
ただ、言葉から離れるのも怖くて、言葉を綴ってゴハンを食べている。
ということで、毎日仕事に追われて本当に忙しい。
いつも言うことだけど、忙しい時に限って忙しくなる。
細かい仕事がどんどん入ってきて、焦るばかり

朝7時半から夜2時半まで休む間もほとんどない。
仕事だけじゃなく、家のこともそうだし、こうしてたまにはブログも更新せにゃーとか。
こんな忙しくなると思っていなかったから、自ら企画した飲み会まであって

サルヴァトーレ・クオモへ。

やはりこれが一番うまいか。
お店の看板商品のピッツァ「DOG」。
ヤバすぎる旨さ。

前菜盛り合わせもよかった。
いろいろ食べられるから、イタリアンの前菜って大好き。

黒豚のスペアリブもおいしかった!
肉がやわらかく、口の中でほどける。
とても楽しく気分転換になった。
時間が経つのがあっという間だったなー。
さて、明日もまた2件取材だー
いつもお仕事をいただいているところの取材が込み合っているとわかっていた時期に
1週間もお休みをもらうので心苦しい。
しっかり仕事をせねば!
夫も明日、東京出張だというし、よく働く夫婦だなーと客観的に思う。
一生懸命働いて、ローンを返していかないとね。
ただ、「家」というのはすごいもんだなとも思う。
この家があるから・・・この大好きな家を手に入れられたから、どんなことでもがんばろうと、
たぶん、私も夫もそんな気持ちで毎日必死に働いている。
それくらい、この家が宝物。
それはもちろん、資産価値なんかじゃなくて、心のよりどころとして。
1日1回は必ず思う。
「ああ、いい家だなー。この家が大好きだなー」と。
自分ひとりでは決して手に入れられなかった家だから、夫には本当に感謝している。
お金というより、家族の「近くに住んで欲しい」という暗黙の願いを断ち切って、この町を選んでくれたことに。
最近、凹んだり、情緒不安定に陥ってばかりの毎日だけど、
空を見たり、月を見たりして、なんとか頑張ろうと顔を上げられるのは、この町にいるからだと思う。
昨日の十六夜の月も本当に美しかった。
今も、聴こえるのはただ、静かに鳴く虫たちの声のみ。
情緒の定まらない私は、そんな静かな声にも目頭が熱くなる。
昨日は川端の「千羽鶴」を再読した。
舞子まで取材に行ったので(往復4時間!)1冊すぐに読み終えた。
明日の取材もまた遠いので、川端の作品を何か持っていこうか。
ふと、久しぶりに「恢復」という言葉が頭をよぎる。
酔っ払って帰ってきた夫と昨夜、少し話した。
周りが早稲田・慶応・同志社と優秀な学歴をもった人たちばかりの会社で、自慢できるような学歴もない大学中退の夫だが、
その分、人一倍の努力を重ねていることを私は知っている。
彼独自の処世術もあるし、人柄もあるしで、努力の甲斐あって仕事は順調だ。
毎晩、12時を過ぎないと帰ってこないような暮らしの中で、6年付き合っていてただの一度も愚痴をこぼしたことがない。
とてもマネできることじゃないと、心から尊敬している。
そう私が話したら、嬉しくて笑いをこらえきれなかったようで満面の笑みになった(笑)
「くっくっく」と笑いがどんどんこぼれていた

でも、彼は本当の意味で恢復していないと、たまに思う。
「もっと書いたらいいのに」と私は言う。
物書きのくせに、彼は書かない。
私とは違うんだな、とも思う。
書かなくても生きていける人なのかと。
そう言うと、お前が書くのは日記だけか?日記だけでいいのか?と言われた。
いい、と言ったら何も言わなかった。
日記でも何でもいい。
私は、書かないと無理だ。
一番近くて、一番親密で、一番離れられない。
親友みたいなもの。
私のことを一番理解してくれるもの。
汚い自分を取り繕ったり、良く見せるために虚勢を張ったり、楽しい話をして場を盛り上げる必要もない。
出すのは、本当の自分だけでいい。
それが、私にとっての「書く」という行為。
そんなことを思うだけで涙が出る夜もある。
失望して、お酒を飲み続ける夜もある。
少しも恢復しないまま、自分をごまかし続けて日々が過ぎる。
言い訳と逃げだらけの人生は、一体いつまで続くのか。
ただ、言葉から離れるのも怖くて、言葉を綴ってゴハンを食べている。
この土日はダイエットも忘れてひたすら飲んだくれていた
まあ、そんなに増えていなかったのでよかったが……
土曜もビール、ワイン、日本酒と飲み続けたが、
日曜も京都に出かけ、ビール、ワイン、バーボン、ビール、ハイボール……と、ずっと飲んでいた。
昨日は京都・西院ミュージックフェスティバルだったのだ。
新京極でもお祭りをやっていて、まずはそれを見に行った。
その後、ごはんを食べて、西院へ移動。
見たいバンドは7時からだったので、それに間に合うように行った。

神社にステージを作って、↑こんな感じのライブ。
すごい寛大な神さんやな、と思う。
田中ハルさんを筆頭に、ぞくぞくステージに上がるブルースマンたち。
ブルースの良さは、いつでも誰とでもセッションできることだなぁ。
ライブはめっちゃ良かった!
久しぶりに感動した。
本当に、涙が出るくらい心が揺さぶられた。
いつまでもいつまでも、ずっとブルースにひたっていたかった。
終わってからも興奮が冷めず、夫と安い居酒屋へ。
そこで2時間くらい、いろんなことを語り合った。
とても価値のある時間。
「かおりは欠落人間だけど、周りの友だちはみんな器の大きい優れた人たちばかりだから、
いつもあなたの欠落を許してくれている。
でも、あなたは情に厚い。裏表がない。それだけは確かで信頼できる。
それをみんな知っているから、付き合ってくれるんだよ」
というような意味のことを夫に言われた。
そんなことは百も承知。
もう、なんというか……自分の器の小ささを実感して、本当に嫌になることがある。
いじけて、卑屈で、劣等感の塊で、なのに自己主張ばっかり激しくて。
夫に言われるのは、「子供と同じやな」ということ。
大人になって変っていくべき部分が、全く変っていないのだ。
自分の意見が通らないと暴れるとか、自分が中心じゃないとすねるとか、
すぐ偉そうに人にものを言うとか、自信や興味がないことは徹底してやらないとか、
そのくせ好きなことは人に押し付けるし、勢いだけで人を負かそうとするし、
勝手気ままにやってるかと思えばすぐ凹んで自己嫌悪に陥って、ずっといじけてる。
たぶん、誰しもそういう面は持っているのかもしれないけど、大人は隠そうとする。
私も隠そうとはしているのだが、隠し切れない
(仕事のときはさすがに別だが)
うまく隠れたつもりが、人からは丸見えだったりする。
自分の生き方は、本当にみっともない。
劣等感の塊で、毎日悩んで、泣いて、怒って、自己嫌悪に陥って・・・
またがんばる!と決意してもまた失敗。
もがいてもがいて生きているような気がする。
夫の言うように、器の大きい友だちがそばにいないと、もうどうしようもない。
私の友達を見ていると、精神が気高い人なんだな、と思うことが多い。
でも、きっとそんな人も、自分を保つために、人からは見えない場所で歯を食いしばって涙をこらえて、
くじけそうな夜も顔を上げて、朝になったらまた強くあろうとしているのだろう。
そんなことすら、周りの人には微塵も感じさせないけれど。
これが大人や!!
自分の心を見せない、人に触れさせない、そういう気高さみたいなものが自分もほしいと思うことがある。
だけど、その精神の気高さというのは、努力しても得られないもののような気がするんだなぁ。
じゃあ、私は私流でやるしかない。
子供の頃に嫌というほどうえつけられた劣等感。
コイツと一緒に人生を歩むしかなかった。
隠すことなんて絶対にできないほど存在が大きかったから、
逆に、劣等感抱えてることも全部見せて、かっこ悪くもがいて生きてやろうと思ってきた。
とにかく一生懸命、真摯に、情熱をもって。
上手に皆と渡り合って生きていく方法がそれしか見つからなかった。
先に「丸腰ですよー」と手を挙げて内側全部さらけだして、悪意のない人間だとわかってもらうことが、
人と接するときに一番楽な方法だった。
そして、こんな劣等感もって、こんなダメ人間なんですが、めっちゃ一生懸命生きている人なんですよーと、
不器用と真摯を売りにして、人の信頼を得ようとしていた。
(今は少し変ってきたかもしれないけど)
みっともなく見えるかもしれないけど、そうしか生きられなかったんだなぁ……
これが、私なりの処世術。カッコわる……
昨日は夫とそんな話もしていた。
ちなみに夫は絶対に手の内を見せないタイプ。
「カッコ悪いこと」はとても嫌う。
「俺はロッカーやからな」と、男の美学(自分なりの)で生きているような人だからなぁ。
内側は熱いくせに、人当たりはやわらかい。
でも、夫もまた「そうやって生きていくしかなかった」のだろう。
みんなそれぞれの処世術があるんだろうな。
それぞれ、抱えているものが違うから……
まあ、でも、私はもうちょっと器の大きい人間になれるよう努力しないといけないな。
いじけた精神や、マイナスになるような卑屈さは排除しなければ。
人のことを「いいな、いいな」と羨ましがったり、あーだ、こーだと偉そうに自分の考えを勢いで押し付けたり、
そういう子供みたいなことはやめないと……。
もっとちゃんと人の話も聞かないといけないし、「私!私!」という自己主張もほどほどに……
で、結局またこれ。
「明日はちょっとでも良くなれるように!」
何度失敗したって、反省して、また目標掲げて、がんばるしかない。
でも、後ろ向きよりはいいんちゃうかな?(笑)
「明日はまだ失敗も後悔もない、まっさらな日!」やもんね。【引用:「赤毛のアン」より】

まあ、そんなに増えていなかったのでよかったが……
土曜もビール、ワイン、日本酒と飲み続けたが、
日曜も京都に出かけ、ビール、ワイン、バーボン、ビール、ハイボール……と、ずっと飲んでいた。
昨日は京都・西院ミュージックフェスティバルだったのだ。
新京極でもお祭りをやっていて、まずはそれを見に行った。
その後、ごはんを食べて、西院へ移動。
見たいバンドは7時からだったので、それに間に合うように行った。

神社にステージを作って、↑こんな感じのライブ。
すごい寛大な神さんやな、と思う。
田中ハルさんを筆頭に、ぞくぞくステージに上がるブルースマンたち。
ブルースの良さは、いつでも誰とでもセッションできることだなぁ。
ライブはめっちゃ良かった!
久しぶりに感動した。
本当に、涙が出るくらい心が揺さぶられた。
いつまでもいつまでも、ずっとブルースにひたっていたかった。
終わってからも興奮が冷めず、夫と安い居酒屋へ。
そこで2時間くらい、いろんなことを語り合った。
とても価値のある時間。
「かおりは欠落人間だけど、周りの友だちはみんな器の大きい優れた人たちばかりだから、
いつもあなたの欠落を許してくれている。
でも、あなたは情に厚い。裏表がない。それだけは確かで信頼できる。
それをみんな知っているから、付き合ってくれるんだよ」
というような意味のことを夫に言われた。
そんなことは百も承知。
もう、なんというか……自分の器の小ささを実感して、本当に嫌になることがある。
いじけて、卑屈で、劣等感の塊で、なのに自己主張ばっかり激しくて。
夫に言われるのは、「子供と同じやな」ということ。
大人になって変っていくべき部分が、全く変っていないのだ。
自分の意見が通らないと暴れるとか、自分が中心じゃないとすねるとか、
すぐ偉そうに人にものを言うとか、自信や興味がないことは徹底してやらないとか、
そのくせ好きなことは人に押し付けるし、勢いだけで人を負かそうとするし、
勝手気ままにやってるかと思えばすぐ凹んで自己嫌悪に陥って、ずっといじけてる。
たぶん、誰しもそういう面は持っているのかもしれないけど、大人は隠そうとする。
私も隠そうとはしているのだが、隠し切れない

(仕事のときはさすがに別だが)
うまく隠れたつもりが、人からは丸見えだったりする。
自分の生き方は、本当にみっともない。
劣等感の塊で、毎日悩んで、泣いて、怒って、自己嫌悪に陥って・・・
またがんばる!と決意してもまた失敗。
もがいてもがいて生きているような気がする。
夫の言うように、器の大きい友だちがそばにいないと、もうどうしようもない。
私の友達を見ていると、精神が気高い人なんだな、と思うことが多い。
でも、きっとそんな人も、自分を保つために、人からは見えない場所で歯を食いしばって涙をこらえて、
くじけそうな夜も顔を上げて、朝になったらまた強くあろうとしているのだろう。
そんなことすら、周りの人には微塵も感じさせないけれど。
これが大人や!!
自分の心を見せない、人に触れさせない、そういう気高さみたいなものが自分もほしいと思うことがある。
だけど、その精神の気高さというのは、努力しても得られないもののような気がするんだなぁ。
じゃあ、私は私流でやるしかない。
子供の頃に嫌というほどうえつけられた劣等感。
コイツと一緒に人生を歩むしかなかった。
隠すことなんて絶対にできないほど存在が大きかったから、
逆に、劣等感抱えてることも全部見せて、かっこ悪くもがいて生きてやろうと思ってきた。
とにかく一生懸命、真摯に、情熱をもって。
上手に皆と渡り合って生きていく方法がそれしか見つからなかった。
先に「丸腰ですよー」と手を挙げて内側全部さらけだして、悪意のない人間だとわかってもらうことが、
人と接するときに一番楽な方法だった。
そして、こんな劣等感もって、こんなダメ人間なんですが、めっちゃ一生懸命生きている人なんですよーと、
不器用と真摯を売りにして、人の信頼を得ようとしていた。
(今は少し変ってきたかもしれないけど)
みっともなく見えるかもしれないけど、そうしか生きられなかったんだなぁ……
これが、私なりの処世術。カッコわる……

昨日は夫とそんな話もしていた。
ちなみに夫は絶対に手の内を見せないタイプ。
「カッコ悪いこと」はとても嫌う。
「俺はロッカーやからな」と、男の美学(自分なりの)で生きているような人だからなぁ。
内側は熱いくせに、人当たりはやわらかい。
でも、夫もまた「そうやって生きていくしかなかった」のだろう。
みんなそれぞれの処世術があるんだろうな。
それぞれ、抱えているものが違うから……
まあ、でも、私はもうちょっと器の大きい人間になれるよう努力しないといけないな。
いじけた精神や、マイナスになるような卑屈さは排除しなければ。
人のことを「いいな、いいな」と羨ましがったり、あーだ、こーだと偉そうに自分の考えを勢いで押し付けたり、
そういう子供みたいなことはやめないと……。
もっとちゃんと人の話も聞かないといけないし、「私!私!」という自己主張もほどほどに……

で、結局またこれ。
「明日はちょっとでも良くなれるように!」
何度失敗したって、反省して、また目標掲げて、がんばるしかない。
でも、後ろ向きよりはいいんちゃうかな?(笑)
「明日はまだ失敗も後悔もない、まっさらな日!」やもんね。【引用:「赤毛のアン」より】