不覚にも、陣内&紀香の披露宴を見て泣いてしまった
正直に言えば、というか、友達や両親や彼も知っていることだが、私は結婚式なんてしたくなかった。
ずっとあんなものは「茶番劇」だとしか思っていなかったからだ。
もちろん、友達の結婚式に行けば感動もするし、嬉しくも思う。
だけど、自分があんなことをするなんて、とんでもないと思っていた。
だけど、結婚式を自分がやってみてわかった。
結婚式って、本当に素晴らしい。
あやとダンナのとしくんが「結婚式に出席するのが好き」と言っているのを聞いてずっと意味がわからなかったけれど、今はよくわかる。私も今は早く誰か結婚して私を招待してくれないかと思っている。
結婚式に行きたくて仕方がない。
芸能人の披露宴の番組なんか一度も観たことがなかったのに、今日は観たのもそういう理由だ。
私はなんて想像力が乏しい人間だったんだろうかと思う。
自分が経験してみるまで、あの素晴らしく幸せな空間の意味がわからないなんて。
ずっと書きたかったけれど、何をどう書いていいのかわからないくらい感動が大きくて、一番重要な「結婚式のこと その3」を書けずにいた。
でも、今日は書こうと思う。
私は友達を12人招待した。
11歳で出会った四半世紀を共にしたこうちゃんを始め、皆20年来の友人だ。
式場のスタッフと何度も進行の打ち合わせをしたのだが、私がずっと主張し続けたのは、とにかく「友達全員が何らかの役割をしてほしい」ということだった。
普通は友人代表がスピーチをしたりするのだけれど、それは嫌だった。
だから、全員に1つずつ、申し訳ないけれど役割をお願いした。
受付、証人代表、一言スピーチ、ウェルカムボード作成、プチギフトのケーキ製作、退場のエスコート。
私の自己満足かもしれないけれど、みんなに1つずつ何かをしてもらえたことで、私自身はとても嬉しかった。
いわさきっちは60人もの美味しいケーキを焼いてくれ、ゆうちゃんは信じられないほど素敵なウェルカムボードを作ってくれた。
とても大変な作業だったことは知っている。
だけど、二人とも言うのだ。
「こういう機会を与えてくれて、ありがとう」と。
お礼を言うのは私のほうなのに、なぜか「ありがとう」と言われて、なんだかたまらなかった。
結婚式の証人代表と二次会の幹事を務めてくれたあやは、とにかくもう終始テンションが高くて。
まるで自分が結婚したかのように、満面の笑みを浮かべて、もう本当に幸せそうにしてくれた。
そして、「私にスピーチさせてほしかった。かおりちゃんのことをいっぱい話したかった」と言ってくれた。
後であやに指摘されて気付いたのだが、彼のことは、挙式でも証人代表の人がスピーチをして、披露宴では上司が2人長い時間スピーチをしてくれて、テーブルインタビューでも2人話してくれて、そのうえ、ライブでも演奏の前に3人が長めのスピーチをしてくれた。
それに対して私は、テーブルインタビューの短い話が5人。
たった1人も私の事を長く語ってくれる人はいなかった。
演奏の前のスピーチは予想外で、それがわかっていたら、最後の演奏のときに、もんちゃんにスピーチをしてもらえばよかったと後悔している。
が、そんなことを言っても始まらない。
後で、彼も私に「ごめんな。俺ばっかりで、かおりのことをしゃべってくれる人がいなくて悪かったな」と謝ってくれた。
あやもそれをすごく気にしてくれて、「私がかおりちゃんのことを言いたかった」と何度も(酔っ払って?)言ってくれた。
私も言われてみれば、そうだなぁと思い、一瞬は残念にも思ったが、自分のことを誰かに語られるなんて恥ずかしいので、まあこれでよかったかなとも思う。
たぶん、そう思えるのは、かどやのおかげだ。
かどやは、私が14歳からの友達で、波乱万丈の人生を生きている。
全く違う、何の接点もない人生を歩みながらも、なぜか20年も友達で。
「テーブルインタビューで一言もらうから」
そう言っただけで、彼女はなんと4冊も図書館で「結婚式のスピーチ」の本を借りて勉強してくれたという。
たった1、2分ほどのお祝いの言葉。
それなのに、そこまでしてくれた。
三次会の場で話しているときに、「スピーチ練習してきたのに、本番では1行も言えなかった」と言って、スピーチの内容が書かれたメモを見せてくれた。
確かに、1行も言えていなかった。
横で聞いていた愛ちゃんが言った。
「かどや、式場に行く電車の中でも練習してたんやで」と。
かどやは中学のとき、勉強が全然できなくて、私がいつも家に行って一緒に宿題をしていたような友達だ。高1の途中で中退して、それから2度の結婚と出産を経験している。
私にとっては、人生の師のようなもので。
いつだって、私はかどやの後ばかり追いかけていた。
「私といたら大丈夫やから」
中2の時、そういわれたことを今でも覚えている。
私が書いた2作目の小説は、かどやとゆうちゃんのことをまぜて書いたものだ。
それくらい、私の人生には大きな人だった。
だけど、正直に言って、あまりに歩んできた道のりが違いすぎるから、私はどこかで遠慮していたのだ。
彼女にとって、私はそんな重要な友達ではないと。
だけど、結婚が決まった時、誰よりも表情や言葉に出して喜びを表してくれたのは、彼女だった。
そして、三次会のテーブルで、こうちゃんが「ほんまにさんのうさんのことが好きやねんなぁ」と言ったとき、彼女は確かにこう言った。
「うん。だって、さんちゃんがいなかったら、私の人生、ないから」
その言葉の強さに、聞いていた皆が絶句した。私も何もいえなかった。
なぜかこうちゃんは泣いた。
「私の事が好きやのに、かどやみたいに素直に言えへんから、かどやの言葉聞いて羨ましくて泣いたんやろー」
そんなふうに、おちょくったつもりだったのに、こうちゃんは、初めて素直に「うん」と言った。そして、また泣いた。酔っ払っていたのかもしれない。
こうちゃんのことも、いつも追いかけていた。
中学の頃、いつも一緒に学校に行くのに、待ち合わせ場所に私が現れると、こうちゃんはどんどん無言で自転車を走らせる。私は必死に後を追う。
高校を卒業したときも、「東京に行く。もうほっといて!」と言って、すがりつく私を見捨てて東京へ行ってしまった。
嫌われているのかな、と思ったときもあった。
だけど、素直に「うん」と言って泣いている。
酔っ払っているにしてもだ。
そして、そんなこうちゃんを見て、またもらい泣きしているかどやがいた。
(みんな酔っ払い?)
あの日、私は本当に幸せだった。
もちろんずっとかどやのことは好きだったし、良い友達だったけれど、結婚式を終えて、改めて彼女のことが好きになった。
なんでこんないいヤツやねん・・・と何度も思うことがあった。
結婚式の後、すぐに写真をプリントして、持ってきてくれた。
その時、一番キレイだった写真を大きく引き伸ばし、額に入れてプレゼントしてくれた。
そして、自分とは関係なかった私の友達の写真もプリントしてきて、手紙まで添えて「渡しておいて」と。
そして、すぐにいわさきっちのケーキを自分でも注文してくれた。
「さんちゃんのおかげで、こんな美味しいケーキを作る人とも知り合えた。ありがとう」と言って。
私は想像力がなかったんだろうか。自分が経験してみてやっとわかる。
自分のことのように喜んでくれる友達がいることが、どんなに幸せかを。
自分の親友・・・あや、ふみこ、ゆうちゃん・・・が結婚した頃というのは、私自身は人生でも一番ボロボロの頃で、彼女たちの幸せをただ純粋に喜んでお祝いできたかというと、それは否だ。
もちろん、嬉しかったし、よかったなぁとは思った。
だけど、あの頃の私は、自分が今日どう生きるかで精一杯で、彼女たちにもっと何かしてあげられたはずなのに、それをすることができなかった。
人の幸せはただ「眩しいもの」で、自分とは縁のない、なんだか遠いもののように感じていた。
そんな自分を思い返し、後悔なんてものでは収まらない・・・自分をただ責めるのみの状態に陥る。
自分の小ささを責める。
こんな小さな、どうしようもない私の幸せを、本当に自分のことのように喜んでくれる友達の顔を見て、なんだかたまらなかった。
主役?とんでもない。
彼女たちにひれ伏して、謝りたいような気持ちだった。
引出物に、私と彼が作ったエッセイ集を入れた。
そこにも、彼女たちへの想いを綴ったが、感謝の気持ちは語りきれない。
話がそれるが、このエッセイ集は2日前まで徹夜のようなことをして作り上げたのだけど、作ってよかったと想っている。
読んでくれた人は、是非感想をほしいし、もし読みたいという人がいらっしゃったら送るので、是非メールをほしいと思う。
「出会い」
「音楽・友達・お酒」
「書くこと」
「両親」
という4つのテーマで、2人がそれぞれエッセイを書き、それを1冊にまとめた。
2人の人間が何の相談もなく書いたとは思えないくらい、それは似ていた。
彼のお母さんが、「最初読んだときは思わなかったんだけど、2回目読んだとき、二人の文章が似てるというのがわかった気がするわ」と言っていた。
この冊子はもう何度も「やめようか」という話も出たのだけど、作ってよかったと思う。
彼のバンドのケンちゃんや斉藤ちゃんが、「すごくよかった。文章に引き込まれて、どんどん読んでしまった」と言ってくれたのが、とても嬉しかった。
かどやなんて、10回も読み返したと言って、「ここがよかった」と、文章をほとんど暗記していた。これもまたびっくりだ。
何度も何度も泣いたという。
それが、私が一番嬉しかったこと。
彼のお母さんは控えめに、「あと2冊ほしい」といってくれた。
保存版と、自分がいつも読むものとを分けたかったらしい。
それもすごく嬉しかった。
うちの親は、最初は冊子のことに何も触れていなかったのだが、ある時、母が言った。
「2回読んで、同じところで2回泣いた」と。
「え?どこ?」と聞くと、「言わない」と恥ずかしそうに微笑んだ。
それを見て、あー、私はやっぱり母親に似ているんだなぁと思った。
あつかましいくせに、恥ずかしがりや。
私は、きっと母はここで泣いたんだろうなと思っているのだけど。
でも、この冊子を作ってみて、改めて思ったことがある。
それは、やっぱり彼のほうが文章が上手なんだなぁということ。
私は彼の半分の時間で書いているけれど、時間的なことだけじゃなく、やっぱり文章は下手だ。
なぜ自分はもの書きになったんだろうかと、改めて思う。
私の文章を一番好きなのは、やっぱり母。
母はあんなに恥ずかしがっていたのに、「かおりちゃん、あと6冊ちょうだい」と電話してきて、友達に配っていた
彼は本当にリズムのよい美しい言葉を上手に使う。
それは、読んでいて、とても心地良い。
この文章に私は惹かれたのだと改めて思う。
わかってはいたけれど、並べて書いてみたときの、自分の荒削りな稚拙な文章が目につき、情けなくなる。
これが、10年も文章で食べてきた人間のものなのかと。
だけど、私の言い訳を書くと、「両親」の章では、これはモデルが悪い!
彼の両親と私の両親では、差がありすぎて。
ひたむきに生きる小さな背中に涙するような彼の文章に対して、私のは「うちの両親は今日もモリモリご飯を食べています」だもんなぁ・・・
なんてね。
めでたい席ではかけないことが多すぎるんだよ、うちの親は。。。
仕方ないね。本当はお母さんに伝えたいことがもっとさたくさんあったんだけど。でも、彼女が、私が書ける範囲で書いたことをちゃんと感じとってくれて、感動してくれたことがとても嬉しかった。
結婚式は本当にしてよかったと心から思う。
友達の素晴らしさ、両親の愛情を、改めて感じることのできる場所だった。
今更だけど、本当に幸せ。
ありがとう。