月と歩いた。

月の満ち欠けのように、毎日ぼちぼちと歩く私。
明日はもう少し、先へ。

緩む。

2018-10-16 | 想い
秋らしい爽やかな日があるかと思えば、夏の名残のような強い日差しの日もあり。
ぐずぐずとした雨の日も多く、今年はなんだか「秋が来た」とはっきり思える瞬間がない。
今年はこのままそんな瞬間も味わうことなく、気がつけば秋のど真ん中にいるような、そんな予感がする。

また三連休は長野へキャンプに行っていたので、ただ疲れをまとって新しい週を迎え、原稿に追われている間に週末が来た。
土日はようやく衣替えなど自分のことをできると思っていたら、夫の買い物に付き合うことになり、疲れて帰宅してうだうだしていたら時間が過ぎてしまい、無念とも後悔とも恨みともつかないような気持ちになって、また週が明けた。

自分の部屋は、衣替えの途中のままだ。
洗ってたたんだ夏物の服と、捨てるものが積み上げられているだけで、まだ冬物は引っ張り出していない。
今も雑然とした部屋の中で、それらを横目で見ながらパソコンに向かっている。

それでも今週は「何も取材の終わった原稿を抱えていない」という、とんでもなく珍しい1週間。
先週の金曜日に取材済みの最後の原稿を提出した。今週金曜日にまた新たに取材が入っているが、それまでは私の中はからっぽ。
労働をしていようがいまいが、取材を終えたのに書いていない原稿を抱えていると、常に頭の中にはそれがある。
取材の時の空気や、あの時五感で掴んだ感覚を自分の中にとどめておく作業というのは、おそらくそれをやったことがある人でなければわからない。ご飯を食べていても、寝ていても、何をしていても、緊張している状態が続く。
それも、1つや2つでなく、いくつもの瞬間を自分の中に新鮮なままで留めておかなければならないときなど、パンパンに膨れ上がって、今にも破裂しそうで狂いそうになる。
もちろん、書き出していけばいいのだが、取材が続いてそれができない時は、本当にしんどい。ずっと張り詰めている。
でも逆に、今のように何も自分の中に留めていないと、私はぼんやりできる。ほわほわとした気持ちで、時間の流れもゆっくり感じることができる。

とはいえ、やりたいことが多すぎて、時間はいくらあっても足りない。
衣替えすらまだ終わっていないのだから。

ずっとなくなりかけた化粧品をちびちびと使って耐えてきたが、それも限界なので、久しぶりに化粧品をいろいろ買い揃えた。
それだけでもなんだか気持ちが浮かれるから不思議だ。

花苗も注文した。この夏は猛暑と大雨の繰り返しで花がうまく育たなかったけど、秋の花壇はきれいに作りたい。

今日はこれから靴を買いにマルイへ行く。
私の小さな足に合う21cmか21.5cmの靴が一番揃っているから。これでボロボロの靴からも解放される。

秋の服も少し買いたいが、とにかく太っているので鏡を見ると購買意欲がそがれてしまう。何一つ可愛い服は似合わないから。
これはダイエットが先か・・・。

あとはコンタクトを新しく替えに行き、髪染めをし、左手の腱鞘炎を治すために病院へ行けば、だいたいやりたいことは終わる。

しかし、この休息の間にも、どんどんスケジュールが取材で埋められていく。
19日、京都
20日、石川
22日、大阪
23・24日、茨城
29日、京都
30日、鳥取
31日、兵庫
5・6日、秋田

またこれだけの取材を自分の中に抱えて、張り詰めた日々が続くのだ。