月と歩いた。

月の満ち欠けのように、毎日ぼちぼちと歩く私。
明日はもう少し、先へ。

偶然の出会いなどない。すべては必然だ。

2018-10-18 | 想い
一昨日は祇園の店で一緒に働いていたAちゃんと二人飲み。
私が辞めてからの話などをいろいろ聞いた。
3軒ハシゴして、いいお酒をたくさん飲んで盛り上がった。
彼女とはこれからも何かとつながっていくのかな。時間が経てばどうなるかわからないけど(今は共通の話題があるので盛り上がるが)、一緒にいて楽しい人。

「言葉が通じる人」かどうかというのはとても重要だと思う。
もちろんこの「言葉」とは、日本語や英語といった「言語」の話ではないし、方言やイマドキの流行り言葉という意味でもない。

ちゃんと同じ日本語で話をしているはずなのに、どうもかみ合わない人というのがたまにいる。
それは性格の不一致とかそういうことともまた違って、うまく言えないけれど「言葉が通じない」というのが一番しっくりくる。

言葉そのものの重みをどう捉えているのかということや、表現方法の違いなども影響するけれど、もう少し深いところの話。
こちらがどんなに熱を持って話をしても通じないこともあれば、逆に言葉足らずなのに理解してもらえることもある。
前者の場合はがっかりしてしまうし、時々腹が立つこともある。
後者の場合は、それだけでとても幸福な気持ちになる。

Aちゃんは言葉の通じる人だ。
だから楽しいのだなと思った。

抱えている原稿がないというのもいい。それも今日までだけど。
ぎっしり埋まった取材スケジュールに、さらにや山形行きも追加された。
でも、今週で生気を養えたように思う。やはり一度リセットするって大事だ。今はやる気しかない。
それに正直、まだ物理的な時間の余裕は十分にある。
問題は精神的なものだ。自分の中に抱えていく緊張感にどう耐えるか。それだけ。

実際、物理的な余裕はまだあるので、28日に某酒の会へ参加することになった。
参加費が15000円もするので、気軽に人を誘うこともできず、一人で参加することにした。
祇園で知り合った人からのお誘い。35蔵も集まり、酒だけなら50蔵の酒を飲めるとのこと。それも出品酒クラスの大吟醸がどんどん出るらしい。
その主催が、北新地で有名な日本酒のお店の店主で、いわば個人的なつながりだけで全国の蔵元さんをそれだけ動かせるのだからすごい。
そういうしっかりした会だったので、思い切って参加することにした。
15000円の価値は十分にあるのがわかるので、お金のことはいいのだが、お酒の会に一人で参加するのは初めてだったので、かなり不安だった。
でも、こういう引っ込み思案な自分を克服しないといけないと思っている。
祇園勤めだって、私にしたら大きなチャレンジだったけど、結果的には「人のつながり」という大きな財産が残った。
15000円の価値をちゃんと感じられるような、いわば「大人」ばかり集まる会なので、ここでもいい出会いがきっとあると思った。

そしたら、まだ参加前だけど、すでに大きな出会いがあった。
誘ってくれた人のテーブル(10名)のグループチャットが昨日できたのだが(お金の振込先や会の内容などを共有するため)、なんとそこにふみこの陶芸の先生がいたのだ。
先生から私へ連絡があり(先生が気づいた。それもすごい)、もしかしてふみこさんの友達の方では?と。
世間って本当に狭い!!
びっくりしたけど、共通の話題を持った人がいてくれて、ホッとした。

私はこういう仕事をしているので決して「人見知り」ではない。初対面の人でもガンガン話せるし、人と話すのは大好きだ。
でも、誰も知らない人ばかりの中へ一人で飛び込むのは苦手だ。
それはきっと、学生時代のトラウマがあるからだろう。
クラス替えなどのとき、私はいつも誰からも話しかけてもらえなかった。
「真面目そう」「暗そう」「面白くなさそう」「性格悪そう」と言われるし、実際そのように思われるような「つまらなそうな顔」をしていたのだけど、ニコニコして人に好かれようとも思わなかった。世間を「フン!」と斜めから見ているようなところがあった。
今は大人になって、とにかくいつもニコニコしている。
とりあえず、ニコニコしていたら、「私は人に害を与える人間じゃないですよー」とわかってもらえるからだ。
そうか、ニコニコするってこんなに得なことだったのか、と大人になって気づいた。
それでもいまだに酔っている時以外は、カメラを向けられても笑えない。子供の頃から笑っている写真がほとんどなかった。

もしかしたら、うちの姉もそうだったんじゃないかなと思う。
姉のところの娘(ひな)は小さな頃からとにかくニコニコする子だった。カメラを向けられてもいつも笑顔。
つい最近、それは姉がずっと「笑顔でいなさい」とひなに言って育ててきたからだと知った。
へー、そういう教育をしてきたのかと意外だった。

とにかく、そういうトラウマがあって、大勢の中に入った時に誰からも話しかけられない自分の映像が頭に浮かんで淋しくなってしまうので、一人で参加するのは苦手だったのだ。
でも、じっと膝を抱えて家の中で自分の世界にこもっていたら、本当は安心だけど、何もチャンスはない。
今は少しでも前に出て、「私はここにいますよ」と、世間の人にアピールしていきたい。
これまでの20年も人のつながりで仕事をしてきた。
これから先も自分が行きたいステージに立つためには、人のつながりは絶対に欠かせないものだと思っている。
祇園で得た人脈を大事に、それをまた次へとつなげていきたい。
まだまだやりたいことは山ほどあるのだから。