月と歩いた。

月の満ち欠けのように、毎日ぼちぼちと歩く私。
明日はもう少し、先へ。

『生きてさえいれば、なんとかなる』

2012-05-08 | 想い
今、NHKのドラマ「開拓者たち(再放送)」の最終回を見終わった。

ドラマニアのあやに勧められて見ていたのだが、毎回号泣で、終わるとしばらくは立ち直れなくて、夫から「なんでそんなしんどいのに見るの?」と言われていたドラマ。あやにも「そんなにしんどいなら見なくていいよー」と言われたし、別のドラマニアの友達からも「1回見たけど重すぎてやめた」と言われていたような、かなりヘビーな内容。
言葉足らずを承知で1文でものすごーく簡単に言えば、満州を開拓しようと日本から渡った男女が第二次世界大戦の戦乱に巻き込まれ、瀕死の思いで帰国し、栃木県那須でもう一度開拓をするという、史実に基づいたフィクション。
まあ、この1文でも重さは伝わるのではないかと思う。

でも、見てよかった。すごくよかった。号泣して、今も目が腫れてるけど、よかった。(ありがとう、あや!)
と絶賛しているけれど、感想を書くことは難しい。
ここではあまりイデオロギー的なことは書かないように気をつけているので、感想は自分の心の中に留めておこう。
ただ、今からは考えられないほど過酷な時代を生き抜いてきた人たちのことを垣間見ることができてよかった。

今、思わずいろんな思いを書き綴ってしまったのだが、気がつくとイデオロギー的な話になっていたので慌てて削除した。
ネット上で、それもこんな適当に書いているブログで、重い話を書くのは怖い。言葉の威力はすごいからなぁ。昔、痛い目を見たことがあるので・・・。

じゃあ、何を書きたかったかというと、最終回のタイトルが「生きてさえいれば、なんとかなる」だったということだ。

まだ若かった頃、一緒に夜道を歩いていた母が言った。
「かおりちゃん、星がきれいねぇ」と。母は美しいものが好きな人だ。花も器も家具も、人の心も。

それから、「目が見えてよかったね」と母は言った。
「感謝しないとね。生きてさえいれば、なんとかなるから」

今も、星を見上げるたびに思い出す言葉。

結婚したら、夫が言った。「うちのおかんの口癖は『生きてさえいれば、なんとかなる』やから」。
あー、おんなじだ。自分にとっての人生のキーワードだ、と思った。

いつもこの言葉が頭に浮かぶたびに、部屋の隅で三角座りをして、何かを考え込んでいた母のうつろな目を思い出す。
それから、まだ私が幼い頃、父に対して泣き叫んでいた母の顔、19歳のときの家族会議の困ったような泣きたいような顔、姉の結婚式の前に「こんなに働いてきたのに渡せるお金がないの。情けない・・・!」と泣いていた姿、私が26歳で家を出ると言った時、戸惑っていた私に、「がんばったんだからいいのよ!」と離れる寂しさを隠して言ってくれた言葉・・・。そんな母の姿がフィードバックする。

『生きてさえいれば、なんとかなる』

重いな・・・。重い言葉やな・・・。
まだ私なんかが口にする言葉じゃない。母でもまだぬるい。満州から帰国してきた開拓民たちが口にしてやっと意味のある言葉なのかもしれない。
少なくとも、「生きてさえいれば」というほどの人生も生きていない自分が言う言葉でもないな。

今日、この言葉でセンチになっているのは、先日母と会ったからかもしれない。
もんちゃんと町内を散歩しながら話しているうちに、母の勤めている園芸店にやって来た。覗いてみると、母がいたので声をかけた。
いや、2週間ほど前にも会ったのだけど、外で見たら、その変わりようにびっくりして・・・。

いつ会っても、母は顔がツヤツヤしていて、ニコニコして、元気なオーラがあふれていて、こちらが圧倒されるほどだった。
それなのに、この日会った母を初めて「おばあさんだ」と思ってしまった。
「あら、もんちゃん」と、母はいつものようにお上品にもんちゃんに話しかけた。にこやかだった。だけど、もうあのオーラはなかった。

もっと早くに親を亡くしている友達もいるので、おばあさんになった姿を見ることができることも幸せなのかもしれないけれど、傲慢を承知で言えば、やっぱり悲しくて。
親が年をとるのを実感するというのは、なんて悲しいことなんだろう。
病床につく親を見るほうが辛いのは十分承知しているが・・・。

いや、・・・私がたぶん悲しいのは、親の姿そのものではないんだと思う。
そんな親に何一つ孝行できない自分のことが情けなくて。
膝に水がたまって痛くて毎日病院に通ってほとんど歩けないのに、まだ園芸店へ働きに行く母。
「鋼鉄の女」と呼ばれていた(私が呼んでいただけだが)だけに、そのギャップでせつなくなってしまう。

申し訳ない。なんでこんなダメ娘なのか。何度反省しても忘れてしまう。きっと母が死ぬときに後悔するんだろうな、私は。
本当に何か考えよう。ちゃんとしよう。

『生きてさえいれば、なんとかなる』

昔、自分の小説の中にも書いた。
今思えば傲慢でしかない。
どんな状況でも悲しみを背負っても、強く生きて生きて生き抜いた、そんな人間だけが使える言葉だ。


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