月と歩いた。

月の満ち欠けのように、毎日ぼちぼちと歩く私。
明日はもう少し、先へ。

まだライターを辞めたくないわけ。

2012-05-08 | 仕事
今週は何かと仕事が忙しい。
来週も1件打ち合わせが入った。
Yさんの事務所からで、なんだか電話では「新しいことを始めるので、まだ計画だけなんですけど、話聞いて良かったら乗って~」というような内容だったので、どんなことなのか楽しみにしている。

自分の周りの友達や仕事する相手は皆、仕事熱心かつ人柄も良いが、この人はまた格別面白い人で。
共通の知り合いの誰に聞いても「Yさんはホントいい人ですよね~。面白いし~」と言う。
「いい人」と言っても単なる善人というわけではなく、「発泡酒に溺れている」し(笑)、「Yさんっていつも二日酔いでしょ?」と言われているような、見た目もなんとも個性的な人なのだが、社交的で欲がない。

例えば、普通は自分がライターに仕事を斡旋したら、自分を飛び越えてライターが取引先と直接やりとりするのを嫌がるものなのに(それはこの業界では当たり前)、Yさんは取引先に私を紹介して、「このほうが直で仕事がくるかもしれないでしょ?どんどん自分をアピールしてください」と言ってくれるような人。
これまでにYさんのおかげで3つも新しい取引先ができた。

今回は、紹介ではなく、Yさんのデザイン事務所との仕事みたいなのだが・・・。
事務所の女性スタッフ2人もすごくいい人で、来週はその2人もまじえて4人で食事兼打ち合わせ。食事も仕事の話も楽しみだ。

それにしても日常に戻ると1日が終わるのが早い。
気がつくと「もう昼か~」「え?もう夕方?」「いやだ~!もう夜中やん」という感じ。

GW中に考えたこと。
もっと物書きとしてのレベルを上げよう。

GW中に、この間初めて書かせてもらった流通業界の専門誌が届いた。2ページだけだったけど、なかなか良い出来だった。
そんなにたいしたコーナーではないのだが、大きく名前も入れてもらっていて、自分の名前が活字になるというのは、昔も今も変わらず気持ちの良いものだなぁと、しみじみしながら眺めた。
夫に読んでもらったら、「さすがにプロの文章やなぁ」と言われた。もう1冊、同じく初めて書かせてもらった奈良の雑誌があるのだけど、そちらと比べて「こっちはほんまにプロやと思う」と言うのだ。
私としては、その時は複雑な心境だったのだが、今はなんとなくわかるような気がする。

奈良の雑誌も、決して「誰にでも書ける」記事ではない。ライターとしての仕事はちゃんと果たした。
だけど、たぶん15年前の駆け出しの私でも同じレベルのものが書けた。
でも、流通雑誌は違う。15年前は書けなかった。流通サービス業の会社の中で10年書いて、スーパー業界で2年書いて業界の知識を得て、1年半スポーツ新聞で「報道としての書き方」を学んで、そういう経験を積み重ねてようやく書けるもの。
「期待以上のものがあがってきた」と編集者に言ってもらえたのも、そんな積み重ねのおかげであり、私個人がもともと持っていた才能みたいなものとは違う。
だから、「プロ」の仕事なのだ。

最近、自分は物書きとしての才能というのはあるんだろうか?と考える事がある。
上手い文章やコピーに触れると落ち込むこともある。
そんなときは、「才能がなかったら15年もフリーでやってこられたか?!」と自分に問いかける。
これまでの仕事の多くが、高い競争率を自分の文章で勝ち抜いたか、仕事のデキを気に入ってもらって紹介などで繋がった仕事なのだから、決してダメなわけではないと自分を励ましてもみる。

だけど、広告でも新聞でも雑誌でもサイトでも、人の心を動かさなければ意味がない。それは「感動させる」という狭い意味ではなく、何か心にひっかかるとか、何か行動を移したくなるとか。広告なら「この商品買ってみよう」「ここへ行ってみたい」それでいい。「涙が出るほど感動した」とかそういう動かし方ではなくて。
もちろん、それを目指して書いてきたつもりではあるけれど、自分はこの数年間、毎日食べていくための稼ぎのことばかりに頭が行ってずっと停滞していたのではないかと思う。今こそもう一歩上のレベルを目指す時なのかもしれない。
その機会が与えられているのを感じる。
奈良の雑誌では編集長の意向にうまく沿うことができずに戸惑ったけれど、考えようによっては、打たれたり悩んだりして、また新しい分野で成長できるチャンスなのだろう。

今から12年ほど前、スポーツ新聞の観光欄を書かせてもらっていたとき、徳島の某ホテルへ取材に行った。プレスツアーで、いろんな新聞や雑誌社の人と共に。
新聞の記事というのは、データあってこその客観的なもので、個人的な意見や感想などは入れない。(社説やコラムなどは別)
だからプレスツアーで行くとどこも同じような記事になる。
でも、私はその新聞社の記者である大ベテランのOさんにとにかく認めてもらいたくて、必死にくいついて取材をしていた。他とは違う切り口を探していた。すると、ホテルのオーナーが、ポロリとこんなことを言った。「朝、宿泊された子供さんたちに、カブトムシをプレゼントするんです」と。
ほかはどこもこのことを書かなかった。もしこれが観光でなく芸能ニュースならスクープってやつだ(笑)

以下、記事より一部抜粋。

また、大自然の中には不釣合いなほどの快適さを提供しながらも、都会のホテルでは決してまねのできないサービスがあるのがこのホテルの売り。例えばフロント横にはクワガタやカブトムシの入った大きな水槽を置いている。これらは社員が夜になると近くで拾ってくるもので、出発の朝に子どもたちにプレゼントされる。都会ではお金を出して買うクワガタなので、子どもたちは大喜びだ。
「商売が下手なんです」と言う○○支配人(51)は自ら車を運転し大歩危駅までの送迎をよく行う。時間が許せばハギの群生地や村全体や吉野川が一望できるスポットも案内する。それは客に料金以上の満足を与えたい一心からに、ほかならない。


この記事が掲載されると、ホテルから新聞社へお礼のハガキが届いた。・・・と、Oさんから聞いた。このホテルの個性をしっかり出せたし、どこかほのぼのとするエピソードで、ホテルのイメージもアップできたのだろう。Oさんは何度も私を褒めてくれた。あれはよかった、それにあんただけがずっと取材していた。あんたは根性がある、と。

もうこの世の中で誰一人として覚えていない記事。ホテルの人たちだってきっと忘れている。
だけど、私は一生忘れないと思う。
これからも、こういう自分にとって「忘れられない仕事」というのを増やしていきたい。
それにはやっぱり誠実に1つ1つの仕事に向き合うことしかないんだろうな・・・と改めて思った。

25歳からずっと一人で仕事をしてきた私にとっては、会う人、会う人、すべてが「師」だった。そうでなければ15年も一人ではやってこられなかっただろう。振り返ると、いろんな人への感謝の気持ちでいっぱいになる。

これからもできる限り多くの人からいろんなことを学びたい。そして、停滞している今の自分から、もう1ランク上へ行きたい。人を動かす文章を書きたい。

結局のところ、上手いとか下手とか、お金になるとかならないとか、そんなことは関係なくて、私は書くことが好きなんだ。せつないくらいに。
昨晩、そう気づいたら、涙が出てきた。

どんなに劣等感に押しつぶされそうな日も、
子供時代の嫌な記憶も、家族との確執も、
折り合いのつかない出来事も人間関係も、
大きな失敗も、器の小さい自分も、
モヤモヤした気持ちも、打ちのめされた心も、
消えそうな自分の存在感に悩むときも、
書くことが、いつも救ってくれた。

だから、ずっと大切にする。もっと上を目指してがんばる。ずっと書き続けたいから。
どんなに仕事がないときでも、才能のなさに落ち込んだときでも、まだ私がライターを辞めたくないわけ。

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2 コメント

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書き続けることが (tacaQ)
2012-05-12 16:26:45
生きること、なんだよね。
なんとなくわかる。

昔の人の言葉に
「智謀の差は小なり さりとて実行力の差は大なり」
というのがあるけど、
才智なんて最初のベクトルみたいなもんで、大事なのはしがみついても続けることなんじゃないかと、この歳になってしみじみ思います。




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わかります (かおり)
2012-05-14 15:34:55
tacaQさん

「大事なのはしがみついても続けることなんじゃないか」
これ、よくわかります。実感します。

これからもしがみつづけると思います。
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