月と歩いた。

月の満ち欠けのように、毎日ぼちぼちと歩く私。
明日はもう少し、先へ。

慌ただしい1週間だった。

2019-11-22 | 生活
この1週間は人と会う予定が多く、慌ただしく過ごした。

16日(土)は、仲良しのデザイナーさんが店に立つということで、ディレクターのマキコちゃんと一緒にお店に行ってきた。
そのデザイナーMさんはとてもお料理上手で、第二の人生として自分の店を持つことを考えている。
昨年くらいから本気でそういう学校にも通い、今回、飲食店仲間の一人がやっているお店を週に1日だけ間借りして自分の料理を出すことになったのだ(完全予約制)。

カウンターメインのこじんまりとした店舗で、一人でやるにはちょうどよい感じ。
魅力的なおばんざいがいくつも並び、あれもこれもと食べたくなる。
マキコちゃんと相談しながらいろいろ注文したが、本当に何を食べても美味しい!











日本酒も、私が来るということで、2種類だけ置いてくれていた。



2週間ぶりのビールも旨かったし、何より久しぶりに二人に会えたことや、Mさんが夢に向かって一歩前進できたことが嬉しかった。
今は間借りだが、来春にはこの店をそのまま居抜きで借りれるかもしれないとのこと。
そうなれば、ちょっと遠いけど通いたい。


*   *   *

17日(日)は、夫と万博公園へ出かけた。



ロハスイベントをやっていたので、手作りのものを見たり、フードブースでいろいろ食べたりした。

国立民俗博物館の特別展が「驚異と怪異 想像界の生きものたち」というもので、人魚や河童、龍、そのほか、世界中のそういう不気味な生きものたちの展示をやっていた。
めちゃくちゃ興味があったので入ってみた。

さすが「みんぱく」。古今東西、いろんな展示物がこれでもかというほど多数集められていて楽しく見ていたのだが、途中でめまいがしてきた。
ダメだ。私はこういうものに敏感すぎる。
博物館内に得体のしれない「悪い気」が充満していて、それにやられてしまったのだ。
夫に「めまいがする。しんどい」と言うと、夫もやられていて、「俺も」と言う。
二人でソファに腰かけて休み、後半は通り抜けるようにして見て、足早にそこを去った。
外に出て「やばかったなぁ」と言い合う。きついわ、あれは・・・。

帰りにちょっとだけ串カツ屋へ。(ほろ酔いセット)
安い串カツだったが、こういうものを食べるのが久しぶりだったので、その旨さに驚いた。
「串カツとビール、最高やん!!」
はー・・・
なんということもないものが、こんなに美味しく感じるとは。


*   *   *

18日(月)は、かどやとようちんと3人で、京都の「とり粋」さんへ。
山椒鍋が食べられるお店だということで、ようちんが予約してくれた。
最初に唐揚げと焼き鳥が出て、いよいよ鍋へ。

初めての山椒鍋!


山椒の粉(スープで伸ばしたもの)が別についていて、好みで足すことができる。
三人とも山椒をどんどん自分の皿に追加して、思う存分楽しんだ。
みんな山椒が大好き。
舌は少しピリピリするが、「辛い」わけではないので、私もたくさん入れた。
美味しい、美味しいと、シメまでしっかり食べた。

これはいいなぁ。自分でもやってみたい。
ようちんとも久しぶりに会えてうれしかった。再発してから初めて。
いつも入院の前後でLINEをこまめに送ってくれる優しい人だ。(そして、おもろい)


*   *   *

19日は、もんちゃんが栃木から帰省してくれたので、中野と一緒にうちに来てもらった。
盆も正月も帰省しないのに、私のことを案じて来てくれた。それだけで十分だ・・・。

お花を持ってきてくれたのも嬉しかった。
優しいピンクの花束。バラのいい香りがした。



14時頃に来て、お茶を飲みながらしゃべった後、近くのスーパーへ買い出しに行き、塩ちゃんこ鍋をした。
昔はこのメンバーでよく鍋をしたことを思い出す。
そんな思い出話もしながら、美味しく楽しく食べた。

21時までいたけど、7時間があっという間!
気のおけない友との時間は、いつも優しく愛しいなぁ・・・。


*   *   *

20日は、朝から血液とCT検査で病院へ。
検査だけなので、すぐ終わった。
コメダでブランチをとりながら(朝は絶食じゃないといけなかった)、仕事。
そのまま午後から取材に行った。
相変わらず元気だ。


*   *   *

21日は、もんちゃんが帰る日だったので、その前に少しだけ二人で会った。
近所のカフェでランチして、パン屋やお寺などをめぐり、公園のベンチで座ってしゃべった。
私が再発した原因について思うことや、これからのことなども話した。
話すことで少し整理できたように思う。

名残惜しかったが、お別れの時間が来て、駅の改札で手を振った。
最近は涙もろくて、涙が出そうだったがこらえた。
「また会える」と思っているけれど、それが当たり前だった頃とはもう違う。
また会えるよう、私は恢復しなければ。

いろんな人のやさしさが、沁みる。