月と歩いた。

月の満ち欠けのように、毎日ぼちぼちと歩く私。
明日はもう少し、先へ。

抗がん剤治療3クール目スタート

2019-11-08 | 癌について
7日入院。
朝から採血、手続きをして部屋へ行ったら、いつものようにいきなり昼ごはんを食べさせられた。
そのあとはまた何もやることがない。

特等室は、確かに2倍の広さがあり、トイレ、シャワー、シンク付きでソファもあるが、病棟がものすごく古いので、思っていたような贅沢感はなかった。
地方のビジネスホテルに来た気分。無駄に広いだけの、、、
逆に、気持ちは落ち着いた。

することもないので、院内のドトールへ行ってコーヒー飲みながら原稿を片付けた。
結局入院前の2日で原稿が終わらず、当日は朝3時に起きて出発までやっていたが、それでも少し残してしまったのだ。
二時間くらいでそれも終了。
病室へ帰った。
シャワーして、夜ご飯を食べて、21時に就寝。

翌日は3クール目の抗がん剤投与。
前回の「点滴ルート拷問」を思いだし、恐怖でドキドキした。
10時半頃、看護師さんと、白衣は着ているけれど見習い風の若い男性が登場。
でも、前回の人よりは慣れている感じだった。
左腕を差し出すと、ペチペチと叩いて血管を探しだす。
「よくとるのはここです」
と私が左手首辺りを指すと、じゃあここにしましょう、と。
多少の痛みはあったものの前回ほどではない。
うまく入ったようだったので全員にホッとした空気が流れたが、白衣男性が「あれっ?」と言うので見ると、針を刺したところがぷくっと腫れていた。
(理由はわからん。誰か教えて)
「これはダメです。一回抜きます」と言われ、前回の恐怖がまたよみがえった。

またペチペチ叩きが始まり、手首と肘の折れ曲がるところの真ん中辺り(足で言えばふくらはぎの真ん中)に狙いをつけた。
生まれて初めて注射される場所!!
わかると思うが、ここって体の中でも特別に皮が薄くて繊細な感じがする。
しかし、もう「まな板の鯉」だ。

そして、祈りながら見ていると、痛みもそんなになくわりとすぐに入った。
よかった、、、
ものすごい汗と脱力感。
とにかくホッとした。

11時過ぎて投与開始。
始まればなんということもないので、いつものように点滴しながら昼ごはんも完食。

13時過ぎると姉と母がやってきた。
なぜか姉がマスクをしている。寒くなってきたので風邪でもひいたかと思ったら、
「ホクロ取ってん!」
と言ってマスクを外した。
見ると、鼻に3ヵ所、肌色のテープが貼ってある。

確かに姉はホクロが多い。
私たちが子供の頃は今みたいに「日焼け」に対する意識が高くなかったし、特に姉は私と違って幼少期から男の子たちと外で真っ黒になるまで駆けずりまわっているタイプだった。
(私は家で読書、お人形ごっこ、手芸)

姉は中学はバスケ部、高校はソフトボール。
運動神経もバツグンだった。
ちなみに私は「リアルのび太」とか「クマが走ってるみたい」と言われるほど超運動オンチ。
社会人になってから人に誘われて、テニスの1日体験に行き、右利きなのに、先生に「左利きだったら左で打ってもらっていいですよ」と言われたという伝説も作った女である。
まあ、それはいいが、姉はバブルな時代は海へスキーへスノボへと繰り出し、とにかく肌を焼き続けた人生だったのだ。
その影響は多分にあると思うが、確かに色黒だったしホクロも多い。
とはいえ、ホクロ除去を望むほど(それも50歳を超えて!)気にしているとは思っていなかったので驚いた。

今、会社的に仕事が一段落した時期で2週間お休みとのこと。それで、テープを貼ってもいいこの期間に行こう!と決めたのだという。
とりあえず、今回は鼻三個。
またそのうち他もお金と時間をみて、やるつもりだと言う。
「誰もあんたのホクロなんて気にしてないってみんなに言われるけど、私が気にしてるんやからいいねん」と言う。
確かにね、、、こういうのは本人の満足度が大事。

しかし、相変わらず行動力あるなぁ。
そうそう。
今回はルービックキューブの話題は出なかったが、「今は新しいこと挑戦してるの?」と聞くと、まだ始めていないが、これからキックボクシングをやるらしい。
近所にできたそうな、、、
「前からキックボクシングやりたかったのよねー」と張り切っている。
一番の目的はダイエットらしいのだが、、、
(糖質オフ生活と筋トレはすでに2ヶ月続けている。念のため書いておくと、姉は特に太ってはいない。これも自分のベストより太ったということなのだろう)

次に会ったときにはキック技でも披露してくれるのだろうか。
会うたびに楽しみが尽きない人である。