鴨着く島

大隅の風土と歴史を紹介していきます

長崎平和祈念式典2021

2021-08-09 14:00:22 | 日本の時事風景
8月6日に続き今日9日は長崎市主催の平和祈念式典が行われた。コロナ禍の中、去年同様、例年の10分の1ほどの参列者であった。

この1年に被爆者で亡くなられた3000名余りの名簿が供えられたが、これまでに累計で18万人余という。

76年前の8月9日11時2分、本来なら北九州の小倉に投下されるはずだったプルトニウム型原子爆弾「ファットマン」は、視界不良のため2番目の候補地であった長崎に落とされた。

即死者と重症の後に亡くなった人は6万から7万。中でも悲惨なのが爆心地にほど近い城山小学校だ。職員、生徒あわせて1400名が命を落とした。

また同じく爆心地に近かった浦上天主堂では、朝のミサが行われていたといい、天主堂は破壊され数百名が昇天した。

人種こそ違い、敵国とはいえ、同じキリスト教徒である「同朋」をむざむざ殺してしまったことで、米国も後悔し、浦上天主堂再建を申し出たらしいが、長崎市はこれを却下している。同じキリスト教徒だから殺害を後悔し、救いの手を差し伸べるが、原爆で死んだほかの日本人は異教徒だから「関係ない」というアメリカの態度に、市当局がカチンときたのだろう。当然のことだ。

長崎に原爆を落とし、多数のキリスト教徒を犠牲にしたことはアメリカの負い目になっており、カトリックの総本山ローマ法王からもけん責されている。

「原爆の投下は日本の降伏を早めた。落とさなかったら続いていたであろう戦闘で、失われたであろう100万の戦死者を出さずに済んだ」というのがアメリカの原爆投下の言い訳だが、一般市民の多数暮らす街のど真ん中に落とすという戦時国際法違反の仕儀への謝罪はない。

アメリカ側からの長崎平和祈念式典への公式参列は戦後70年近くなかったが、オバマ大統領の時に駐日大使になったあのケネディ大統領の娘、キャロライン・ケネディ女史の参列で初めて実現した。

被爆者による「平和の誓い」では、92歳の生き証人が演台に立った。この人は昭和20年、16歳の時に大阪の看護学校にいたのだが、夏休みだったのか大阪の空襲を逃れて帰って来たのか、聞き漏らしたが、いずれにせよ、8月9日の原爆投下の日には長崎の実家にいた。

ただ爆心地から6キロと離れており、爆風で倒されて若干ケガを負ったが、看護学生ということで招集を受け、原爆負傷者の看護に当たったそうである。腹をえぐられた重症者の傷口に一杯のウジが湧いているのを見て逃げ出したかったが、何とか踏みとどまって看護に当たった。

他にも口にしたくないような悲惨な光景を見ているが、とにかく、事実あったことを語る必要性に駆られて、今回「平和の誓い」に応募したのだという。

そのあと、原爆で1400名の尊い命を失った城山小学校で歌い継がれ、亡き生徒たちへの想いの詰まった平和への祈りの歌を、5,6年生が出場して合唱したが、青空の垣間見える長崎の空の下、平和祈念像の前に澄んだ歌声が響いた。想いは届いたに違いない。


来賓の献辞では長崎市長が「人類で初めて締結された核兵器禁止条約が今年の1月に発効されたが、日本政府は条約への署名はしなくとも、少なくとも禁止条約をめぐる国際会議にオブザーバーでもいいから参加して欲しい」ということを語ったが、現菅政権にその選択肢はないようだ。

愚かなことだ。アメリカ様の核の傘で守られているのだから――という情けない言い訳がいつまで続くのだろうか。

東京五輪2020終わる

2021-08-09 09:09:16 | 日本の時事風景
開催まで揺れに揺れた東京オりンピック2020が終わった。

蓋を開けてみれば、やはり国民の多くはテレビで観戦し、応援していたことだろう。

アメリカテレビ局の「金権ごり押し」が気にならなかったと言えばウソになるが、それぞれの競技で各選手が必死に戦っている姿にはやはり得難い感動がある。各競技には世界選手権なるものがあるが、それとは一線を画している。

ただ、日本のようなアジアモンスーン地帯での真夏のオリンピック競技だけはもう避けるべきだ。これは今でも変わらない私見である。

いまから57年前の中学生だった時(1964年10月)に東京オリンピックを東京で見ていた経験があるが、秋晴れの下の開会式で亡き昭和天皇が「第18回オリンピアードの開会を、ここに宣言します。」と明瞭かつ厳かに開会宣言されたのをはっきりと覚えている。

また、翌日の新聞では一面に日本選手団が行進する様子を、何とカラー写真で、でかでかと載っていたのも覚えている。時代は変わりつつある――ということを実感した記憶だ。

あれから57年後の2020東京オリンピックは、もっと様変わりをしていた。

上に触れたアメリカ発の商業主義的オリンピックが完全に機能していたこともだが、何しろ選手層に黒人選手が多いことには驚かされた。これが一番の想定外だ。水泳以外のどんな種目にも黒人あるいは黒人系の選手のいない競技はないと言ってもいいだろう。

1964年の東京オリンピックの時代で、活躍した黒人選手と言えばマラソンのトップランナーであるアベベ選手くらいしか思い浮かばない。今は黒人系の選手に金メダルをさらわれている他の陸上競技でも、当時は黒人選手はいなかった(出場権が無かった?)ように思う。

陸上短距離と言えばまさにアメリカの黒人選手が花形だが、当時のアメリカはまだ黒人に市民権が与えられていなかった。ベトナム戦争前後になってようやく黒人にも選挙権(基本的人権の第一)が付与されたくらいな時代だったのだ。

また女子選手の活躍する競技種目の広さにも驚かされた。男子だけだった競技に女性が入り込んで来るという経緯で今度のように女性競技の幅が広がったわけだが、ボクシングと重量挙げだけはいただけない。女子の競技から外すべきだ。

私は保守的なのか、女子のレスリングにさえ当初は違和感を感じて仕方がなかったのだが、吉田沙保里の出現で考えが変わってしまったという経緯があるので、上記の二種目についてもそうなる日が来るかもしれないが、今のところは変わりがない。

それは単なる私の好き嫌いと言われれば仕方ないが、いづれにしても、今回の日本の獲得金メダル数は27個で、米中に次いでおり、しかも女子の獲得金メダルの方が多いようなのだ。まいったな。何が「女性差別・蔑視」なんだか分からなくなって来たよ、おじさんは。

ところで今度の大会で「スケートボード(スケボー)」と「ボルダリング」などが追加されたのだが、スケボーでは男女ともに日本選手が金メダルを取るという快挙を成し遂げた。

特に刮目したのが女子選手で、スケボーの「ストリート」という種目で金メダルが19歳の四十住さくら、銀メダルが何とまだ12歳の開心那が獲得した。

年が若いこともさることながら、競技のテレビ中継を見ていて驚いたのが二人の姓であった。

実況中継のアナウンサーの呼びかけで、金メダルの四十住さくらは「よそずみ・さくら」と読み、銀メダルの開心那は「ひらき・ここな」と読むことが分かったのだが、どちらもこれまで目にしたことのない姓だったのである。

まず「開」姓だが、最初漢字だけを見た時の連想では「中国人?」だったが、「カイ」ではなく「ひらき」と読むのであれば日本人に違いはない。一文字姓は沖縄や南西諸島に多く、もしかしたら父方はそっちの方面の出身かもしれない。

さて「四十住」姓である。この人は和歌山県在住で、和歌山の自宅からはるばる神戸や愛知のスケートボード場に母親の車で送り迎えをして練習に励んでいたそうで、優勝後のインタビューでも母親への感謝の言葉を口にしていた。

それはそれで母親の存在の大きさを思い知らされる語りなのだが、ここではそれをパスし、「四十住」という姓の方を取り上げる。

といって、この姓の由来を述べようというのではない。読みの「よそずみ」の方に大いに関心を持ったのである。

というのも、ブログ『鴨着く島』の「記紀点描」シリーズで書いたように、崇神天皇と垂仁天皇の和風諡号に入っている「五十」、また仲哀天皇紀に登場する「五十迹手」という福岡県糸島の豪族のどちらにもあるこの「五十」を「い」としか読まない不合理への反証が、この四十住の「四十=よそ」だからである。

「四十」を「よそ」と読み、「三十路」を「みそじ」と読み、「八十路、八十神」を「やそじ、やそがみ」と読むのに、なぜ「五十」を「いそ」と読まずに「い」としか読まないのか、不合理極まりないではないか。上古の糸島は「伊都国」ではなく、「五十(いそ)王国」だったのだ。

(※同じ和風諡号の「五十」を古事記では「印」と漢字そのものを変えているのだが、その意味は古事記の編纂者の太安万侶が崇神王権が「五十」(いそ=上古の糸島)出身であることを意図的に隠すためであった。太安万侶は崇神王権以前の神武王権の末裔だったので、神武王権に取って代わった崇神王権そのものも認めたくなかったきらいもある。)

スケボーで金メダルを貰った「四十住(よそずみ)さくら」は、競技そのものより、その姓によって忘れがたいものになった。