8月6日に続き今日9日は長崎市主催の平和祈念式典が行われた。コロナ禍の中、去年同様、例年の10分の1ほどの参列者であった。
この1年に被爆者で亡くなられた3000名余りの名簿が供えられたが、これまでに累計で18万人余という。
76年前の8月9日11時2分、本来なら北九州の小倉に投下されるはずだったプルトニウム型原子爆弾「ファットマン」は、視界不良のため2番目の候補地であった長崎に落とされた。
即死者と重症の後に亡くなった人は6万から7万。中でも悲惨なのが爆心地にほど近い城山小学校だ。職員、生徒あわせて1400名が命を落とした。
また同じく爆心地に近かった浦上天主堂では、朝のミサが行われていたといい、天主堂は破壊され数百名が昇天した。
人種こそ違い、敵国とはいえ、同じキリスト教徒である「同朋」をむざむざ殺してしまったことで、米国も後悔し、浦上天主堂再建を申し出たらしいが、長崎市はこれを却下している。同じキリスト教徒だから殺害を後悔し、救いの手を差し伸べるが、原爆で死んだほかの日本人は異教徒だから「関係ない」というアメリカの態度に、市当局がカチンときたのだろう。当然のことだ。
長崎に原爆を落とし、多数のキリスト教徒を犠牲にしたことはアメリカの負い目になっており、カトリックの総本山ローマ法王からもけん責されている。
「原爆の投下は日本の降伏を早めた。落とさなかったら続いていたであろう戦闘で、失われたであろう100万の戦死者を出さずに済んだ」というのがアメリカの原爆投下の言い訳だが、一般市民の多数暮らす街のど真ん中に落とすという戦時国際法違反の仕儀への謝罪はない。
アメリカ側からの長崎平和祈念式典への公式参列は戦後70年近くなかったが、オバマ大統領の時に駐日大使になったあのケネディ大統領の娘、キャロライン・ケネディ女史の参列で初めて実現した。
被爆者による「平和の誓い」では、92歳の生き証人が演台に立った。この人は昭和20年、16歳の時に大阪の看護学校にいたのだが、夏休みだったのか大阪の空襲を逃れて帰って来たのか、聞き漏らしたが、いずれにせよ、8月9日の原爆投下の日には長崎の実家にいた。
ただ爆心地から6キロと離れており、爆風で倒されて若干ケガを負ったが、看護学生ということで招集を受け、原爆負傷者の看護に当たったそうである。腹をえぐられた重症者の傷口に一杯のウジが湧いているのを見て逃げ出したかったが、何とか踏みとどまって看護に当たった。
他にも口にしたくないような悲惨な光景を見ているが、とにかく、事実あったことを語る必要性に駆られて、今回「平和の誓い」に応募したのだという。
そのあと、原爆で1400名の尊い命を失った城山小学校で歌い継がれ、亡き生徒たちへの想いの詰まった平和への祈りの歌を、5,6年生が出場して合唱したが、青空の垣間見える長崎の空の下、平和祈念像の前に澄んだ歌声が響いた。想いは届いたに違いない。
来賓の献辞では長崎市長が「人類で初めて締結された核兵器禁止条約が今年の1月に発効されたが、日本政府は条約への署名はしなくとも、少なくとも禁止条約をめぐる国際会議にオブザーバーでもいいから参加して欲しい」ということを語ったが、現菅政権にその選択肢はないようだ。
愚かなことだ。アメリカ様の核の傘で守られているのだから――という情けない言い訳がいつまで続くのだろうか。
この1年に被爆者で亡くなられた3000名余りの名簿が供えられたが、これまでに累計で18万人余という。
76年前の8月9日11時2分、本来なら北九州の小倉に投下されるはずだったプルトニウム型原子爆弾「ファットマン」は、視界不良のため2番目の候補地であった長崎に落とされた。
即死者と重症の後に亡くなった人は6万から7万。中でも悲惨なのが爆心地にほど近い城山小学校だ。職員、生徒あわせて1400名が命を落とした。
また同じく爆心地に近かった浦上天主堂では、朝のミサが行われていたといい、天主堂は破壊され数百名が昇天した。
人種こそ違い、敵国とはいえ、同じキリスト教徒である「同朋」をむざむざ殺してしまったことで、米国も後悔し、浦上天主堂再建を申し出たらしいが、長崎市はこれを却下している。同じキリスト教徒だから殺害を後悔し、救いの手を差し伸べるが、原爆で死んだほかの日本人は異教徒だから「関係ない」というアメリカの態度に、市当局がカチンときたのだろう。当然のことだ。
長崎に原爆を落とし、多数のキリスト教徒を犠牲にしたことはアメリカの負い目になっており、カトリックの総本山ローマ法王からもけん責されている。
「原爆の投下は日本の降伏を早めた。落とさなかったら続いていたであろう戦闘で、失われたであろう100万の戦死者を出さずに済んだ」というのがアメリカの原爆投下の言い訳だが、一般市民の多数暮らす街のど真ん中に落とすという戦時国際法違反の仕儀への謝罪はない。
アメリカ側からの長崎平和祈念式典への公式参列は戦後70年近くなかったが、オバマ大統領の時に駐日大使になったあのケネディ大統領の娘、キャロライン・ケネディ女史の参列で初めて実現した。
被爆者による「平和の誓い」では、92歳の生き証人が演台に立った。この人は昭和20年、16歳の時に大阪の看護学校にいたのだが、夏休みだったのか大阪の空襲を逃れて帰って来たのか、聞き漏らしたが、いずれにせよ、8月9日の原爆投下の日には長崎の実家にいた。
ただ爆心地から6キロと離れており、爆風で倒されて若干ケガを負ったが、看護学生ということで招集を受け、原爆負傷者の看護に当たったそうである。腹をえぐられた重症者の傷口に一杯のウジが湧いているのを見て逃げ出したかったが、何とか踏みとどまって看護に当たった。
他にも口にしたくないような悲惨な光景を見ているが、とにかく、事実あったことを語る必要性に駆られて、今回「平和の誓い」に応募したのだという。
そのあと、原爆で1400名の尊い命を失った城山小学校で歌い継がれ、亡き生徒たちへの想いの詰まった平和への祈りの歌を、5,6年生が出場して合唱したが、青空の垣間見える長崎の空の下、平和祈念像の前に澄んだ歌声が響いた。想いは届いたに違いない。
来賓の献辞では長崎市長が「人類で初めて締結された核兵器禁止条約が今年の1月に発効されたが、日本政府は条約への署名はしなくとも、少なくとも禁止条約をめぐる国際会議にオブザーバーでもいいから参加して欲しい」ということを語ったが、現菅政権にその選択肢はないようだ。
愚かなことだ。アメリカ様の核の傘で守られているのだから――という情けない言い訳がいつまで続くのだろうか。