軽い休憩の後,景徳院への道を選んで出発。いきなり急な登りです。登り切ると,平坦な一本道をひたすら歩きます。誰にもすれ違いません。50分位歩いたでしょうか,鉄塔の脇を通り,少し歩くと民家が見えました。
この風景が,前に行った陣馬山から下りてきた場所に似ていると思いました。この辺の山村は,何処も同じような雰囲気を醸成しているのでしょうか。
ところが,最後の最後で道が途切れていました。一瞬躊躇しましたが,少し迂回してようやく民家の庭を抜け一般道に出ました。
景徳院と書いてある方に進み出すと,休憩中の若い二人組(足場を組んでいたようです)から,こんにちはの挨拶が。こんなシチュエーションで,まさか挨拶されると思っていなかったので,思わず景徳院はどちらですか?と聞いてしまいました。
すると,内一人が地図を持って来ますと言って地図を取りに行ってくれました。ですが,絵地図のようなものでよく分かりません。どうやら彼は,地元の人ではないようです。その後,道を聞いてきますと言って,今度は住人を連れてきてくれました。(とても親切な若者達でした。)
結果,道を降りてすぐ前にあるということでした。何でもこの村は,落人の村で,ほとんどが○○という姓だと話してくれました。
景徳院は,武田勝頼が,妻・長男と自害したところで,後に家康によって,三人の墓が建立されました。勝頼と妻の辞世の句が石碑に彫られていて,戦国の世の裏切りの無念さを唄っているようにも思えました。
その後,バスがあいにく行ってしまったばかりなので,甲斐大和駅まで歩きました。歩いている途中,葡萄(ピオーネ)の販売所がありました。試食したところ,とても甘く値段も安かったので買ってリュックに詰め込みました。車で来ていたらまとめ買いをしたい位美味しい葡萄でした。標高700メートル位で寒暖の差が激しい場所のため甘みが増すということでした。
駅に着いたとき,大槻行きの列車が既に入線してました。時刻表を見たら出発まで5分しかなく,これを乗り過ごすと次は1時間位待たされます。ビールを列車の中で飲むのが楽しみでしたが,あきらめ家路に就きました。
総歩数は2万2000歩を超えていました。単独行の時は,次も,秀麗富士12景の山に登ろうと思っています。
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