前回のブログを書いていて,ふと大叔父のことが出てきたので,思い出を記します。 彼の名は,仁井田一郎と言います。インターネットで検索すると,名前が出てきます。
彼は,栃木県足利市の家から,自転車で神奈川県寒川町(さむかわまち)まで行き,10日間もその自転車で多くの農家を尋ねるために走り回ったのです。その信念たるやすさまじいのものがあります。
実は,大叔父との関係がはっきり分かっていません。 多分,私の母方の祖母と一郎の妻が姉妹なのではと思っています。
大叔父との思い出ですが,イチゴの関係の仕事で来たのだと思いますが,静岡県の掛川市に住んでいるとき,おもちゃのピストルをお土産に泊まりに来てくれて,子供心にとてもうれしかったことを覚えています。
それから,彼は,夏,日光の戦場ヶ原でイチゴの苗の飼育をしてました。そして,二人で奥日光の湯の湖で,ボートに乗った事があります。私がボートを漕いだのですが,何せ相当の巨漢でしたので,中学生か高校生の私が,ボートを走らせるのに相当苦労した記憶があります。
また,そんなに年の離れていない叔父と男体山登山のため,戦場ヶ原の大叔父の宿泊していている山小屋に泊まり,おにぎりを作ろうと,朝,炊飯器でご飯を炊きました。ところが,気圧の関係かおかゆのような状態になってしまい,何も持たずに登らざるを得ませんでした。
それなので,頂上に着く頃にはお腹がペコペコになり,転がり落ちるように中禅寺湖畔に降りたち,二荒山神社の前のお土産屋さんの2階の食堂で,大盛りオムライスを食べたことがあり,その事が忘れられません。それ以来,山は好きで男体山は過去4度登頂しました。
大叔父は,私が大学四年の昭和50年に鉄道事故で亡くなりました。自宅から出棺したのですが,参列者の涙が今も忘れられません。
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