140億年の孤独

日々感じたこと、考えたことを記録したものです。

ツァラトゥストラはこう言った

2012-06-11 23:20:03 | ニーチェ
ニーチェの「ツァラトゥストラはこう言った」を読んだ。
学生時代に1回読んだけど、その時はあまり理解できなかった。
冒頭に「だれでも読めるが、だれにも読めない書物」と書いてあるくらいだし。
それで今回は、ある程度は理解できたと思う。
「超人」と「永遠回帰」がこの本の主題だと思うが
「超人」というのはちょっと馴染みにくいというか「神が死んだ」から
「超人」が要請されている感じがする。
「人間は克服されなければならない或物なのだ」ということと「超人」は同じことのように
思えるけど、さて何を克服すべきであるかを著者は説明しない。
あるいは克服すべき対象が全てであるから敢えて書いていないだけかもしれない。
これに対して「永遠回帰」というのはわかりやすくて、
「それは、一切の事物が永遠に回帰し、わたしたち自身もそれについて回帰するということ、
わたしたちはすでに無限の回数にわたって存在していたのであり、一切の事物も
わたしたちとともに存在していたということです」と書いてある。
つまらないもの、くだらないもの、価値のないもの、嫌悪すべきもの、醜悪なもの、
唾棄すべきもの、そういったあらゆる否定すべきものを含めて、生起する一切を
強く肯定することが、この思想ということになる。
もちろん現代の宇宙論では、140億年前には時間すら存在しなかったわけだから、
永遠回帰なんてあり得ないし、宇宙は加速度をつけて膨張しているのだから、
いつかは他の銀河の存在すらわからないようになってしまって、
私たちが所属している銀河系が宇宙に存在する唯一のものだという、つまらない見解に至り、
宇宙が収縮して元に戻るというようなこともあり得ない。
つまり現代の宇宙論は「永遠回帰」ではなくて一方通行になっている。
45億年という地球の年齢にしても、永遠回帰に比べれば一瞬の出来事に過ぎない。
単細胞生物から多細胞生物に進化するために数十億年が必要だったということも
一瞬の出来事に過ぎない。
ウィトゲンシュタインから見れば、このような思想は正しいとか正しくないとか、
そもそも証明することも出来ないので「語り得ぬこと」の部類に入るのかもしれない。
それでもニーチェの語ることには魅力があると思う。
彼も早く生まれすぎた人間なわけで彼の書く本は生前には自費出版されたに過ぎない。
そうした犠牲の上に私たちの世界は成り立っている。

2 コメント

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岩波新書の読書力 (こうべっこ)
2012-06-17 01:26:31
機会があって 読んだのですが

著者の齋藤孝が 自身の経験を踏まえ
読書に馴染むきっかけになるもの、難し過ぎないが歯応えが有り 読後に充実感が残るという百タイトルを 示されていました。

ニーチェ 《ツァラトゥストラ》

ドストエフスキー《カラマーゾフの兄弟》

トルストイ《アンナ・カレーニナ》

ゲーテ《ファウスト》

村上春樹《中国行きのスロウ・ボート》

三浦綾子《塩狩峠》

ロマン・ロラン《ベートーベンの生涯》

樋口一葉《たけくらべ》

《O・ヘンリ短編集》

柳田邦男《犠牲サクリフアイス》

等々。。。

まだまだ
続きますが。。。

以前読んだものを また 改めて読みたくなりますね(((^_^;)


自分が勧めたい作品を
誰かが同じように勧めて下さるのは
共感してもらえるいるような
何だかとても嬉しく 大変有り難い気持ちになります。

Jさんがご紹介下さるのも とても楽しみです。

紫陽花の色鮮やかなよい季節になりました。

雨模様の休日に いろいろ読めれば 最高ですね(^-^)v
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Unknown (J)
2012-06-17 12:35:57
ニーチェ 《ツァラトゥストラ》
ドストエフスキー《カラマーゾフの兄弟》
トルストイ《アンナ・カレーニナ》
ゲーテ《ファウスト》
ロマン・ロラン《ベートーベンの生涯》
は読みましたが

村上春樹《中国行きのスロウ・ボート》
は読んでいない。村上春樹ファンのつもりなのに・・・

でも
ロマン・ロラン《ベートーベンの生涯》
って他の4つに並べてよいのだろうかと思います。
トルストイ《クロイツェル・ソナタ》と並べた方が良いと
思います。
それに《ベートーベンの生涯》を読むよりは
彼の作品を聴いた方が良いと思います。
偶然ですが、さっきまで田園交響曲を聴いていました。
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