140億年の孤独

日々感じたこと、考えたことを記録したものです。

これがニーチェだ

2013-01-19 00:05:05 | ニーチェ
永井均「これがニーチェだ」という本を読んだ。
こうした表題の本はがっかりする確率が高いと思い込んでいるところがあるのだが
序盤から「これがニーチェか!」と気付かされることが多々あり
恐れ入りましたという他はない。
野矢さんがいなければウィトゲンシュタインを理解することも出来ず
永井さんがいなければニーチェを理解することも出来ない。
私とはその程度の存在に過ぎない。

多少意図的、挑発的であるが、冒頭より、いきなり問題を突きつけられる。
テレビ番組で「どうして人を殺してはいけないのか」と問いかけた若者に対して
大江健三郎さんが書いたことを著者は批判している。
「私はむしろ、この質問に問題があると思う。まともな子供なら、
そういう問いかけを口にすることを恥じるものだ。なぜなら、性格の良し悪しとか、
頭の鋭さとかは無関係に、子供は幼いなりに固有の誇りを持っているから」
大江さんはそのように書いているのだが、それは著者によると
「なぜ悪いことをしてはいけないのかという問いを立てることは悪いことだ」と
主張していることになるという。
ニーチェがキリスト教に対して、あるいは道徳に対して立てた問いかけも
そのような種類の問いかけである・・・

「私や私の愛する人が殺されてもよいのか」という「相互性の原理」を無視し、
したがって社会から守られることを放棄してまで問いを立てるほどに率直な人間が
キリストが磔刑になってから初めて出現したことになる。
ニーチェはキリスト教を批判したがキリスト自身には悪い感情は抱いていないらしい。
「右の頬を打たれれば左の頬を・・・」という言葉が本当であるなら
キリストの磔刑は伝えられなかっただろう。自らをを殺める者すらキリストは愛するのだ。
それが伝えられたのは弟子(パウロ)の意図であり
その時点でキリスト教はキリストの教えに背いている・・・

その哲学に対して「ニーチェ自身は、高貴であったわけでも、強者であったわけでも、
ディオニュソス的な生を生きた人物でもない」と著者は書いている。
それは「別種のソクラテス」であると書いている。
そこには「地下的な復讐意志が含まれている」のだという。
ニーチェの語るルサンチマンには自身も含まれているということになる。
「ニーチェを読み、ニーチェから何ごとかを学ぼうとする者は、そのことをよく
わきまえておく必要があるだろう」とのことである。
だがそれは著者自身にも跳ね返ってくることだと思われる。
著者自身も「別種のソクラテス」ではないのか?
しかもそれは哲学者ではなく、哲学の理解者としてのソクラテスだろう。
そうすると私は、哲学の理解者の理解者でしかない。
あまり立派なものではない。

さて、この本の最後の方で「意志」について書かれている。
「ニーチェが意志の存在を否定した」ことについてはあまり感想もないが、
そもそも「意志とは何のことだろう」という問いが生起する。
「どんな自由意志も、どんな強い意志も、意志は、結局は湧き起こってくる意欲に
すぎない。それは起こすものではなく起こることなのである」と著者は書いている。
リベットの実験のような生物学的な「幼稚な」考察ではなくて
哲学的にかどうか知らないが「湧き起こってくるもの」らしい。
「意志を意志することは出来ない」ので「湧き起こる」としか言えないらしい。

それは生化学反応の結果として「湧き起こる」ものだと言ったら、きっと「幼稚」なのだろう。
私たちにはそれを何と表現してよいかわからないので「無意識」と呼んでいる状態がある。
並列して処理されている「無意識」のうち表層まで達したものが
最大限に集中すべきものが「意識」として「湧き起こる」
フロイトであればそのように説明するのかもしれない。
きっと幼稚なのだろうが・・・

「無意識」やら「意識」が処理しようとしているものは「欲望の充足」だろう。
「欲望」とは「理性」が制御できない云々といったつまらないことを主張するつもりはない。
それは生化学的な、あるいは物理的な時系列に沿った状態変化によって「引き起こされる」ものだろう。
「記憶」すらシナプスによって結合されたニューロン相互の化学的・電気的な状態変化に
よって蓄積されるであろうし伝達されるだろう。
「幼稚」でかまわないのだが、私たちは物理的・化学的・生物的な反応に従って生きている。
私たちは感覚器官による「入力」と記憶という「内部状態」に基づいて「演算(思考)」し
「出力(行動)」するステートマシン(有限状態機械)とさほど変わらないのではないか?
そして刻々と移り変わる「入力」と「内部状態」に応じて立ち現れる「思考」を
「湧き起こる」と言ったり「自由意志によるもの」と言ったりしている。
まったくどうでもいいことですよ。やれやれ・・・

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