140億年の孤独

日々感じたこと、考えたことを記録したものです。

心の脳科学 「わたし」は脳から生まれる

2010-04-02 06:09:11 | 
坂井克之「心の脳科学 「わたし」は脳から生まれる」という本を読んだ。勉強になった。

---------------------------------------------------------------------------
脳の神経細胞が活動すると酸素を消費し、これに伴って脳のその部分に送り込まれる血液の量が
増加します。MRIでは血液中の酸素と、これを運ぶ蛋白質であるヘモグロビンの結合度を反映して
信号値が変化します。つまり脳の同じ部分を撮影していても、そのときにその部分の神経細胞が
活動しているかどうかによって信号値が変化するわけです。この信号値の変化を検出することで、
脳のどの部分がどのようなときに活動するのかを明らかにすることができるのです。(19ページ)
---------------------------------------------------------------------------
MRI(核磁気共鳴画像)の原理についての説明。
この装置は「どの部分が活動したか」を検出するだけのものであり
「何をした時に」という解釈は人間の方にまかされている。
使い方を誤ると役に立たないということらしい。

---------------------------------------------------------------------------
ただし脳は単に周囲の世界を映し出すだけの装置ではありません。得られた映像を脳の中に
映し出した上で、これをさまざまな形に加工してゆくのです。その究極の形が意識であり、
主観なのです。脳における視覚情報処理は、外の世界が内なる意識、主観の世界に変換されてゆく
過程といえます。(28ページ)
---------------------------------------------------------------------------
「意識」「主観」ありきではなくて、外の世界の刺激から「意識」「主観」が生まれてくるという
考え方が述べられている。「私」というものが常にあると考えている私たちは実は大きな間違いを
しているのかもしれない。

---------------------------------------------------------------------------
私たちがどこかに注意を向けるという場合には、注意を向けている主体としての「わたし」という
存在が前提になっています。脳研究者ですら、この「わたし」が脳の特定の部位の神経細胞活動を
増加させるように指令を送っていると考えてしまいがちです。そうではありません。私たちの
意図的な注意は、前頭葉の網膜地図上の特定の空間位置に対応した神経細胞活動の増加として
現れ、その神経インパルスが同じ空間位置に対応した後方の視覚領域の網膜地図に伝えられて
ゆくのです。異なった脳領域間で同じ空間位置に対応した神経細胞同士が神経線維で固く
結ばれていて、このネットワークを神経インパルスが流れてゆく過程で、「わたしが外界に対して
注意をむけた」という意識的体験が成立するのです。(42ページ)
---------------------------------------------------------------------------
もっと簡単に書くと「脳内のネットワークを流れる神経インパルスが意識を成立させている」と
いうことになる。つまり意識はどこか固定した場所にあるのではないということらしい。

---------------------------------------------------------------------------
いろいろな人に会って顔を区別する経験を重ねるに従って、顔専門に情報処理をする神経細胞が
出来上がってくるものと考えられます。でも一方で、このような神経細胞が多少の個人差はあれ、
おおむね一致した脳の特定部位に見られるようになってくることは、もともとその部位の
神経細胞が顔の情報処理に適した性質を持っていたことを意味しているものと考えられます。
(59ページ)
---------------------------------------------------------------------------
ヒトにとって顔を区別するというのは重要なことだから、顔専門に情報処理をする神経細胞が
脳の特定部位に増えたのだと考えられる。

---------------------------------------------------------------------------
被験者が視覚刺激を見てこれを判別するという課題で、視覚刺激が提示されたあと、一定時間を
おいてから磁気刺激による一次視覚抑制を行い、被験者が視覚刺激を判別できたかを調べます。
すると視覚刺激が提示されてから100ミリ秒後、つまり一次視覚野から高次の領域へ信号が行って
帰ってきた時点で一次視覚野を抑制すると、視覚刺激の判別能力が低下することがわかりました。
高次領域へ行った信号が一時視覚野に戻ってくることが、視覚的意識の成立に必要であることが
証明されたのです。これは脳の信号が意識を引き起こしているという因果関係の証明にも
なっています。ただし、そのメカニズム、つまりどうして信号が戻ってきたら、私たちが主観的に
体験する意識が成立するのか、についてはまったく明らかになっていません。(87ページ)
---------------------------------------------------------------------------
意識の成立について、より詳細なことが述べられている。
詳細とはいっても「一次視覚野に信号が戻ってきたら視覚的意識が成立する」ということに
すぎないが。時間とともに変化する意識は時間とともに変化する信号の流れなのだろうか?

---------------------------------------------------------------------------
顔が見えるためには、顔領域の活動が一定レベルを超えて強く活動するか、あるいはそのほかの
脳領域と十分な信号のやり取りをすることが必要です。ところがある脳領域に活動が生じると、
意識に上らなくでもこの神経活動はある程度は別の脳領域に伝わってゆきます。そして意識に
上らなくても、無意識のうちに脳内の情報処理過程が変化し、私たちの行動も無意識のうちに
変化することが明らかにされています。これがサブリミナル効果です。(91ページ)
---------------------------------------------------------------------------
意識と無意識の違いは、活動の強弱の違いあるいは活動の結合度の違いであって
意識されていても無意識であっても脳内の情報処理は行われる。
それならば「意識すること」の意味は何なのだろうか?

---------------------------------------------------------------------------
Cogito, ergo sum.
われ思う、ゆえにわれあり。
このデカルトの言葉は、思考する主体、あるいは意識の主体としての自己が存在することが
大前提として述べられています。ではこの自己、あるいは自己を主観的に認識するところの
自我は、どこに存在するのでしょうか。(94ページ)
---------------------------------------------------------------------------
被験者はゴーグルを装着して立っています。そして被験者の身体を二メートル後ろから
ビデオカメラでとらえます。この映像を三次元に再構成してゴーグルを通して被験者に見せます。
つまり、被験者は自分自身の後ろ姿を見ている状態になります。ここで、実験者が被験者の体を
棒で軽くたたきます。被験者には、自分の体が後ろからたたかれている映像が見えると同時に、
自分の肩が軽くたたかれている触覚を感じているわけです。このようなことを数十秒ほど
続けていると、自分の身体は目の前にあるのに、これを見ている自分、自分の自我はその後ろに
位置しているような感じがしてきます。(98ページ)
---------------------------------------------------------------------------
この実験では、自分の身体の後ろに自我が存在する、自分の身体とは別のところに自我が
存在するように感じることもできるということを示している。幽体離脱といった現象も類似の
ものとして説明されている。しかし私たちは自分の身体の、それも脳の中に「自我」があると
信じている。

---------------------------------------------------------------------------
「見える」ということは外界の中から一部の情報を選択してこれを意識という表舞台に上げる
ことである。この過程で、外界から得られた情報に対して意識的・無意識的にさまざまな操作や
改変が行われる。いわば変形した鏡を通して見た世界を、現実の世界として私たちは認識している。
その鏡の観察者としての自我は自身の目の奥に存在すると仮定されており、身体に対する各種の
情報はこの虚構を実現するような形で統合されている。(101ページ)
---------------------------------------------------------------------------
「自我は虚構である」と筆者は述べている。「私」はそのことに対して意義を唱える。
「この「私」が虚構であるはずがない」と「私」は反論する。
しかし意識的体験があって初めて「私」や「自我」が現れるという立場にたてば
「自我」は虚構にすぎないのだろう。
意識的体験が信号の流れにすぎないのであれば「自我」が特定の脳領域に存在するとは思えないからだ。
しかし虚構にすぎない「自我」があると空間的にも時間的にも都合が良い。
だからしがみついてしまう。

---------------------------------------------------------------------------
特に自分自身に起こったエピソードを追体験するときには、この過去の出来事の中に身をおいた
自分自身の存在が感じられます。過去に現在の事故を投影するメカニズムも脳の特定の場所の
働きによって可能になっているようです。そしてこのメカニズムは過去の記憶にとどまらず、
未来を生き生きと想像する場合にも働きます。過去、現在、未来へといたる時間軸の上で
自分自身という存在を認識できることによって、自我の同一性が維持されるのかもしれません。
---------------------------------------------------------------------------
エピソード記憶によって過去、現在、未来の自己同一性が維持されるということは
他の本にも書いてあったと思う。記憶がなければそもそも自分など必要ない。

---------------------------------------------------------------------------
情報変換、情報操作の実体とは、脳内の神経細胞で構築されたネットワーク上で発散し、収束する
電気的インパルスの流れなのです。この電気的インパルスの流れを、そのとき、その場の状況に
応じて柔軟に切り替えるのが前頭葉の役割だと考えられています。情報の流れを切り替える
ためには、流れてきた情報の収束点の神経細胞のうち、あるものの活動は抑え、あるものの活動は
増幅することによって、そのときの行動目的に沿った情報だけを別の神経細胞に送り出すような
仕組みになっているのです。(148ページ)
---------------------------------------------------------------------------
「知能(知的能力)」を発揮するために前頭葉の活動が必要なことが述べられている。
ルーティンワークであれば固定されたネットワークの経路(別の言葉を用いれば回路)を
使うだけでよいが、調整が必要な高度な作業をする場合は前頭葉の働きによってネットワークの
経路を切り替える必要があるらしい。

---------------------------------------------------------------------------
思考し、行動する主体としての「わたし」とは、ドーパミンという化学物質によって実体化された
報酬情報に過ぎないのでしょうか。(153ページ)
---------------------------------------------------------------------------
おいしい食べ物などの脳にとっての報酬は脳幹部で作られるドーパミンという化学物質で
表現されている。食欲・性欲・睡眠欲もそれでコントロールされているのだろう。
外界の情報と内部状態によってドーパミンが出され、それに従い行動する。
そう考えるとつまらないが何が報酬になるかも学習した内容によって異なってくるはずだ。
こういう本が読みたい、あの作曲家の音楽が聴きたいといった欲求も人それぞれ違ってくるだろう。
ドーパミンにコントロールされているからといって悲観することはない。

---------------------------------------------------------------------------
実は「わたし」が脳の持ち主なのではなく、「わたし」の持ち主が脳であることを
認識せざるを得なくなるでしょう。(270ページ)
---------------------------------------------------------------------------
「われ思う、ゆえにわれあり。」ではなくて「脳が活動する、ゆえにわれあり。」ということに
なるのだろう。
信号の流れが意識という現象になるというメカニズムが明らかになるまでには
まだしばらく時間がかかるのだろう。今のところ誰もそこには到達していない。

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。