140億年の孤独

日々感じたこと、考えたことを記録したものです。

脳科学という矛盾

2011-08-05 00:02:11 | 科学
脳に関する研究が進んで脳の中の様々な部位がどのような機能を持っているかが
明らかになってきた。たとえば視覚に関しては、色を識別する部位、図形を識別する部位、
運動方向を識別する部位などに分かれて処理を行うらしい。
それは脳の特定部位を欠損した患者の挙動や何らかの視覚情報を与えたMRIの観測で
活発に活動する部位がどこかということから類推している。
しかし脳の中の様々な部位の情報が「見える」という現象になることを誰も説明できない。
一番やさしい知覚ですらそんな状態なので概念を扱う認識については全くの謎だ。
概念を理解するとはそもそもどういうことなのか手がかりすらない。

脳科学はそうした壁にぶつかって頓挫しているように見える。
そもそも心という主観的な経験を客観的な事柄を扱う科学が明らかに出来るのか疑問だ。
したがって脳科学というのは矛盾した名称だ。脳は科学で解明されない。
科学が明らかにするのはどこまで行っても細分化したニューロンの動きであって
統覚と呼ばれる働きを解明するには役不足なのだ。

もちろんそうしたことを優秀な脳科学者は理解している。
脳トレとかクオリアとかつまらないことに便乗している連中が脳科学者を自称しているが
彼らは自分が何もわかっていないということを白状しない。
それは科学者というよりは占い師みたいなものだ。

この状況を誰かが打破できるのか予想すらできない。
哲学者の中には主体と客体を分けて考えるのがそもそも間違いとだという人もいる。
「I see an apple.」という状況は分離できないのに「I」だけを抽出して
心の仕組みがどうなっているかを問うのは無意味であるという。
しかし私には詭弁にしか聞こえない。
おそらくは「科学」という手法を発明した時を上回るコペルニクス的転回が必要なのだろう。
私たちはそのことに気付いたばかりで
どうすればよいか全くわからずに戸惑っている
子どものようなものだと思う。

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