第507回定期演奏会〈シベリウス〉
武満徹:波の盆
リュエフ:サクソフォン小協奏曲 作品17
坂田直樹:盗まれた地平-ソプラノ・サクソフォンと管弦楽のための[委嘱新作・世界初演]
シベリウス:交響曲第5番変ホ長調 作品82
コンサートで取り上げられるので、久しぶりにiTunesのライブラリにあるシベリウスを聴いてみた。
フィンランドにとっては国民的作曲家ということだが、
日本人の私がシベリウスを聴くには何かきっかけが必要なのかもしれない。
今回、演奏される交響曲第5番が作曲されたのは第一次大戦の最中だったらしいが、
それにしては明るい曲想になっていると言われている。
第4番を作曲していた頃は喉の腫瘍を除去する手術を受けていたということだが、
第5番を作曲していた頃はその恐怖から解放されたためという説明があった。
世の中は戦争の最中でも本人にとっては不安の去ったどちらかと言うとよい時期だったのかもしれない。
この曲は1915年に初演され、1916年に一度改訂があり、1919年が最終稿になったということだ。
そして1923年に第6番が作曲され、1924年に第7番が作曲され、1925年に交響詩タピオラが作曲された後は、
ほとんど作曲活動は止まってしまった。1957年に逝去するまで30年以上も何をしていたのかよくわからない。
マーラーよりも後に生まれて彼よりずっと長生きしている。
30年以上創作することなく、20世紀の音楽が様々な形式に発展して行くのを眺めているのはどんな気分なのだろうか?
そこに自分が参加できないことをどう思っていたのだろうか?
素人は邪推をしてしまうのだが、そんなことはあまり考えても仕方がないのだろう。そこにある音だけがすべてなのだろう。
母国の豊かな自然を想起させるような軽快な調べ。
川の流れのようであったり、おだやかな田園風景をのんびりと眺めているようであったり、
誰もがいつも自然の中で育まれていたいと思う気持ちを代弁しているようだ。
そうやって耳から入って来た様々な音色と周波数に導かれて私はしばらくの間、
異国の景色とその景色が本質的に内在している音を満喫している。
そして閃きの途絶えてしまった晩年であっても、輝ける時期があったのなら、
それは素晴らしい人生に違いないと思った。
武満徹:波の盆
リュエフ:サクソフォン小協奏曲 作品17
坂田直樹:盗まれた地平-ソプラノ・サクソフォンと管弦楽のための[委嘱新作・世界初演]
シベリウス:交響曲第5番変ホ長調 作品82
コンサートで取り上げられるので、久しぶりにiTunesのライブラリにあるシベリウスを聴いてみた。
フィンランドにとっては国民的作曲家ということだが、
日本人の私がシベリウスを聴くには何かきっかけが必要なのかもしれない。
今回、演奏される交響曲第5番が作曲されたのは第一次大戦の最中だったらしいが、
それにしては明るい曲想になっていると言われている。
第4番を作曲していた頃は喉の腫瘍を除去する手術を受けていたということだが、
第5番を作曲していた頃はその恐怖から解放されたためという説明があった。
世の中は戦争の最中でも本人にとっては不安の去ったどちらかと言うとよい時期だったのかもしれない。
この曲は1915年に初演され、1916年に一度改訂があり、1919年が最終稿になったということだ。
そして1923年に第6番が作曲され、1924年に第7番が作曲され、1925年に交響詩タピオラが作曲された後は、
ほとんど作曲活動は止まってしまった。1957年に逝去するまで30年以上も何をしていたのかよくわからない。
マーラーよりも後に生まれて彼よりずっと長生きしている。
30年以上創作することなく、20世紀の音楽が様々な形式に発展して行くのを眺めているのはどんな気分なのだろうか?
そこに自分が参加できないことをどう思っていたのだろうか?
素人は邪推をしてしまうのだが、そんなことはあまり考えても仕方がないのだろう。そこにある音だけがすべてなのだろう。
母国の豊かな自然を想起させるような軽快な調べ。
川の流れのようであったり、おだやかな田園風景をのんびりと眺めているようであったり、
誰もがいつも自然の中で育まれていたいと思う気持ちを代弁しているようだ。
そうやって耳から入って来た様々な音色と周波数に導かれて私はしばらくの間、
異国の景色とその景色が本質的に内在している音を満喫している。
そして閃きの途絶えてしまった晩年であっても、輝ける時期があったのなら、
それは素晴らしい人生に違いないと思った。