鳩ぽっぽダイアリー

鎌倉→北千住→千葉県在住。
いけばな(小原流:休止中、花朋の會:2018年4月~)。日々のできごとなど・・・

長めの散策(寿福寺~海蔵寺~東慶寺~八幡宮~報国寺)寿福寺編

2007-11-16 23:19:35 | 鎌倉散策
会社を休んだので、正午から長めの散策をすることにしました。
お昼を「湘南倶楽部」で食べたので、そこから鎌倉テレビで今月の花として
紹介されていた東慶寺の「姫蔓蕎麦(ひめつるそば)」を見に行きたい



線路を越えて寿福寺の前を通りかかったところ、初めてここの雲水さんを見かけたので参道にふらふらと。

寿福寺は臨済宗のお寺で鎌倉五山の第3位。
頼朝の供養のために妻の北条政子が発願し開かれました。
高い木が両側に並ぶ参道はとても美しいです。
よく写真に撮られているし、スケッチを描きに訪れる人も。

でも、参道の先にある中門から先の境内には通常入れません。
中門のところで中を覗いていると、横に5名ほどのグループが。
おば様方4名におじいさんが解説中。
境内は正月や七五三などに入れる機会があるとのこと。
聞き耳を立てていると、
「私は無料観光案内をやっているから良かったらどうぞ」とおじいさん。

寿福寺には「北条政子」「源実朝」「高浜虚子」「大沸次郎」の墓があります。
以前一人で探したんだけど、山の方に登ってしまい見れなかったので、
ついていきました。
解説付きとはラッキーです。

中門を左に曲がり、寿福寺の裏山に墓地があります。
霊感の強い人は注意だとか?
霊を連れて帰らないよう行きと帰りは別の道を通ると良いんだって。

政子と実朝の墓は「やぐら」の中にあります。
「やぐら」とは鎌倉の比較的やわらかい地層の山に掘られた横穴で、
中世の上流階級の方々のお墓のことです。
おじいさんの解説によると、
当時武将達は墓として建物(忘れた)を建てようとしたが、鎌倉は決して広い土地ではなかったため、建てるな!と頼朝(だったかな?)が言ったため山に穴を掘って墓としたのだとか。
ただ、五輪塔には墓の主の名前を書かないために後にだれの墓だか分からなくなってしまい、無縁仏になってしまったり。

ちなみに政子も実朝もこの墓の中に体はありません。
実朝は公暁に暗殺され(場所は八幡宮の大銀杏ですね)首は公暁がどこかに埋めてしまったのですが、その公暁も身を隠した三浦氏に殺されてしまい、本当の場所が分からない。

鎌倉には多数権力者がいたわりに墓が粗末だなーと思っていたけど、理由が分かったような。
やぐらに埋葬され、親族も絶え弔う人もなくなったら・・・
彼らの今残っている墓は、ずっと後で人々が作ったもの。
頼朝だって屋根も何もない山の中に墓石だけ。

いっぱい穴(やぐら)があるけど、他は現代人の(私はじめーっとしてヤダけどなぁ)。
「大沸」は鎌倉大仏の「大仏」じゃなくて、土地の名前からとった作家名。
墓も本名じゃなく、こっちの名前になってるのがおもしろい。
高浜虚子も大沸次郎も子孫が鎌倉にいるので、頻繁にお参りされているのか花がきれいに手向けられてます。
でもファンかもしれないね。
墓のそばには石のベンチがあって、どうもそこでファンがなつかしく談義するために作ったのだとか。
次郎さんの墓の方には花台がありました。
特別なときにここに花を生けるのでしょうか?





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