昭和少年漂流記

破壊、建設、発展と、大きく揺れ動いた昭和という時代。大きな波の中を漂流した少年たちの、いくつかの物語。

第一章:親父への旅  故郷との再会 ②

2010年09月17日 | 日記
午後7時半。路地から裏通りへ曲がると、宵闇に引き込まれるようにそぞろ歩く数人の男たち。賑わいの予感もなくはないが、並んだ店の灯りに勢いはない。 中ジョッキ1杯分の心地よさを頼りに、しばらく街を歩いてみることにする。僕の夜は、まだ早い。親父と歌った店のオープンは、午後9時前だ。 しかしわずかの距離で、足は止まる。どうも、目的地なしには歩けない。散歩は向かないということか。ましてや、辺りは次第に闇に沈 . . . 本文を読む

第一章:親父への旅  故郷との再会 ①

2010年09月15日 | 日記
駅前に到着。客待ちのタクシーが数台。開けたドアに足を投げ出している運転手が2名。バス待合所には、茫洋と待ち時間を過ごす数名の老人たち……。 駅前を突き当たり、かつてのメインストリートを左、右と見遣る。左右まっすぐに伸びる道路に人影はない。クルマがおとなしく通り過ぎていくだけだ。 かつてもそう賑わっていた街ではないが、もう少しは人の暮らしの匂いが漂っていたような気がする。 街を行き交う人々。その横を . . . 本文を読む

第一章:親父への旅  親父の“今”との対面 ②

2010年09月14日 | 日記
午後4時半過ぎ、親父と一緒に病室に戻る。 主治医の自信に溢れた説明に、親父の顔が生気を取り戻しているように見える。僕の心にも安心が芽生えてきている。 「お前、晩飯はどうするんじゃ?」。心なしか親父は、声も明るくなっている。 「僕は大丈夫!どっかで食べるから!」。一瞬とはいえ父親の命と向き合ってしまった息子は、まだ楽観に戻りきれない。 「6時頃、ホテルに……行くね」。ホテルに“帰るね”と言いかけ、慌 . . . 本文を読む

第一章:親父への旅  親父の“今”との対面 ①

2010年09月13日 | 日記
親父と二人、背筋を伸ばして待つこと数分。「息子さんですか?いらっしゃったんですね」と、微笑みながら主治医はやってきた。主治医の“いらっしゃった”という言葉の裏に“やっと”という言葉が隠されているような気がして、僕は背を丸めた。 目の前のビューアーに、親父の患部の写真が並べられ、主治医の説明が始まった。明快だった。 ●肝臓癌であることは、間違いない。 ●本人の望みなので、すべて包み隠さずお話しする。 . . . 本文を読む

第一章:親父への旅  旅の始まり ⑥

2010年09月12日 | 日記
それにしても、眠い。2時間+約1時間の睡眠に、長距離の移動。時間距離は短縮されたとはいえ、遠くへの空間移動は、ボディブローのように効いている。 急がねばと思いつつも、ベッドに身を投げ出す。意識が浮揚し、ベッドに大の字の僕自身を見つめている。親父と僕。それぞれが“一人”なんだ、という感覚が身を包みこむ。 親父の“死”は思わない。むしろ、病明けの“生”が気にかかる。 次第に深く、ベッドに身体が沈みこん . . . 本文を読む

第一章:親父への旅  旅の始まり ⑤

2010年09月11日 | 日記
「チェックインしてくるね」と、親父のバッグに入れておいたクラッチバッグを取り出す。このちっちゃなSAZABYのナイロン製バッグがあれば、一週間の旅でもOKだ。 「3時にのお、先生が来んさってのお…」。親父の段取りの再説明が背中から聞こえてくる。「とりあえずは、3時だよね」と、その声に重ねるように制し、「行ってくるね」と病室を出る。「少し、昼寝でもして来い」と親父の声が追いかけてくる。 1階受付脇で . . . 本文を読む

第一章:親父への旅  旅の始まり ④

2010年09月09日 | 日記
医師会病院は、益田市と近隣の郡の医師会が設立した財団法人。救急の場合を除き、「かかりつけ医」の紹介がないと診察を受けることができない。ただそれは、町医者と総合病院の連動性を高め、「かかりつけ医」を定着させると同時に、町医者個々には荷の重い高度な医療機器の導入を医師会の力で行っていこう、という意図があってのこと。よく考えられている。 タクシーの運転手の話によると、設備が整っていて看護師も多く完全介護 . . . 本文を読む

第一章:親父への旅  旅の始まり ③

2010年09月08日 | 日記
空港を出てすぐ、タクシーに乗る。15分強で到着。信号の少ない田舎の道は速い。料金2500円。 「ただいま~」と、玄関の引き戸を開ける。「おお、洋一か」と聞こえてきた声は、元気だ。塵一つない玄関のたたきに親父の几帳面さとささやかな決意を感じつつ、玄関脇の和室に上がる。向こう三軒両隣に空港売店で買ってきた“濡れ甘納豆”を置き、居間の仏壇の前に進む。そこには、親父の再婚相手(僕の育ての母)と再々婚相手( . . . 本文を読む

第一章:親父への旅  旅の始まり ②

2010年09月07日 | 日記
僕の故郷島根県益田市は、人口約5万人の山陰の小都市。かつては“陸の孤島”と呼ばれ、どこへ行くにもどこから帰るのにも多大な時間を要した。が、1993(平成5)年、石見空港(現在は、萩・石見空港)が開港し“陸の孤島”の汚名を返上することとなった。空港は益田市の郊外に立地しているため、タクシーを利用すると実家から20分で到着する。東京・渋谷の事務所からの総時間距離は、待ち時間等を含めて3時間。かつての、 . . . 本文を読む

第一章:親父への旅  旅の始まり ①

2010年09月06日 | 日記
2000(平成12)年6月初旬、夕刻。事務所の電話が鳴った。僕の親父からのようだ、と告げられた。僕はキーボードの手を止めた。嫌な予感がした。 29歳の初夏、電話とラジカセだけの事務所を開いてから21年。親父からの電話は、たった3度。再々婚の相談の1回だけが、いい知らせだった。残りの2回は、いずれも親父の連れ合いの死に至る病発症の連絡だった。田舎で一人暮らしの親父。4度目の電話は、本人の死に至る病で . . . 本文を読む