昭和少年漂流記

破壊、建設、発展と、大きく揺れ動いた昭和という時代。大きな波の中を漂流した少年たちの、いくつかの物語。

第一章:親父への旅  旅の始まり ⑥

2010年09月12日 | 日記
それにしても、眠い。2時間+約1時間の睡眠に、長距離の移動。時間距離は短縮されたとはいえ、遠くへの空間移動は、ボディブローのように効いている。
急がねばと思いつつも、ベッドに身を投げ出す。意識が浮揚し、ベッドに大の字の僕自身を見つめている。親父と僕。それぞれが“一人”なんだ、という感覚が身を包みこむ。
親父の“死”は思わない。むしろ、病明けの“生”が気にかかる。
次第に深く、ベッドに身体が沈みこんでいく。眠りに落ちてしまう前に起きあがろう、と思う。しかし、意識は浮揚したままだ。
「行くか!」。声を上げ、立ち上がる。
駅前で客待ちをしていたタクシーに乗る。
行き先を告げると、次々と質問が飛んでくる。“こちらの方なんですか?”“ご家族が入院してられるんですか?”“具合はどうですか?”。そして、“実は私の父も……”と話は展開していく。不快ではないが、面倒だ。
ふと、運転手の中でイメージされている構図を思い描く。田舎に一人暮らしの親を置き去りにしている都会暮らしの息子。病に倒れたとの報に、おっとり刀で帰省…。という構図だ。僕はその典型に見えたのだろうか…。
15分後、医師会病院に到着。受付で尋ねると、親父は315号室に移動しているという。
予定通りだ。急いで、向かう。
ドアを開けると、親父はベッドに端坐していた。きりりと伸ばした背筋に、親父の矜持が表わされているようだ。かわいい。
「ごめん、ごめん。遅れちゃったねえ」と照れ笑いをすると、「主治医が30分前に来んちゃったんじゃけど、お前がおらんけえ、来たら呼んでくれちゅうて…」と、さすがに不満げだ。
「パチンコしちゃってねえ。で、5万円も勝っちゃってさあ…」。親父のパチンコ心を刺激する作戦に、僕は出た。後ろめたくなくはないが、買ったんだし……。保温水筒も買ってあるし……。
「やっぱりの~~」。親父はにんまりとして、「そんなことじゃろうと思うたよ」と膝を崩す。「よかったじゃあなあかい、勝って。…一銀会館か」。少し目が輝く。
「うん。出っ放し!」と自慢話をしてやると、「あそこでそんなに出るのは珍しいで」と真顔になった。
保温水筒を取り出し、給湯室に走る。念入りに洗い、お茶を入れて病室に取って返す。仰向けになっていた親父に、水筒の使い方を教える。「わかったかな~?大丈夫?」と、繰り返す。3度目に、「ええ加減にせえや」と半身を起こして笑う。
それをきっかけに、「さて、行ってみるか!」と勢いよく立ち上がる。僕は親父の段取りに従うのみ。そそくさと付いていく。
ナース・ステーションに立ち寄り、看護師に声を掛ける。「3時半頃、一度先生に病室に来てもらったんですが、息子が遅くなってしまいまして…」「先生をお呼びすればいいんですね」「病状の説明と、これからの…」「ちょっと、お待ちください」。
看護師が姿を消すと診察室に入っていき、医者用の思しき回転椅子と向かい合わせに2脚の椅子をセット。その一方に座るよう、僕を手招きする。
「勝手に入っていいの?」と腰を屈めながら近付き、トントンと叩く椅子の座面に腰を下ろす。
親子セットで待つこと数分。主治医はやってきた。
60sFACTORYプロデューサー日記(脳出血のこと、リハビリのこと、マーケティングのこと等あれこれ日記)

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