昭和少年漂流記

破壊、建設、発展と、大きく揺れ動いた昭和という時代。大きな波の中を漂流した少年たちの、いくつかの物語。

第一章:親父への旅  旅の始まり ③

2010年09月08日 | 日記
空港を出てすぐ、タクシーに乗る。15分強で到着。信号の少ない田舎の道は速い。料金2500円。
「ただいま~」と、玄関の引き戸を開ける。「おお、洋一か」と聞こえてきた声は、元気だ。塵一つない玄関のたたきに親父の几帳面さとささやかな決意を感じつつ、玄関脇の和室に上がる。向こう三軒両隣に空港売店で買ってきた“濡れ甘納豆”を置き、居間の仏壇の前に進む。そこには、親父の再婚相手(僕の育ての母)と再々婚相手(親父が“青春”した人)が、仲良く並んでいる。思い出深く、愛すべき二人だ。均等に声をかけ、手を合わせる。育ての母には陳謝の、再々婚相手の人には感謝の、言葉が浮かんでくる。
「行くぞ!」の声に目を上げると、大きなバッグをぶら下げた親父の仁王立ち。「どこへ?」とからかい気味の返事をすると、「病院じゃ!」と少し苛ついた声が返ってきた。さすが準備万端男。奥の方、台所を見てみると、いかにもしばらく留守をする風情。隅々まで磨き込んだようにきれいになっている。
「タバコ1本、いいかなあ」と取り出し、手早く吸う。
「お前が着くの、待っとったんじゃ」。と、親父は傍らで足踏みをせんばかりだ。やむをえずタバコをもみ消す。
ゴミとタバコの吸いがらチェック。戸締り点検。……。こまごまと動き回る親父を見ていると、どうしても頬が緩んでくる。「ええて。ええて。わしが持つって」と抗う親父から奪うようにしたバッグと“濡れ甘納豆”五個入りのペーパーバッグを両手に、玄関まで行きかけて気付く。タクシーを呼ばなくては、いけない。田舎の、しかも町の端っこの往来を空タクが走っていたら奇跡というものだ。それとも親父のこと、手配済みか…。
「タクシー呼ぼうか~~?」。まだチェックをしている親父に声をかける。と、案の定の返事。「いや、もう呼んだ~。そろそろ来るんじゃなあかい?」。僕は、じゃあ、とばかりに、向こう三軒両隣に挨拶に。
一人暮らしになって5年。ご近所の目と耳のおかげで、親父は安心して過ごせている。有り難い話だ。ただ、今は急ぐ。長話はできない……。
五軒目に“濡れ甘納豆”を配り表に出ると、クラクションの音。タクシー到着だ。すかさず、親父が出てくる。丁寧に鍵をかけ、確認し、タクシーに乗り込む時に、一度家全体を見上げる。「行くぞ~~。洋一~~」。直後に僕を呼び、後部座席奥の方へ身をずらす。出発だ…。
こうして、僕が実家に到着して40分後。僕たち親子はもう医師会病院に、いた。予定の時間よりも相当に早い到着だった。

60sFACTORYプロデューサー日記(脳出血のこと、リハビリのこと等のあれこれ日記)

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