俳句日記/高橋正子

俳句雑誌「花冠」代表

生活する花たち 冬①

2011-12-13 23:56:24 | Weblog
生活する花たち 冬①



○現代俳句1日1句鑑賞

12月31日
★去年今年貫く棒の如きもの     高濱虚子

「去年今年」の季語であまりにも有名になった句である。虚子は、客観写生を唱えたが、虚子自身は、大変主観の強い人間である。去年が今年となっていく時を「棒の如きもの」と主観の強さで把握した。太い棒のような時は、虚子の一貫した人間の太さや力とも言えよう。(高橋正子)

12月28日
★身にまとふ黒きショールも古りにけり      杉田久女

防寒にショールをまとう。ショールは、防寒の用だけでなく、気に入ったお洒落なものをまとう楽しみもある。買ったときは華やかに身を包んでくれたショールも、年々使って古びてしまった。ショールが古くなることは、つまり自身から、若さや華やかさが失せることでもある。うだつの揚がらない田舎教師の妻として、境遇を思う悲哀がある。(高橋正子)

12月27日
★許したししづかに静かに白息吐く     橋本多佳子

許しがたく憤ることがあって、昂ぶっていたが、考え、時間が過ぎてみると、次第に「許したし」の心境に落ち着いてきた。憤りを静めるように、意識して静かに吐く息である。寒い折、その息は白くなって、自分の目に、静まって行く気持ちが確かめられる。多佳子らしい感情が出ている。(高橋正子)

12月26日
★冬霧やしづかに移る朝の刻        谷野予志

霧に包まれた冬の朝の静かな時間を、作者自身の静かな行為の中で詠んでいる。霧が深く立ち込める情景は、空間も時間も動かないというほどに、「しづかに」動いているのである。(高橋正子)

12月25日
★足袋つぐやノラともならず教師妻     杉田久女

久女は女子高等師範学校を卒業した秀才であるが、絵描きの田舎教師の妻となった。夫の将来に夢を託していたが、凡々と暮らす夫に不満が募り、そうかといってイプセンの「人形の家」の主人公ノラのように家を飛び出していくこともせず、もんもんとして、足袋の破れをつぐような生活を送る日もあった。女性の自立を問う句であることに、今も変わらない。(高橋正子)

12月24日
★冬の海越す硫酸の壺並ぶ        谷野予志

船に載せられて運ばれる工業用の硫酸だろうが、硫酸とは、ただならぬ。その硫酸が壺に入れられて並べられているのを目にした。冬海が荒れれば、硫酸は壺のなかで揺れる。いかなる事件が待ち受けているかもしれない危険がある。そういったことを予測させて、ミステリーが始まるような鋭い句。(高橋正子)


▼現代俳句1日1句鑑賞
http://blog.goo.ne.jp/kakan2011
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12月13日(火)

2011-12-13 09:57:34 | Weblog
★落葉踏み階踏みてわが家の燈  正子

○今日の俳句
冬鳥の声澄み渡る大欅/後藤あゆみ
冬鳥が大きな欅の枝で、のびやかに歌っている。声も澄みわたるほどに。大欅なればこそ、の世界。

○枇杷の花
枇杷の花はうす茶色の蕾がはじけて、花が開くと芳香が漂う。絹のような匂い、気品のある匂いである。冬の花では、水仙も気高い匂いがするが、枇杷のほうがしっかりと匂う。自転車で通りすがるときも、自転車を降りて、そばに寄ってみたりする。魚の骨のような葉も文人趣味といおうか、墨絵などに書けば面白いが、年も押し迫ったころにこの枇杷が咲くのがなんともよいのである。

◇生活する花たち「木瓜・山茶花・枇杷の花」(横浜日吉本町)
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