俳句日記/高橋正子

俳句雑誌「花冠」代表

12月27日(火)

2011-12-27 14:59:39 | Weblog
★水仙の香を吸いながら活けており  正子
水仙はややうつむき加減の清楚なたたずまいとともに、あの香りが素晴らしいですね。それをいっぱいに浴びながら活けておられる、水仙のような心持を思います。(多田有花)

○今日の俳句
雲がゆく冬田に大き影落とし/多田有花
秋に刈り取られた田は、ひつじなどもすっかり枯れて、寒風が吹き過ぎる冬田となった。大きな雲が影を落として行くこともある。冬田に見た大きな雲の影が心象ふかく刻まれる。

○数え日 
数へ日の白雲とゐて山仕事/友岡子郷

俳句の季語に「数え日」がある。冬の季語で、年の暮れに残る日数が少なくなることをいう。年末のあわただしさがあるが、一年を振り返って、人それぞれの感慨を抱く。

いよいよ年末となった。昨日は、田作りを作り、黒豆を煮はじめた。田作りは、醤油、砂糖、清酒のこれだけで味を付ける。みりんも水あめも入れない。黒豆は、砂糖、醤油、重層で煮る。醤油を少々入れることで、ほかの料理から甘さが浮き離れない。塩かずのこの塩抜きは、明日の予定。今年は長男夫婦もトルコに旅行して来ないので、この三肴と、なにか好きなもので済ませる。こういう正月は、はじめてである。

友岡子郷の句にある数え日の山仕事で、思い出すことがある。年末になると、正月に使う裏白を山へ採りに行く。松と梅の枝を切ってくる。神仏に立てる榊を切ってくる。これらは父が主にしていた。付いていくこともあったが、どっさりと切って来られたこれらを見て、正月が来るんだと子ども心にも思った。年末の山は、特別の大風が吹かない限り暖かいのだ。木に風が遮られて、松葉や落葉があって、寒いことは寒いがほっこりとしている。年末のこういう山が好きであった。

◇生活する花たち「椿・水仙・野ぶどう」(東海道53次/戸塚宿~藤沢宿)

コメント (1)
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