俳句日記/高橋正子

俳句雑誌「花冠」代表

12月23日(金)/天皇誕生日

2011-12-23 03:58:33 | Weblog
 鎌倉・報国寺
★竹林の千幹二千幹が冬  正子
お寺の境内の竹林。一本、一本の竹のすっきりした姿と数多くの竹が戦ぐ様子がうかがえます。きっぱりとした冬らしい句だと思いました。(井上治代)

○今日の俳句
冬鵙に雲一片もなかりけり/井上治代
一片の雲もなく晴れ渡った空に、けたたましいはずの冬鵙の声が、のびやかに聞こえる。

○今日は、天皇誕生日の祝日なので、句美子はお休み。明日は、長男夫婦の元、奈津子が訪ねてくるので、句美子はブッシュド・ノエルを作ってくれる。今田美奈子先生のお弟子の先生のお菓子教室に通っている。そして作ったお菓子は持って帰ってくれるが、味は洗練されているなあと、いつも感心する。一番喜んでこのお菓子を食べるのは、お酒好きの信之先生である。

○侘助
侘助は原種ではない。ピタールツバキとツバキとの交雑によってウラクツバキが生まれ、そのウラクツバキの子や子孫としてワビスケが誕生したのであろう、といわれている。ウラクツバキやワビスケは、子房に毛があることが多い。

侘助は椿と違って、花が開ききらない咲き方をし、花も小さい。お茶花として人気が高いのは、花の姿に品格があるからであろうと思う。松山の郊外の砥部の家には、肥後、乙女などさまざまな種類の椿をたくさん植えていた。花が満開となるときは、地に積み重なるほど花が落ちた。初冬、庭に「初あらし」という白い椿が咲いた。そうして、すぐ横にある柊の銀色の花が高い香りを放つころになると、ぼつぼつと侘助が咲いた。わが家にあったのは、赤い侘助。備前焼に入れるとよく映る。「助」というのは、小僧っ子らしい。そういうほうから見ると、品格だけではなく、滑稽さも感じないでもない。侘助は、何年たっても大きくならなかった。わが家では、椿もあまり大きくならなかったが、唯一2メートルくらいのは、玄関の戸を開けると見える白い椿。この椿は葉が幾分よじれる癖があった。わが家の裏は遊歩道があって、フェンスの向こうは谷になって、谷底を砥部川が流れていた。その川崖の上のほうに藪椿がよく咲いたので、ちょうど手を伸ばせば花に届いたので、時どき、一枝折って籠に活けたりした。普段、侘助を椿と区別して眺めることはない。

◇生活する花たち「侘助①・侘助②・フランス柊」(横浜日吉本町)

コメント (1)
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