珈琲一杯分の話

2018年2月26日スタートのただのボヤキカフェです。
毒とユーモアを楽しんで頂ければ幸いでございます。

イバラの道も

2020-03-12 | 日記
以前も書いたが、私の実母は
「本家を継ぐため」「早くに未亡人となって苦労した母親のため」「長女の責任として」よく知りもしない男と仕方なく結婚した。
あの時代に田舎で、そんな状況に反発できるような人がいたらよほど稀だったと思う。
「本家を継ぐため」「早くに未亡人となって苦労した母親のため」「長女の責任として」という価値観はその立場なら誰でも持つ、絶対的な信仰のようなものだったし倫理感だったと思う。

それからは親の期待や世間体を納得させて波乱を起こさなかった代わりに、精一杯頑張った代わりに、うんざりするような恨みがましい愚痴が延々続いた。
止まることは残念ながら無かった。
恨み事は言ってもしょうがない、誰かしら、何かしらに向けられた。

一方で私のパートナーは、親の期待も、莫大なお金も、世間体もぶっちぎって好きな道を選んだよほど稀な男だった。
当然ながら穏やかでは済まなかった。
それで失ったものも、今更指を加えても手に入らないものもある。
その代わり恨みがましい愚痴は一切聞かなかった。

「タラれば」悩みも苦労もなく幸せだったなんて、幼稚な幻想と思う。

どっちにしたってイバラの道なのだ。
イバラのない人生なんてどこにあろうか?

でも愚痴のない人生でよかったと、私は思っている。
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温度差6

2020-03-12 | S教団関係
※以下は、あくまでも自論ということを強調しておきます。

S問題のアンチとシンパを見ていて、最初は信者とアンチの亀裂が問題と思っていた。
が、途中からそれよりアンチ同士の温度差の方が厄介と思った。
温度差というのは、同じアンチでも「深刻な人」と「そうでもない人」というか、「深刻にしたい人」と「それが嫌な人」というかな。

面白いのがこの温度差は、実際の苦労とか被害?とは必ずしも一致しないところである。
一致する人もいると思うけど、そうじゃない人もいると思う。

私の場合はSアンチでありながら、同時に物事を深刻に考えることのアンチでもある。
これはS問題に限らず、よほどのことでもない限りたいていのことがそうなんだけど、アンチとしては致命的というか矛盾をはらむというか、悩ましい分部と思う。

アンチというのは基本、その対象を軽く見ないで重篤に見る故にアンチになる。
以前、某政党を半殺しにしたい勢いだったあるアンチの人が、それは何故かと訊かれた時にこう言っていた。
「自分はそれをたいしたことないとは思っていない。皆が思っているより、ずっと深刻で多大な悪影響力を及ぼすと思っているからなんです」

そうなんだろうなあと思った。

以前、複雑なことは分解して整理して簡単にするのが好きと書いたけど、私は深刻なことも見るとムラムラと同じような気持ちになる。
「これとこれは関係ない」「これは余計」とどうしたら、それが深刻でなくなるかを考えてしまう。

私も嫌いなものはいっぱいあるのよ。
決して無痛人間でも心が広くもないのよ。
ただ、受け取り方?闘い方?が一つではないと思うだけなんだよね。
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