以前も書いたが、私の実母は
「本家を継ぐため」「早くに未亡人となって苦労した母親のため」「長女の責任として」よく知りもしない男と仕方なく結婚した。
あの時代に田舎で、そんな状況に反発できるような人がいたらよほど稀だったと思う。
「本家を継ぐため」「早くに未亡人となって苦労した母親のため」「長女の責任として」という価値観はその立場なら誰でも持つ、絶対的な信仰のようなものだったし倫理感だったと思う。
それからは親の期待や世間体を納得させて波乱を起こさなかった代わりに、精一杯頑張った代わりに、うんざりするような恨みがましい愚痴が延々続いた。
止まることは残念ながら無かった。
恨み事は言ってもしょうがない、誰かしら、何かしらに向けられた。
一方で私のパートナーは、親の期待も、莫大なお金も、世間体もぶっちぎって好きな道を選んだよほど稀な男だった。
当然ながら穏やかでは済まなかった。
それで失ったものも、今更指を加えても手に入らないものもある。
その代わり恨みがましい愚痴は一切聞かなかった。
「タラれば」悩みも苦労もなく幸せだったなんて、幼稚な幻想と思う。
どっちにしたってイバラの道なのだ。
イバラのない人生なんてどこにあろうか?
でも愚痴のない人生でよかったと、私は思っている。