はろー!!えぶりばでぃ( ̄∇ ̄)
今日は、宗教者が語るそれを信じると奇跡を起こすような願いが叶うか否かの、うやむやを整理整頓して明快にしようと思いますが、皆さま如何でしょうか~~(拍手ナシ)
単刀直入にそれって
①物理的に不可能なことを、唯一正しい教えに沿って祈りさえすればアッと驚く、魔法のような科学的に説明のつかないことがことが起こる。
ということなのか
②例え絶望的なことに遭っても、強い信念を持つことで絶望に全てを持っていかれず強いモチベーションを保つ人には展望が開ける。
それに付随した行動の結果を奇跡のように感じる。
ということなのか?
私にはここが、シンパにせよアンチにせよ、ズルいというか曖昧というか、都合によってコロコロ変えるピーポイントな気がしてならない。
信者の時は無意識でも②を実感していながら、体験発表では①を喜々として語るとかね。
アンチになっても②を実感していながら、①を指導の全てにして嘲るとかね。
(違ったら反論くだされ)
ここがシンパもアンチもソックリと思う。
私は「例え絶望的なことに遭っても、強い信念を持つことでそれに全てを持っていかれないモチベーションを保つ」ことこそを「奇跡」と思っている。
これは簡単ではないと思う。
こんなことを続けられる人って「奇跡の人」なのかなあと私は思っている。
また、会員さんには①を語る人もいますが、②を否定する人は一人もいないはずです。
アンチの方は、②には触れずに①だけを強調する傾向がありますね。その方が批判するのに好都合だからでしょう。
それと、私はSが広がった理由を「正しい法だったから」だとは思っていません。池田先生が会員さんに、また先輩が後輩に、人のために祈ったり行動したりする事を教えてきたからだと思っています。
>また、会員さんには①を語る人もいますが、②を否定する人は一人もいないはずです。
これ①を言ったとしたら折伏経典の頃や草創期ですよね。
少なからずネットでアンチをやっている人は、そんなことは真に受けていなかったはず。
財務もそうなんだけど「お金を出せば出すほど幸せになる」なんていったい誰が言ってたの?
会員当時だってそんなことを言ったらまず注意されたし、それは違うよという声の方を数倍聞いていたはず。
そんなおかしな人は相手にされていなかったはず。
自分でもまともな方を信じていたはず。
ところがアンチになった途端、まともな話はわざと書かずに、おかしな話ばかりをこれでもかと書く。
わざとね。
これズルイですよね。
>私はSが広がった理由を「正しい法だったから」だとは思っていません。
この「正しい」も今は言ってないですね。
少なくとも「教義が唯一正しい」は便宜上、流れ上、人によって致し方なくいう場合もあるでしょうが、少なからず公にいうのはやらなくなりましたね。
それも「ズルイ」といえばズルイでしょう。私も一時期はそう思っていました。
でもアンチだって、向こうがとぼけたにせよ、もう廃止していることを「今も変わらず言っていることで」「それが全てのように」いうのはズルイ。
ズルイというかしらけるところがありますね。
アンチブログに書かれている文句の大半は、草創期に言われてたことです。
そのインパクトが強いのか、自分がそこで止まっているのか、都合がいいのでわざと使ってるのかってところがありますよね。
どっちもどっちだなあと私は思います。
もうちょっとフェアにならないものかなあ?と。