Sアンチの一部が問う、S会員ってなんで荒唐無稽なことを信じるのか?(覚醒したまともな自分と違って)という疑問について勝手に書こう。
毎度勝手に書いているので笑って聞き流してくだされ( ̄∇ ̄)
人は信じたいものを信じるからです。
二言目には「覚醒した」というSアンチだけど、それはあくまでSの教義なり、職員の金の管理なり、教祖様の健康状態なりを信じられなくなったというだけで、世の中の一切の真実、真相を見極めているわけじゃない。
他は今まで通り、自分の信じたいものを自分に都合よく信じている。
例えばAさんとBさんが対話をしましょうとなったけど、Bさんが途中で返事をしなくなったとします。
そしたらBさんを贔屓にしている人は「相手は対話する価値なんてなし。話が全く通じないし関わりたくない。相手にするだけ無駄」と言う。
Aさんを応援したい人は「相手はウソつきだ。こういうことをするからああやっぱりねと思われてしまうんじゃないの?不都合があると答えられなくなって逃げた」と言う。
真実はどうあれ、自分の信じたいように信じるのでは?
それが自分の中では真実になるのでは?
相手のそれを「滑稽」と言ったところで、立場が変われば一転、その滑稽を言い出すのでは?
信じるってそういうことと思う。
「鯛焼きさん、あなた単なるネット流民のかまってちゃんですよね」
この一行で打ち切られたんです。
私は本当にそうなのか自分で試してみようと、鯛焼きさんのブログに行って直接話してみました。結果本人いわく「営業職で忙しい、しがないサラリーマンの支部長」とのことでした。
実際お忙しいんでしょう。たった一つ二つのコメントの承認だけで数日かかることもありました。
かまってほしくてネットにかじりついている「ネット流民のかまってちゃん」ならこんなことは絶対しないでしょうね。
それから私はとぼけた言い方をしているようで、実はけっこうイジワルで不躾なことをズバッと書いたんですよ。
でも鯛焼きさんは「スイッチ」も「シャッター」も一度も入りませんでした。
意見が割れてもヒステリックになったり、私の人格を嘲笑ったり侮辱するようなこともただの一言も言わなかった。
感心しましたね。
対話ってこれができる人同士じゃないとやらない方がいいと思います。