県議会県外視察で大分県に来ています。大分県と言えば由布院の温泉です。年間400万人のお客さんが来るそうです。しかし由布院には意外な過去が。昭和27年に現在の由布院全体をダムにするという計画が持ち上がったが由布院の青年たちを中心にした激しい反対闘争でダム計画を止めたそうです。
そして当時の青年運動のリーダーであったお医者さんが36歳で由布院町長となりダムに変わる街づくりで始めたのが滞在型の温泉構想の具現化だったという。ドイツに青年団の若手リーダーとともに50日間も自前でお金をだして研究に行ったという。
由布院では、由布院の温泉郷として成功した後も7ゴルフ場もバブル期のリゾートマンションも全部蹴飛ばして現在の環境を守り続けてきたという。群馬県長野原町の八ツ場ダムも由布院のような道を歩める可能性はあったのだと思う。由布院の温泉の繁栄を見ながら川原湯温泉の現在の惨状が頭に浮かんでくる。
そして当時の青年運動のリーダーであったお医者さんが36歳で由布院町長となりダムに変わる街づくりで始めたのが滞在型の温泉構想の具現化だったという。ドイツに青年団の若手リーダーとともに50日間も自前でお金をだして研究に行ったという。
由布院では、由布院の温泉郷として成功した後も7ゴルフ場もバブル期のリゾートマンションも全部蹴飛ばして現在の環境を守り続けてきたという。群馬県長野原町の八ツ場ダムも由布院のような道を歩める可能性はあったのだと思う。由布院の温泉の繁栄を見ながら川原湯温泉の現在の惨状が頭に浮かんでくる。