老いて楽しく

余生を楽しむ

ブラーリ両国界隈

2016-05-25 14:54:14 | 日記

 先日ある会で両国界隈を散策した、両国界隈は江戸時代から、回向院の大相撲興行 見世物小屋 茶屋 待合茶屋 屋台等で大変賑わい庶民の街として繁栄した。

 現代も何と言っても両国と云えば国技館の大相撲、東京江戸博物館、旧安田庭園、震災慰霊堂、震災 東京空襲の遺品 写真の展示などの震災復興記念館、ドコモ資料館、回向院、吉良邸跡、相撲写真館、両国花火資料館等見て歩くところは多い。

 その昔の大相撲は回向院境内で、晴天10日間の興行だった、「1年を10日で暮らす良い男」と云う川柳がある、相撲取りの事を云う、10日間相撲を取れば、1年間暮らせるなんていい身分だった。
 
その後回向院の北側に屋根つきの土俵ができ、雨天に関らず興行が出来た、昭和の初期に鉄骨3階建ての大鉄傘国技館が出来た、戦中戦後の大横綱「双葉山」それに続く「安芸の海」「羽黒山」「照国」と4横綱が競っていた、双葉山の70連勝を阻み69連勝にした安芸の海、大変な人気だった。
 戦中1度だけ此の大鉄傘の国技館へ行った記憶が有る、東京大空襲で鉄骨のみ焼け残り、戦後復興され駐留軍の「メモリアルホール」として接収され、その後日本大学の講堂として使用されたが、一度猛火に晒され老朽化も進み、解体された、その間国技館は蔵前に開かれていたが、その後元の両国駅近くに今の国技館が建設され、両国国技館が戻って来た、散策に訪れた時は夏場所中で、午前中は新弟子さん達が大勢国技館に出入りしていた。

 赤穂浪士討ち入りで有名な吉良 上野介の屋敷は、本所松坂町に2000坪余の大きな屋敷を構えていた、今はほんの50坪ほどの所に稲荷社と首洗い井戸(みしるし洗い)が残るのみ.

震災、空襲復興記念館には、非常に悲惨な写真も展示されている、猛火に逢い原型の崩れた物品等の陳列がり、関東大震災は知らないが、関東大震災よりもっと悲惨な光景を、昭和20年3月10日の大空襲で体験した、その惨さに戦争は2度としてはいけないの思いが強い。

 江戸東京博物館は特設展示場は  今NHKでやっている「真田丸」を公開しているがここはパスして、常設館を案内人付きで見学、この博物館はもう10数回訪れているが、詳しい説明を聞いたのは初めて、詳しい案内を聞くと非常に勉強になる。
 相撲写真館は町の写真館のご主人が趣味で、昔の相撲の写真を収集自宅の一画に展示している。両国花火資料館は改装中らしく青シートが張られ休館中で見られなかった。

 1時前両国駅で解散、其々好みに店で昼食、小生ら5人は偶然前に行ったチャンコ屋へ入る、3年前に外のグループとちゃんこを食べて居たので、皆其々の料理を楽しむ。

 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

水墨画

2016-05-25 13:23:11 | 日記
何かで所沢ミューズで「水墨画展」を遣っていると知った、近辺に用事が有り、此処まで来たなら寄って鑑賞しようと思い、気軽にミューズへ行って見た、会場へ入って驚いた60点程の作品が展示されているがその見事さに圧倒された。

 花鳥風月 風景 山岳 仏像あらゆる物が墨の濃淡だけで表現されている、小生芸術鑑賞の目は持っていないが見て歩くのは好きだ、ヨーロッパの油絵の名画展 水彩画 江戸時代の浮世絵展 写真展と色々鑑賞して歩いた、油絵は油絵 水彩画は水彩画 浮世絵の極彩色 写真展もモノクロ写真、最近のデジタル写真、フィルム写真等それぞれ趣が有るが、墨の濃淡だけで此れだけの表現ができるのだと感銘を受けて帰ってきた。

 絵画 音楽 芸能 あらゆる芸術に才能が全くない小生がこうゆう作品を鑑賞して歩くのも、才能がないゆえに精神的に枯渇しているから鑑賞して歩くのだろうか。

 素晴らしい絵画展 写真展など鑑賞した後は、心が優しくなれるような気がする、フラッと行った水墨画展も良かった。