神紋の由来
家紋は、平安時代に貴族(公家)始まったと言われていますが、戦国時代多くの武将の間に用いられるようなり、一般庶民に広まったのは江戸時代から明治時代にになってからと考えていいようです。家に家紋があるように神社には神紋があり、位が高い神社ほど古い歴史があるようです。
三つ巴紋 梅鉢紋
上記の二つの神紋は、大明神社拝殿の石垣に組み込まれているものです。そして、大明神社は、対等合祀していますから「春日大明神」は「春日大社」に繋がり祭神の「天津児(あまつこ)屋根(やねの)尊(みこと)」を「八幡社」は「宇佐八幡宮」に繋がり祭神の「誉田(ほんだ)別(わけの)尊(みこと)」の二祭神という事になります。とすると、宇佐八幡宮は「巴紋」を神紋としていますから合致しなすが、春日大社は「下がり藤紋」を神紋としていますから合致せず疑問が残ります。参考までに、梅鉢紋は天満宮(天神社)が神紋としています。
今回の調査で、明治政府の行った特に明治39年の神社合祀令では、かなりの混乱が生じ、こうした間違いがあったことが世間でも指摘されており、今後の検証にゆだねます。
今一つの疑念は、神紋として掲げるには神社正面あるいは神社祭殿の高い所に掲げるが「礼」考えます。これも今後の検証にゆだねたいと思います。
今回の調査で、この位置には寄進した人の家紋を入れる例あることも指摘されましたが、此処では二つのグループは共に同姓を名乗り、「菊輪抱きオモダカ」を家紋としてみえます。
上記の疑問に突き当たる訳ですが、大明神社に神紋に当たるものが存在することに興味湧いてきます。と同時に造りあげた昔の人(ご先祖様)に深い興味を持ち地域の人たちとともに解明できたらと想っています。