私の70代

愈々90代に足を踏み入れ、人生の最終ラウンドに入った想いです。野菜作りとパソコンにも向き合っていきます。
 

台風一過の木曽川

2011年10月02日 | Weblog

  9月21日台風15号が東海地方を去ってから、『台風一過』 のことわざどおり、夕方4時ごろから、からりと晴れあがりました。以後、秋晴れの好天が続いおり、夜は夏布団を2枚重ねて寝るほどの涼しさで、昼間は25℃を超す夏日もありますが、湿度が低くて本当に過ごしよい陽気になりました。
 畑には、半日程度を目安にこまめに出ています。以前に書きましたが、女房も畑仕事が好きで「私の畑、女房の畑」と区別していましたが、80代なるとその区別が”あいまい”になってきました。足腰が悪くなってきたのが最大の原因で、野菜作りの大半は私の担当になり、女房は、収穫と花作りや趣味の野菜?を畑の隅でする程度になりました。状況と歳を考えると当然の事と考えています。
 その分私が忙しくなり、作付の面積、種類を少なくしなければならないと思っていますが、実行している点もありますが、つい以前と変わらぬ作付をしてしまいます。『健康だからと、無理をせぬように』これからの私の課題です。

 台風15号で20日は一日雨、21日は昼過ぎまで雨でしたから身体は充分休まっていました。4時過ぎには晴れ間が出て・・・。名古屋では、庄内川・天白川が洪水で堤防を乗り越えて市街に流入、水が溢れて大きな被害が出ていることが頭にあり・・・。『ちょっと、木曽川の水を見てくる!』といった感じで出かけて、この投稿になりました。   

 車で、4~5分で木曽川に着きます。「ちょっと、水を見てくる」感じでいきましたが、結果は1時間余をかけて、木曽川の堤を一回りして、6本ある木曽川の橋と夕暮れの風景を写真に撮ってきました。水量は、中洲が水没して、背丈の高い草木が顔を出している感じで、水は茶色く濁っていましたが洪水で危険水位という事は全く感じませんでした。

     木曽川は、この地点で流れが二つに分れて川島町(集落)を囲むように流れています。写真上の流れが木曽川本流で、下の緑ぽい流れが南派川です。南派川は普段はわずかの水しか流されておりません。この川島集落は、長さ約5.5キロ、幅は最大所で1,2キロで、戸数約3,000戸、人口10,000余です。①~⑥は木曽川に架かった橋を指しています。(右手が上流)

 

 1番の平成川島橋で、1996年(平成8年)完成、全長371メートルです。美しい夕焼けで橋が黄金色に輝いていました。

 

  2番の川島大橋で、1962年(昭和37年)完成、全長344メートルです。 

 

 3番の各務原大橋(仮名)です。普段から、此処だけは車で河川敷まで降りられます。17時06分撮影ですが、私と同じような考えの人がもう来ていました。釣りを始める人がいるくらい流れは穏やかでした。         

 4番の「おもいやり橋」です。 2006年(平成18年)完成、全長280メートルです。この写真は、翌22日に撮りました。もう水色は青になっています。前日21日は茶色の水が手前の遊歩道に被っていました。
 1921年(大正末期)ここに木製の橋が架けられてから、洪水によって橋が流されて、2回橋が架けられましたが規模が小さく、自動車時代になって橋の中央に待避所がつくられましたが、トラブルが絶えず通称「喧嘩橋」と言われていました。が、
2006年2車線の橋が完成して「思いやり橋」と名つけられたようです。

  
  5番の河田橋で、1958年(昭和33年)完成、全長260メートルです。此処も昔は木製の橋が架かっていました。         
 
 6番の渡橋で、1964年(昭和39年)完成、全長258メートルです。この南派川は普段は「歩いて渡れるほど?」の水しか、流されておりませんから、やはり水は出ていますが、緩やかに流れている感じでした。
 この川島に6本の立派な橋が架かっているこは”素晴らしい”と思いますが、日本は”豊かすぎる”とも感じます。それにしても、素晴らしい夕日でした。

 

台風一過の木曽川


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