日本庭園こぼれ話

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伊勢神宮のルーツ---三重県

2011-03-23 | 神社

伊勢神宮は、最近、「パワースポット」として大人気ですが、今さら?の感が無くもありません。何故なら、伊勢神宮は、神代の昔から、日本のパワースポットだったのですから・・・。

伊勢神宮のルーツを辿れば、神武天皇の日本建国から、数百年を経た第10代崇神天皇の時代。

天皇は神を祀る「祭(まつりごと)」と、国を治める「政(まつりごと)」を分けることを決意され、それまで皇居内に祀っていた、皇室の祖先神である「天照大御神(あまてらすおおみかみ)」と、大和の国の地主神である「倭大国魂神(やまとのおおくにたま)」の2神を、皇居より離し、それぞれを神聖な土地に祀らせることにしたということ。

後に、天照大御神を託された皇女・倭姫命(やまとひめのみこと)は、大御神の永遠の鎮座の地を求めて旅に出て、各地を巡幸した後に、辿り着いたのが伊勢。このいきさつに関する最も古い記述は『日本書紀』にあり、天照大御神が「伊勢は常世(理想郷)」から波が寄せる誠に美しいところ。故にこの国に鎮座したい」と、倭姫に告げられたそうです。

(上: 皇大神宮「内宮」=伊勢神宮パンフレットより)

これはつまり、東国に勢力を延ばそうとしていた大和朝廷にとって、伊勢地方は、前進基地であり、海上交通の拠点であったからという興味深い説もありますが、ともかくも、伊勢神宮2,000年の歴史は、こうして始まります。

それから、500年後の雄略天皇の時代には、天照大御神の食事を司る神として、豊受大御神(とようけおおみかみ)が、丹波の国から迎えられ、天照大御神を祀る「内宮(ないぐう)」に対し、こちらは「外宮(げぐう)」と呼ばれています。

(上: 豊受大神宮「外宮」=聳える大樹と清浄な空間が俗世を忘れさせる)

さらにその規模は次第に拡大され、現在の伊勢神宮は、内宮、外宮の両正宮を中心に、別宮14社、他に摂社、末社、所管社があり、合わせると125社にもなるという日本一のビッグファミリー神社なのだとか。

(参考文献=伊勢文化社刊『伊勢二千年ものがたり』)


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