昨日は夏至でした。
夏の真ん中。
梅雨、真っ盛りの季節です。
それにしても、昨日は梅雨の晴れ間が広がっていましたが、近頃は、昔のような風流さのかけらもありません。
上はモノクロームの写真ではなく、今にも大雨が落ちてきそうな写真。
下は、束の間の梅雨晴れ。
いずれも、仕事部屋から見た光景です。
「梅雨晴れの 夕茜して すぐ消えし」 高浜虚子
かつての梅雨をうたった俳句です。どこか、長閑さがあります。
「梅雨の傘 たためば水の 抜け落つる」 長谷川櫂
傘の雨の滴が、抜け落ちるほどの勢いです。
ここ数年、梅雨末期になると、大洪水、大豪雨が起きています。
今年こそ、粛々と、梅雨前線には去ってもらい、静かな夏を迎えたいです。
そうでなくても、腹立たしいことばかりの、昨今。
国民のそうした不安や、憤りを、一体どこにぶつけたらいいのでしょう。
どんなことがあっても、五輪はやり続ける・・・。観戦客も1万人、関係者も1万人、合わせて2万人入れる。
それが全国、40箇所以上の会場です。
そのことは、何も言いません。ただ1万人と。
併せて、全国で40万人くらいの観客数、プラス関係者と、メディアです。
昨晩、NHKニュースで東京都の尾崎医師会会長が、話していました。
「ちゃんと、そうしたことを伝えるべきだ。あたかも、1万人だけの観客と、国民は、誤解するだろう」と。
それに対し、飲食は夜7時までで、90分。人流も抑える。
よく、暴動が起きないと思います。
私などニュースを見ているだけで、お酒も飲めないのに、夕方から嬉しそうにビールを飲んでいるおじさま方の姿が写ると、その日本人の生真面目さに切なくなり、
「飲んじゃえ、飲んじゃえ。7時までなんて関係なく。国だって、平気で論理破綻していることに正当性(安心・安全)をつけて、誤魔化して、オリンピックをやるんだし。国民にだけ犠牲をしいて。だから楽しめ、楽しめ!」と、ついテレビに向かって言ってしまいました。
「本当にアグレッシブな人だね」と、夫が、そんな私を見て呆れ顔。
ところが、今朝の「朝日新聞」、大好きな藤原新也の「風景を人を変えてしまう五輪」というエッセイを読んで、すっかり溜飲を下げました。
『東京漂流』『印度漂流』『西蔵漂流』などなど、人間を深く見続け、掘り下げる、彼の視点に80年代すっかり、傾倒していました。
ぜひ、お読みください。今回の東京五輪のことでは、日本人のアイデンティティまで問いかけています。
五輪が始まれば、日本人は五輪に夢中になる。そしたら今回、分科会の提言まで無視して国がやったとことなど、全部忘れる。
日本人は、これまでもずっと、そうでしたから。もういい加減「個の自立」を確立しましょうよ。
そういう危惧を持っていたので、人間としての根底を問いかけられ、本当に溜飲を下げました。