太陽光発電シニア

太陽光発電一筋、40年をはるかに過ぎたが何時までも興味のつきない厄介なものに関わってしまった。

ふざけるな木っ端役人

2018-08-29 08:54:10 | 社会観察

27省庁で障害者雇用数で大幅な水増しである。正式には法定の半分ほどしか雇用されていなかった。カウント間違いなどというレベルではなく、いい加減にやっていたと言わざるを得ない。国民を馬鹿にするにも程がある。どの口でパラリンピックを盛り上げようとか言うのか。確かパラリンピックの創始者の言葉「失ったものを数えるな、残されたものを最大限生かせ」は大会の理念でもある。曽野綾子氏の幸福論では、ないものを数えず、「あるもの」を喜ぶ生き方をと述べている。省庁はないものを数えた。言葉遊びでなく役人の根性を皮肉っているのだ。多分多くの職員は自分がやったことではないとか、昔から引き継いだものとして罪の意識は皆無だろう。

唯一最高幹部だけが国会で叩かれる心配とか、世間の風当たりをどうやって治めるべきかと腐心しているだろう。直接誰がカウントしたかなど特定出来る筈がない。こうなったら役人全員にペナルティを課せ。減給で一人年間5万円拠出してその分は全て身障者団体に寄付せよ。違法行為も皆でやれば怖くないと言うつもりなのか。財務省の書き換え問題やらセクハラから省庁が決して公僕でもなければエリート団でないことはもう明らかである。単に 狡猾な者達が役人になっているだけである。奥さん、お隣のご主人が本省の偉いお役人さんと羨む必要全く無し。お子さんが本当に優秀なお子さんなら国家公務員を目指すと言ったら止めなさい。在宅初老でも本当に腹が立っている。

勤めていた頃難聴の子が配属されてきた。補聴器はつけていたが日常会話にも苦労していた。ハンデの裏返しだったろうが何時もニコニコして決して人と争うことは無かった。本当に勤め切れるかどうか心配ではあったが、彼の結婚式に呼ばれスピーチもした。平凡でも最後はコツコツ努力した人が勝つ、実はこの平凡ということが実に難しい。多くの人は平凡にもなれない。どこかで自分を見失ってしまう。と言った内容だったと記憶している。式後親ごさんが席にやってきて、素晴らしいスピーチありがとうございました。実は小さい頃からこの子が平凡な暮らしをすることだけを願ってきましたと言われた。

ところがである。この子には異能の才があった。手先の器用さとアイデアは群を抜いていた。当時は太陽電池のプロセスも固まってはおらず、試行錯誤が続いていたが特に治工具類は市販のものは少なく、新しいプロセスを試すには自ら設計しなければならなかった。彼はアイデアが浮かぶとホームセンターなどで材料を買い集め手作業で見ごとなものを次々作り上げて行った。何処からアイデアが湧くのか不思議だったが、大学は首席で卒業したとも聞いた。素頭も相当優秀だったのだろう。辞める人など出入りが激しい部署であったが、定年後彼も無事定年まで勤め終えたと聞いた時はちょっと嬉しかった。何時もニコニコしていたが一度だけ悲しそうな顔をしたことがある。会社が身障者雇用のカウントをしたいと言った時、自分は身障者だが健常者と同じように働くことができると言う自負があったのだろう。しかし、そんな素ぶりは一切見せず、それで会社に役に立つならと言って手続きに入った。一時期、太陽電池セル技術では世界のトップクラスを続けたグループの貴重な戦力であった。彼のアイデアに満ちた治工具が無かったら、彼が人一倍嫌な仕事もコツコツやって呉れていなければトップにはなっていない。身障者であっても特異な才能を発揮する人は沢山居るだろう。それはボランティアで雇用しているのではなく、才能を生かす場を提供して戦力になって貰うことだ。東大出身者の居た職場だが、彼は物足りなかったのか早い時期に転職してしまった。仕事には何の役にも立たなかったし、何かを為した記憶も無い。国家公務員の皆さん、何も期待しないから兎に角常識的に世間並の仕事をして下さい。