太陽光発電シニア

太陽光発電一筋、40年をはるかに過ぎたが何時までも興味のつきない厄介なものに関わってしまった。

こんな国になってしまったのか

2018-08-14 08:40:39 | 社会観察

政治のことではない。連日の酷暑である。かっては東南アジアで感じた高温多湿そのものである。昨日も殆ど曇っていたが34℃まで気温が上がった。湿度も高く、昔なら不快指数振り切りだ。アジアで感じた時は遠い国だし赤道への近さからしてさも有りなん、しかも1~2週間でこの国ともオサラバとなると我慢できないことは無い。しかもホテル内は快適な冷房が殆ど有る。今はエアコンがない。堪らず車で目一杯冷房して近所を走る。嘘のように全身ジトッと濡れていた体が5分もしない内にサラッとなる。車とはいえイザとなると逃げ場があるというのは救いである。基地や原発が遠くにあって他人事と思っている人達にもきっと東南アジアの高温多湿は身近に迫って来る。

それでもやがて秋が来て冬が来ると暑さのことは忘れて四季折々などと言うのだろう。しかし、来年の夏もきっと同じようにゲリラ豪雨に見舞われる酷暑、あるいは逆の冷夏になるのではと思う。既に異常気象は死語になりそれが通常気象になると覚悟しておいた方が良い。それは体に感じる暑さ寒さに耐えることだけで済まない。今年は酷暑で蚊が少なかったという。確かに庭にも少ない。一方手間いらずで毎年沢山の実をつけるミニトマトの苗が育ちが悪く実は少なく何やら葉っぱは暑さのせいか病気にやられた。魚だって例年沢山釣れていたところが釣れない。地元の人はここ2~3年海岸の何処に行っても釣れなくなった、潮流の変化と海水温のせいだと言う。周りも釣れていないから釣れなくて当たり前と思うべきだが、つい昔爆釣した場所へ行ってしまう。やはり釣れなにのだが昔はねえとつい仲間内で言ってしまう。身近な自然は確実に変化しているように思う。異常を通常と納得するのは結構難しい。昔の縁に縋るのは人の常である。異常気象の中で育った若者が縋る縁もなく大人になると初めて異常も通常になるのだろう。長い目で見れば異常も自然の変動幅かも知れないが一生変動の中に居る可能性もある。

ゲリラ豪雨で毎回不思議に思うのは都界での冠水である。アンダーパスなどは深い水溜りを知らずに突っ込むと命の危険がある。都界はコンクリートとアスファルトの覆われ水は地下に浸み込まず道路を川として低地に集まる。何故水が浸透し易いコンクリートやアスファルトを開発しないのか。できると思うが。近所の大型家具店が相次いで閉店した。十分稼いだから良いのかも知れないが近郊の宅地開発は殆ど終わり、耐久消費財である家具は売れないだろう。地域店であるから家具を買いに来る客も半径何キロ以内だろうが、買うべき大型家具はもう無い。大塚家具の苦戦も時代を良い間違えているのだろう。我が街の駅近郊は昔は華やかな結婚式場とかあったが今は葬儀屋、リハビリ整形外科、年寄りの体操クラブと時代を反映している。結婚式場が儲かると思う人は殆どいない。それでも頑張っているのが駅近くの大型のパチンコ屋である。広大な駐車場も確保しているが何時まで持ち堪えるだろうか。若者はスマホやパソコンのゲームで事足りているだろうし、カジノなどが宣伝を始めれば小銭稼ぎに現を抜かす人も馬鹿らしくてパチンコに血道をあげることもなくなるのでは。

今年は蚊が少ないがやたら見た事もない大きな蝶が庭に飛んでくる。自然の中で育った野生児でも見たことがない。結構木立は多い地域だがまだセミの声は聞かない。これは田んぼが宅地になったからであろうが自然は結構残っている地域でも確かにここ数年減っている。ノスタルジー(郷愁)からか年寄りが随所で人工的に里山を作ろうとしているが自然はパッチワークのように留まってはくれないだろう。