海洋汚染の一つとしてプラスティック製品がやり玉に挙がっている。中でも象徴的なものとしてプラステック製のストローを廃止しようとする動きがある。何故ストロー?容器は?といった単純な疑問もあるがリサイクルできないプラスティック製品を全て廃止しようと思うと大変な作業である。単に象徴的なものとせず根本的な対策が必要だと思う。愛煙家が、それ程悪いなら何故製造販売が許されているのかと心の片隅で思うように廃プラ問題もライフサイクルとしてのメリット、デメリットを慎重に検討しなければならない。
それほど有害なものだから製造販売しないという選択肢もある。勿論そうなれば社会生活に大打撃があることは確実である。ここは安全に処理、燃焼させるしかない。廃プラの燃焼は石油製品だから石油火力発電と同じく熱量は大きい。良く燃えるのだが完全燃焼させないとダイオキシンなどの有害物質が出て来る。それでも今の燃焼技術は数年前に比べて格段にダイオキシンの排出は減っている。CO2に関しては残念ながら化石燃料と同じである。プラスティックストロー廃止をやろうとしている企業は次に何をするのかも示して欲しいものである。当然ブームに乗るだけの行動では無いだろう。多少高くても植物由来の生分解性プラスチックに替えるとかするのだろう。この現象がちょっと前の水を被るパフォーマンスのようでは企業の信頼も揺らいでしまう。
プラスティックストローの廃止は体の不自由な人が曲がるストローでないと飲めないという問題もあるようだ。多分紙製でも曲がるストローは何れ出て来るだろう。子供が初めてストローで飲んだ時のことを覚えている。最初は口に加えてブクブク吹くだけで上手く吸えない。吹くのではなく吸うのだと言葉や動作で教えるのは相当苦労する。その内試行錯誤で吸えるようにはなるのだが。曲がるストローにも思い出がある。ちょと曲げて渡してやると泣き出した。理由を聞くと僕のストローは壊れていると言う。確かに折れているようには見えるが、再び真っすぐのして渡すと泣きやんだ。
自然のものでは麦わらのストローも有り得るだろう。自分が子供の頃、ガキ大将の家に遊びに行くと縁側の日当たりの良い所に座ってお婆さんが何やら機織機の小型のような木工細工を前にして何時も何かを編んでいる。聞くと「さなだ」を編んでいると言う。後に分かったが麦わら帽子などに使われる真田紐のことだ。多分畑仕事に動けなくなってからはちょっとした内職だったのだろう。計算してみると若し生きていれば150歳くらいだ。ストローなど無かった時代だろう。
海洋汚染の象徴として廃ストローが取り上げられたのが最初だろうが、釣りも汚染の一因であろう。偶に大きい奴が掛ると針を切られて逃げられることがある。逃げられたこちらは残念だが魚は九死に一生である。ただ可哀そうなことにその魚は一生口に針が刺さったままである。もし漁師が網で捕まえたら釣りの残酷さが伝わり釣り禁止となるかも知れない。望みは鉄製の針だと何れ錆びて朽ち果てるであろうし、ステンレス製でも何れは錆びる。鉄の良い所は大変な強度がありながら何れ錆びて朽ち果てるところである。再生産にも繋がるし環境負荷も小さい。プラスティックはそうは行かない。冷静に考えれば、口に針が刺さったままこの先生きながらえることと漁師の網に掛って捌かれて食べられてしまうことのどちらが幸せなのかは魚に聞いてみるしかない。廃プラ問題は生態系への影響が問題なのか単に自然の景観上の問題なのか、何れにしても徹底的な回収と安全な処理方法を追求することが重要である。麦藁ストローも良いが舌を断面で切ることがある。経験上。