2015年7月17日、ドイツやイギリス(BBC)などの国々でも、1年前にウクライナで発生した旅客機MH17の撃墜事故を報道しています。
中でも目にとまったものは、事故直後に現地に入ったカメラマンに関するものでした。直後の写真が掲載されてはいましたが、それよりもその現場の壮絶さを語ったものです。人間のボディー(体)が散乱していると同時にその凄惨な臭気にも耐えられなかったとも表現されており、また、小さな女の子の遺体も横たわっていたそうです。(写真出典: BBC、DW-DE)
プロとして写真の撮影はしたそうですが、二度と見たくない・思い出したくない光景でもあったそうです。
このような悲惨な現場に立会いたくないことも事実ですが、事故(誤射?)も起こって欲しくないと切に願うものです。
乗員乗客の計298名の多すぎる・想像できない数の犠牲者に祈りを捧げたいと思います。多くの犠牲者を出したオランダを中心に、事故の核心に迫る努力をしているようですが、現場は親ロシア派が抑えている地域でもあり、証拠の誠実な保存がなされていたのかどうかも疑問の残るところです。
ロシアによるクリミア半島の強引な併合(プーチン大統領が後からそれを認めている)など、とても許されないことと考えています。ロシア国内にも民主的勢力はいて、こうした強引な手法を批判しているようですが、暗殺なども行われて口を封じられるようなことも行われているのではないかと疑われています。こうした非民主的な国家が現存していることも事実です。
他方、我が国日本の最近を俯瞰(ふかん)した場合、平和憲法の下、国民主権で、民主国家で、正当なる選挙で選ばれた議員たちが、国民の意志を反映した政策(法律)などを決定して、国民からの信頼に応えて、望ましい社会の実現に邁進しているのでしょうか?
現実の安倍政権の政策決定は、法案そのものにも大問題(違憲等)を有し、決定過程も不誠実な手法で聞く耳を持たず、歴史に学ぶどころか過去の過ちを繰り返す体制を目指しているのと同じです。
世界の各地で発生している武力衝突などの解決は容易なものではないでしょうが、だからと言って、武力による報復の連鎖や解決を試みることは、ただただ戦争を繰り返して、一般の・弱き立場の人々の多くを無念の死に至らしめるものです。
自分(私)も経験し、他の人もしばしば語っていることがあります。それは、人民レベルや個人レベルでは他国や異民族・異教徒の人たちと接しても、非常に親しく交流もできるし、義理堅く且つお互いに親切であることも事実なのです。
しかるに、政治とか国益とかを論じるレベルになった時に、話し合いによる解決ではなく武力(戦争)に物を言わせるヤカラが出てくるのです。これは昨今も問われている外交力・交渉力、そして日頃からの意思疎通などの不足・欠如がもたらしていることでしょう。
話し合いで解決するものです。中には段階を経て、時間をかけて歩み寄って行くものもあるでしょう。一朝一夕に解決できるわけではないでしょうが、真の平和的な手法で臨むことが必須です。
宗教問題が絡んでいることもあるかと思いますが、異教徒そのものを認めないと言うことについても、調停者が介在するなどして互いの文化や宗教も排他的ではなくて認め合うように導く必要があるのでしょう。
最初から諦めるのではなく、それこそ一国を代表するような人物であれば、通常は尊敬を得られている筈ではありませんか?(通常は!) だとすれば、そうした恵まれた・可能性のある立場の「人」が、そうした仲介・調停をすべきなのではないでしょうか。
こうしたことが実力と共にできる人物が真のリーダーであって欲しいものです。
中でも目にとまったものは、事故直後に現地に入ったカメラマンに関するものでした。直後の写真が掲載されてはいましたが、それよりもその現場の壮絶さを語ったものです。人間のボディー(体)が散乱していると同時にその凄惨な臭気にも耐えられなかったとも表現されており、また、小さな女の子の遺体も横たわっていたそうです。(写真出典: BBC、DW-DE)
プロとして写真の撮影はしたそうですが、二度と見たくない・思い出したくない光景でもあったそうです。
このような悲惨な現場に立会いたくないことも事実ですが、事故(誤射?)も起こって欲しくないと切に願うものです。
乗員乗客の計298名の多すぎる・想像できない数の犠牲者に祈りを捧げたいと思います。多くの犠牲者を出したオランダを中心に、事故の核心に迫る努力をしているようですが、現場は親ロシア派が抑えている地域でもあり、証拠の誠実な保存がなされていたのかどうかも疑問の残るところです。
ロシアによるクリミア半島の強引な併合(プーチン大統領が後からそれを認めている)など、とても許されないことと考えています。ロシア国内にも民主的勢力はいて、こうした強引な手法を批判しているようですが、暗殺なども行われて口を封じられるようなことも行われているのではないかと疑われています。こうした非民主的な国家が現存していることも事実です。
他方、我が国日本の最近を俯瞰(ふかん)した場合、平和憲法の下、国民主権で、民主国家で、正当なる選挙で選ばれた議員たちが、国民の意志を反映した政策(法律)などを決定して、国民からの信頼に応えて、望ましい社会の実現に邁進しているのでしょうか?
現実の安倍政権の政策決定は、法案そのものにも大問題(違憲等)を有し、決定過程も不誠実な手法で聞く耳を持たず、歴史に学ぶどころか過去の過ちを繰り返す体制を目指しているのと同じです。
世界の各地で発生している武力衝突などの解決は容易なものではないでしょうが、だからと言って、武力による報復の連鎖や解決を試みることは、ただただ戦争を繰り返して、一般の・弱き立場の人々の多くを無念の死に至らしめるものです。
自分(私)も経験し、他の人もしばしば語っていることがあります。それは、人民レベルや個人レベルでは他国や異民族・異教徒の人たちと接しても、非常に親しく交流もできるし、義理堅く且つお互いに親切であることも事実なのです。
しかるに、政治とか国益とかを論じるレベルになった時に、話し合いによる解決ではなく武力(戦争)に物を言わせるヤカラが出てくるのです。これは昨今も問われている外交力・交渉力、そして日頃からの意思疎通などの不足・欠如がもたらしていることでしょう。
話し合いで解決するものです。中には段階を経て、時間をかけて歩み寄って行くものもあるでしょう。一朝一夕に解決できるわけではないでしょうが、真の平和的な手法で臨むことが必須です。
宗教問題が絡んでいることもあるかと思いますが、異教徒そのものを認めないと言うことについても、調停者が介在するなどして互いの文化や宗教も排他的ではなくて認め合うように導く必要があるのでしょう。
最初から諦めるのではなく、それこそ一国を代表するような人物であれば、通常は尊敬を得られている筈ではありませんか?(通常は!) だとすれば、そうした恵まれた・可能性のある立場の「人」が、そうした仲介・調停をすべきなのではないでしょうか。
こうしたことが実力と共にできる人物が真のリーダーであって欲しいものです。