「サッカー文化フォーラム」夢追い人のブログ

1993年のJリーグ誕生で芽生えた日本の「サッカー文化」。映像・活字等で記録されている歴史を100年先まで繋ぎ伝えます。

相手をリスペクトしながらも決して手を抜かなくなった日本代表チーム

2021年05月30日 14時27分19秒 | サッカー日本代表
カタールW杯アジア一次予選、モンゴル戦の14-0を経て、一昨日5月28日、ミャンマー戦を10-0で勝ち、最終予選進出を決めました。
この2試合を見ていて、日本代表の進化を実感しました。2試合連続二桁得点といい、ここまでアジア一次予選すべて無失点といい、日本チームとして決して手を抜かず最後まで戦い切った結果だと思います。

得点経過も前後半、攻めあぐねたりミスでチャンスをつぶして得点のない時間がしばらく続くといったことがなく、それこそ、満遍なく得点し続けていましたし、守りも、これまで、ありがちだった前後半終了間際の失点といった、ふっと気が抜けたような時間帯を作ることなくキッチリと試合を終わらせていました。

つまり数年前までありがちだったことが影をひそめ、とにかく粛々と試合を進める、相手をリスペクトしながらも決して手を抜かないといった姿勢は、明らかに日本代表が新たなステージに入っていることを実感させます。

では、どうして進化したのでしょう。おそらく二つの要因があると思われます。
一つは、日本代表を構成する多くの選手が海外クラブで日々の試合を戦っていることによって身に着けているメンタリティから来ていると思います。なんだかんだ言ってもJリーグの中だけの経験では、甘えが抜けきれないと思います。
Jリーグでは絶対的レギュラー、チームはもちろんJリーグを代表する選手ともなれば、少し手を抜いても十分通用することでしょうし、何も問題ないことが多いと思います。

ところが海外でプレーをし続けるということは、決して気が抜けない状況を継続することにほかなりません。決して気が抜けないレベルの中で試合に出るチャンスを勝ち取っていかなければならない。いま日本代表を構成する選手たちというのは、そういう環境の中に身を置いている人たちですから、おのずと自分に厳しく、決して役割を軽々しく考えたりしないメンタリティを身に着けています。
「日本選手は海外経験を積んだほうがいい」と言われる核心部分が、このメンタリティの形成にあると思うのです。それが、一人二人の選手の時代から、数人の時代を経て、いまや全員が海外でプレーする日本代表の時代になって、とうとう、そういうメンタリティを備えた人たちのチームになっていると感じるのです。

もう一つの要因は、競争の激しさです。昔は日本代表の各ポジションの中で、半数以上のポジションが絶対的レギュラーによって固められ、競争の激しいポジションはごく限られた数でした。絶対的レギュラーのいるポジションの控え選手は、そのレギュラーが故障離脱でもしない限りは出番がほとんどないという時期が長く続きました。

しかし、今はすべてのポジションで高いレベルの選手が複数いるという競争の激しい代表チームになっています。ポジションによっては、ちょっとコンディション調整を間違えると、控えどころかベンチ外にすぐなりかねない激しさです。
そういう中で選手たちは、常に自分を律して試合に出られる準備をして、仮に出られなくても自分の役割を考えてチームに貢献するといったワンチームの一員としての自覚も求められます。

いまや日本代表チームは、W杯で決勝トーナメントの1回戦から次のステージに抜け出そうという状況にあります。結局のところ、それができるチームというのは、どんな試合でも相手をリスペクトしながらも決して手を抜かない試合を積み上げた歴史の長いチームということになるのではないでしょうか?

今回の2試合を見て、私は、W杯決勝トーナメント1回戦で壁に阻まれ続けてきたチームが、次への進化を遂げたのではないかと感じました。
いまアジアのレベルは格段に高くなっていて、W杯本大会出場への道のりも困難なものとなるに違いありません。けれども、日本代表チーム、それを構成する選手たちもまた、決して楽ではない戦いを勝ち抜いていけるたけのメンタリティを身に着けつつあるのではないかと思うのです。
そう感じさせられた2試合でした。

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