「サッカー文化フォーラム」夢追い人のブログ

1993年のJリーグ誕生で芽生えた日本の「サッカー文化」。映像・活字等で記録されている歴史を100年先まで繋ぎ伝えます。

朝ドラ「らんまん」の余韻で、滝沢馬琴の生涯を少し知り、大きな刺激を受けました。

2023年10月09日 20時23分51秒 | テレビ番組
朝ドラ「らんまん」が終わって、次のドラマが始まっていますが、本日たまたま見た別のテレビ番組は、朝ドラ「らんまん」の余韻が見させてくれたものでした。
NHKのEテレチャンネルで「偉人の年収How much」という番組があります。夜7時30分からの番組で、普段はまったく見ない番組です。夕食時の時間で、家族と食卓を囲み談笑するかテレビを見るという時間帯です。

今夜は、談笑も一段落で、テレビのチャンネルをいろいろ回していても何も見るものがないという感じでEテレチャンネルを回したら「偉人の年収How much」で「江戸の作家 曲亭馬琴」を取り上げていたので見たといういきさつです。

曲亭馬琴というのは、確か滝沢馬琴のことだよなぁ、滝沢馬琴といえば「南総里見八犬伝」だよなぁ、「南総里見八犬伝」といえば朝ドラ「らんまん」のヒロイン、つまり万太郎の奥さんである寿恵子が夢中になって読んでいた、当時の人気小説だよなぁ、と頭の中でつながり「じぁ、見てみようか」ということになったのです。

当ブログでも、9月11日の書き込みで「寿恵子は「私の愛読書である滝沢馬琴先生の南総里見八犬伝は、全98巻、106冊の大著です。滝沢先生は、それをやり遂げたからこそ、皆が喜んで愛読しているのです。未完ではダメです! 必ずやり遂げてください。」と迫ったのです。」と書きました。

それを思い出したのです。「偉人の年収・・」は、その人が、人生の節目節目でどれぐらいの年収を得ていたかを推定するというバラエティ仕立ての番組ですが、私が驚いたのは滝沢馬琴の晩年の凄まじい創作にかける執念でした。

万太郎の奥さんの寿恵子さんは「南総里見八犬伝は、全98巻、106冊の大著」と言っていましたが、それは28年もの歳月をかけた作品であるばかりでなく、晩年、次第に目が悪くなり、ついには75歳で失明してしまったにもかかわらず、創作をあきらめずに取り組んだ末の作品だったのです。

失明してしまった滝沢馬琴が思いついたのは、早くに病死した息子の妻・お路(みち)に口述筆記してもらうことでした。とはいえ、小説家の紡ぎ出す文章表現を文字に起こす作業は、素人が簡単にできる作業ではないと思います。お路(みち)という人も馬琴本人も、かなり忍耐と寛容な気持ちがないと続かなかったと思いますが、馬琴は完結させたのです。

朝ドラの中では、万太郎の奥さん・寿恵子さんは、滝沢馬琴がそのような困難を乗り越えて完成させたのです、とは言っていませんでしたが「未完ではダメです! 必ずやり遂げてください。」と迫ったのは、滝沢馬琴が乗り越えた困難も、それを助けたお路(みち)という人の存在も知っていたからに違いなさそうです。

滝沢馬琴は、結局82歳まで創作活動を続けた人で、当時とすれば、かなりのご長寿です。現代なら100歳を超えてなお、ということだと思います。しかし、失明をして、歯も甘党だったせいで総入れ歯になるほどのハンディを負いながら、よくも長生きできたものだと感心してしまいます。

「らんまん」の主人公・槙野万太郎のモデルとなった牧野富太郎博士が図鑑を完成させたのは78歳になった時だそうです。何事かを成し遂げなければという目標と強い意思を持つことで、人は病魔も遠ざけ、強く長く生きることができるのではないかという希望を、この二人は感じさせてくれます。

当「夢追い人」も、何事かを成し遂げなければという作業の途中経過にあり、まだまだ先が見えて来ない段階です。マラソンの42.195kmのうち、5km地点ぐらいなのかも知れません。

それでも、先人たちの人生に刺激を受けながら日々こつこつと続けて行きます。朝ドラ「らんまん」の余韻で知った滝沢馬琴の生涯からも、大きな刺激を受けました。


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