「サッカー文化フォーラム」夢追い人のブログ

1993年のJリーグ誕生で芽生えた日本の「サッカー文化」。映像・活字等で記録されている歴史を100年先まで繋ぎ伝えます。

また一つ「Jリーグオリジナル10」の灯、名古屋が消える? 

2016年07月25日 12時43分45秒 | Jリーグ・三大タイトル

Jリーグオリジナル10というのは、1993年にJリーグがスタートした時の参戦チームを呼ぶそうです。私はそのチームを「オリジナル」と呼ぶことに違和感を持っていて、過去にこの欄でも書き込んだことがあります。

むしろ「ファースト10」とか「スターティング10」と呼んで欲しいわけです。

それから23年間、一度もJ1から陥落したことのないチームは、徐々に減って鹿島、横浜M、名古屋の3チームだけになってしましました。

そして今年を終える頃には、おそらく名古屋のJ2陥落が報じられることでしょう。名古屋の純粋なサポーターの方からは「何と言うことを言うのだ、『サッカー文化フォーラム』はけしからん」とお叱りを受けそうです。もし、名古屋が残留を果たしたならば、その時はキチンとお詫び申しあげるつもりです。

けれども、今月中に名古屋の監督交代が決まらなければ、残留は難しいのではないかと思います。やはり物事には潮時とかリミットといったものがあるわけで、その最後の時期が「いま」ではないかと思うのです。

正直、先週土曜の後期5節終了後、名古屋から「監督交代」のニュースリリースがあるのではないかと、昨日、今日ネットを注視していますが、まだ、そのニュースは見ていません。

最近では、2012年シーズンのG大阪、昨シーズンの清水、そして今年は「名古屋よ、お前もかぁ」という感じです。

名古屋は2013年シーズン終了後、ストイコビッチ監督がチームを離れてから、また、昔の緩いチームに逆戻りしてしまったようです。2014年に西野明監督が就任して、優勝争い常連のビッグクラブへの道を歩むのではないかと期待していましたが、G大阪をそういうチームに育て上げた西野監督をしても「名古屋の緩さ」を打破できなかったようです。

では「名古屋の緩さ」とは何なのでしょう?「名古屋の緩さ」を形作っている要素は一つ、二つではないのだと思いますし、多かれ少なかれ他のチームにも言える部分があるかも知れません。

しかし、いまやJ1リーグ18チーム、世界で最も力の差が接近しているリーグと言う評論家もいるほど紙一重の戦いを演じているリーグでは、クラブ経営陣、監督を中心とする現場、そして選手の3本柱の一つでもガタガタの部分があれば、前年優勝争いしていたチームでさえも降格してしまうのが現実です。

今年の名古屋は3本柱のいずれもがダメになっていると言わざるを得ないでしょう。

世界ナンバーワン企業・トヨタに支えられた潤沢なクラブ資金を、クラブ強化に結び付けられないという昔からの悪癖が抜けていないという点も「緩い」ですし、「おらが街のチーム」という地元の熱いサポートを受けているが故に、選手が実力以上に「スター気分」「タレント気分」になっていく土地柄も「緩い」の一言でしょう。

そして監督としての力量云々より「チームの功労者」であることを監督選定の条件のようにしているクラブ経営陣の考え方も「緩い」そのものです。

実は、名古屋グランパスについては、過去2度ほど、この欄で触れたことがあります。かれこれ3年ほど前になりますが、クラブに対する心配と期待は、その当時と少しも変っていないので、ここで再録してみたいと思います。

一つは2012年12月13日の書き込みです。タイトルは「HDD化作業は、半年で400本を達成です」

これは、当時作業していた、1993年Jリーグ全試合ビデオの、HDD変換収録作業の中で、試合画像を見ながら思った、同年のリーグ戦についての書き込みです。

以下のとおりです。 

1993年シーズンの、チームの強さ弱さを分けた要因は何か、それを考えてみると「監督力」に行きつき、特に外国人監督もしくはヘッドコーチにプロサッカーの世界を制する力量の差を見る思いがしました。

(中略)

この年、名古屋が年間12勝24敗、浦和が年間8勝28敗ということで、年間1位チーム、2位チームの勝ち数、負け数とほぼ逆の結果でした。この2チームは監督の力量とチーム戦力、両方とも相当劣っていたということになります。

なにぶんJリーグ初年度。どの程度のチーム作りで臨めばいいのか手探りだったのだと思います。けれども、浦和、名古屋ともJリーグ屈指の資金力を誇るチームです。外国人監督を招へいしたり、実力ある外国人選手を呼ぶことは可能だったのですが、特に浦和はJリーグに参戦するにあたってのチーム作りを、監督人選も含めて読み誤ったということでしょう。なにぶん名門と言われたチームです。順送りで功労者を監督に据えていかなければOBが黙っていないといったタイプのチームだったことが、初年度の結果を招いたのだと思います。

以上のように書いています。1993年シーズン、浦和はクラブOBの森孝慈氏、名古屋は日本サッカー界の重鎮・平木隆三氏が監督を務めています。長丁場のリーグ戦を戦った経験という点では、ほぼ未経験の監督を据えたわけです。

今シーズンの名古屋・小倉監督、トップチームの指導経験なしに、いきなりの監督就任でした。クラブOBの功労者だからという理由なのでしょうか?

小倉隆史氏、選手時代は「モンスター」と呼ばれ1993年のJリーグ開幕の喧騒を見ることなくオランダに戦いの場を求めた日本サッカー界の期待のストライカーでした。

けれども、1995年2月のオリンピック代表候補合宿で大けがをしてしまい、アトランタ五輪もフランスW杯も出られずじまい、そして付いた代名詞が「悲運のストライカー」でした。私も2002年日韓W杯まで復活を信じて応援してきました。

選手引退後はTBSのサッカー番組「スーパーサッカー」のレギュラーを務めるなど、選手時代の悲運さを微塵も感じさせない明るいキャラクターが人気でしたが、今シーズン、いきなり監督就任のニュースが流れた時には驚きました。

彼のキャリアにキズがつかなければいいが、と思ったものです。まぁ、どちらかと言えば、自ら成績不振の責任を取る形で辞任を申し出て欲しいと思っています。

書き込みのもう一つは20131010日のものです。タイトルはNHK-BS ドキュメンタリー『宿命のライバル・マドリッドVSバルセロナ』に想う」です。

これは、前日に放送されたNHK-BSで「宿命のライバル・マドリッドVSバルセロナ」という番組を見て、日本サッカーにおける宿命のライバルはあるのか、ないのか? 将来、そう呼ばれるとしたら、それはどのチームか? といった興味で書き込んだ時のものです。 

以下のとおりです。

日本には、(レアル・マドリッドVSバルセロナのライバル関係はもちろんのこと)イタリアの各ダービーに匹敵するほどのライバル関係すら見当たらないから、むしろ、これからの長い歴史の中で、そういうチーム同士が生まれてくるかどうかというところだろう。 

Jリーグ20年の歴史をリードしてきたのは鹿島である。鹿島にはジーコという伝説となったシンボルがある。この先Jリーグで、ナショナルダービーと呼ばれるような関係が生まれる場合、今後20年ぐらいの中で、鹿島と同程度の実績をあげるチームが出ることが一つの条件になる。しかも、そのチームを強くしたカリスマが出ることも必要だろう。 

その場合、今後20年間、鹿島は、そのチームの後塵を拝することになるが、その後、覇権を奪回する時期が到来したら、その時一つの関係が生まれるに違いない。20年後、鹿島ともう一つのチームが激しく覇権を争う時代が来たら、それは立派なライバル関係と言えるだろう。 

10年前、鹿島と磐田が交互にJリーグ王者に就いた時期があったが7年で終焉した。磐田が、誰かの力によって復活して、ふたたび鹿島を凌駕する時代が来たら、というのも一つの楽しみだ。 

Jリーグでもう1チームあげるとしたら名古屋であろう。名古屋は、この20年でストイコビッチ(ピクシー)というカリスマを得た。そのストイコビッチはチームを離れることとなった。これまでのところ、チームにピクシーイズムといったものが植え付けられたようには見えない。また、ストイコビッチによって「名古屋のサッカー」といったものが確立したようにも思われない。

 もし、ストイコビッチが去ったのち、名古屋にピクシーイズム、名古屋のサッカーなるものが現れ出て鹿島を凌駕する時代を築いたら、という楽しみがないではない。なにしろ、名古屋は1993年5月16日の両チームにとっての歴史的なJリーグ第1戦、ジーコのハットトリックを含め5-0という屈辱的大敗を喫した試合からリーグの歴史がスタートしている。永遠のライバル足りうるドラマ性をはらんだチームなのだ。

以上です。

2013年10月の頃は、名古屋に対して大きな期待を持っていました。ストイコビッチが監督としてリーグ優勝にも導き、その後も優勝争いの常連になるのではという期待を抱かせた時期だったからです。

その名古屋に、長期的に見て「Jリーグの宿命のライバル」と呼ばれるチームの一翼を密かに期待したのですが、どうやら「勝者のメンタリティー」も「ピクシーイズム」もチームに根付いていなかったようです。

今年、ここまで来てしまった以上、あとはチームをどう立て直すかでしょう。G大阪が2012年に危機的状況に陥ったあと、見事にチームを立て直し、いまはもう、あの傷も癒えつつあるのではないかと思えるほどの回復ぶりです。

仮に名古屋がJ2に陥落しても、それはそれでしょう。大事なのは、そこからどう立て直すかです。これも前に触れたことですが、J2に陥落しても1年ですぐ戻ってきたチームは、その後、心配ないチームになっています。 浦和、広島、G大阪がそうです。

けれども1年で復帰を果たせなったチームのその後は厳しいです。ヴェルディ川崎(東京)、ジェフ市原(千葉)です。 今年J2を戦っている清水も正念場にいます。

いま名古屋には、さまざまなシミュレーションをしながら今年後半から来年に向けて、しっかりとした立て直しの青写真を描くことが求められていると思います。

今回は、以前の書き込みからの引用も交えましたので大変長くなってしまいました。

 

 


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« Jリーグ放送権ビッグバン | トップ | サッカー専用スタジアム、実... »

コメントを投稿

Jリーグ・三大タイトル」カテゴリの最新記事