「サッカー文化フォーラム」夢追い人のブログ

1993年のJリーグ誕生で芽生えた日本の「サッカー文化」。映像・活字等で記録されている歴史を100年先まで繋ぎ伝えます。

サッカー文化アーカイブ、まだ道筋が見えません

2014年08月08日 13時49分09秒 | FIFA、サッカー協会

ブラジルW杯が終わって約1ケ月、祝祭のあとの虚脱感も少しづつ薄れ、世界も日本もサッカーシーンは、次々と新たなニュースを発信し続けている。

そんな1ケ月の中から、面白かったこと、凄いと思ったことなど幾つか忘備録にしたい。

①C・ロナ、ネイマール、相次いで来日、フジテレビだけが出演番組独占。これには驚いた。いまをときめくスーパースター3人の中で、来なかったのはメッシだけ。2人も相次いで来日するなんて、どうしちゃったの? という感じ。

かつて経済大国と呼ばれた時期に、似たようなことがあった気がして、嬉しいやら、いつか来た道? と思ったり複雑だった。それにしてもフジテレビの、しかも安藤優子さんのスーパーニュースに2人相次いで出演した。これにも驚いた。

②C・ロナは、とんねるずの「新・食わず嫌い王決定戦」に出演した。その時のノリさん(木梨憲武さん)のデジカメ・ツーショット撮影が笑えた。そういえば、ノリさんの、これまでのツーショット履歴は、相当な数ではないだろうか? 来日したサッカー界のスーパーな人たちを辿れるという意味で、ノリさんのツーショット写真は、そのまま展覧会ができるのではないかと感じた。

当方の「サッカー文化フォーラム」という施設が実現した暁には、ぜひ企画展をさせていただきたい。

③日本代表監督にアギーレ氏が決まったことに関連して、日本サッカー協会のあまりに自己保身主義なやり方を、いろいろな人たちが舌鋒鋭く批判している。日本サッカー協会は、まだサッカー界のジャーナリズムだけの間で批判されているうちは、いくら言われようが痛くも痒くもないそぶりだ。

日本サッカー協会の最上層部にいて、多額の予算を仕切り、何事も自分たちが決めれる立場にいる快感は、一度握ったら手放したくないし、後は自分の息がかかった連中に譲って恩を売れることを考えれば、それ以外の連中には入り込んできて欲しくない、そう思うのが一握りの協会貴族の心理だし、そこまでに内部で激しい派閥抗争も繰り返した結果の、勝利者たちの態度だから、始末が悪い。

なにせ、世界の総本山たる国際サッカー連盟自体が、一握りの権力者による私物化のお手本のような状態なのだから、日本のありさまなんか、かわいいぐらいのレベルかも知れない。

それにしても、私たちはサッカーというスポーツ自体の限りない素晴らしさを楽しむ一方で、こうした問題への無力感にさいなまれながら日々を過ごさなければならない。なんとも悲しい背中合わせの心情を抱いてサッカーの世界と向き合っている。

④インターナショナルチャンピオンズ杯という名称の、プレシーズンマッチにしては豪華な顔触れの大会が行われた。アメリカでの開催とのことで、これも経済力のなせる技であろう。私たちにとって嬉しいのは、本田圭祐、香川真司、長友佑都各選手の所属チームが参加して、それぞれの選手が同じピッチに立つ場面が見れたということ。

このあと、シーズン開幕までのあいだに、香川真司と本田圭祐は移籍可能性もあるので、貴重な試合になる可能性もあるからだ。各選手の出来不出来という議論もあろうが、私はそんなことは抜きにしている。

ちなみに、あとで、参加したチームの名前が出てこないのでは残念なので、書いておくと、マンU、リバプール、マンC、レアル・マドリー、ACミラン、ASローマ、インテル、オリンピアコス。

これに、バルセロナ、チェルシー、バイエルン、ユベントスが加わるとしたら、セリエAから1~2チームとオリンピアコスが退席しなければならないかも。

以上が、この1ケ月のまとめだ。

さて、私は、というと、「夢はあきらめたその時に終わってしまう。決してあきらめずに夢を追い続けることが、夢を叶えるための絶対条件」という言葉を胸に、今日も生きていて、明日も生きていく。そんな日々だ。

この1ケ月の中で、2つのアプローチを試みている。

一つはもう答えが出た。それは、日本国内に「サッカーミュージアム」という名称がついている施設はごく僅かしかないのだが、その中の一つに対してアプローチした結果の答えだ。

そのミュージアムは、私の目には、なんとももったいない施設に映っている。せっかくこれだけの施設でありながら、知る人ぞ知るといった感じの、ひっそりとした施設だ。

これほどの施設であれば、いろいろな企画展が開催できる。私の保有するサッカー情報資源を、いろいろ加工して、楽しいサッカー展示企画ができる、かねて、そう考えていたことから、その施設の管理者である団体に、「私を、その施設の学芸員のような立場で働かせていただけないだろうか? もちろん個人として報酬を得ようとか、イベント企画会社のようにコンサル料を出して欲しいという趣旨ではなく、自分がこれまで収集・収録してきたサッカー情報を活用して多くの人々に楽しんでもらいたい、そういう場が欲しいので使わせて欲しい」と要望した。

この場合、一つだけ施設側に希望したのは、例えば、ある企画テーマの展示会を実施するとなれば、パネルを作成したり、資料を拡大コピーにしたり、いわば展示物作成の予算が必要なこと、そして展示会について多くの人に知らせる何らかの宣伝が必要になる。その面倒を見てもらいたいという希望だ。

最初に郵便で資料を同封して趣旨説明文を送り、そのあと電話をさしあげて、あらためてお願いしてみた。

結果はバツだ。いろいろ施設側のご事情もお聞きした。少なくとも、同じことを同じ窓口の方に再度お願いしてみてもダメだろうと思うので、このアプローチは一旦終了と考えなければならない。先方の窓口の方が、当方の資料を別の方に見せる機会があって、その方が「面白いプランだから、ぜひ話を進めよう」とでも言ってくれない限り無理だろうし、そんなことを期待すること自体、妄想だろう。

一つの答えが出たのだから、次に進まなくてはならない。

たまたま、今月、大阪・神戸に出かける予定が発生した。大阪・神戸で思い当たるのは「日本サッカーアーカイブ」というwebサイトだ。5年近く前、このサイトを知り「考え方は私と同じだ」と感じた。ただ、このサイトは、私が扱っているJリーグスタート以後の時代ではなく、ちょうど、その前までの時代を網羅しようとしているサイトだ。

5年近く前はそう考えていたが、まてよ、という気がする。Jリーグ以前の時代とJリーグ以後の時代を合体できれば、それこそ時代が線でつながるのではないか、と。

なぜ、そう考えるようになったかというと、アーカイブ作業は、どこかの時代だけを切り取って終わるのではなく、過去、現在、未来をアーカイブというキーワードで線として繋ぐことで意味があるのであり、どこかの時代を手がければ、それは第一走者か第二走者かという順番の違いなのであり、駅伝のように未来に向かってタスキをつないでいくことが大切だと気がついたからだ。

それこそ、私は「アーカイブ作業は100年先のサッカーファンに100年前のサッカー文化を生き生きとした内容で伝えるためにやるもので、私はその第一走者、これから引き継いでくださる方が第二走者、第三走者になっていただくことです」と申しあげているが、神戸で、これまで手がけてこられた方が、実は第一走者、第二走者であり、私は、第三走者という感じなのだ。

このことについて、今度の大阪・神戸出張の際に、アプローチを試みたいと思っている。結果がまたバツになるか、何か新しい局面になるか、またご報告したい。


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