「サッカー文化フォーラム」夢追い人のブログ

1993年のJリーグ誕生で芽生えた日本の「サッカー文化」。映像・活字等で記録されている歴史を100年先まで繋ぎ伝えます。

日独交流展トークショーの後半だけ拝聴してきました。

2015年12月23日 18時30分17秒 | サッカー文化
今日、12月23日、お茶ノ水のJFAハウスにある「日本サッカーミュージアム」主催の日独サッカー交流展トークショーが行われました。
プログラムは3本立てで、①ショートフィルム上映、②賀川浩さんの講演、③トークショー(司会・木崎伸也さん、出演・祖母井秀隆さん、奥寺康彦さん、高原直泰さん)という内容でした。

午後2時30分開会のところ、私は、買い物などをして遅れ3時20分頃に入りました。すでに賀川浩さんのご講演も終わり、トークショーに入っていました。

ですから想像するしかないのですが、時間配分からみて賀川さんのご講演は30分から40分程度だったのかもしれません。

賀川さんのお元気な、そして、いつもながらの軽妙洒脱なお話しを聞き逃したのは後悔に値します。

トークショーは、おそらく始まってそれほど経過していなかったと思いますが、途中からでも十分有意義なものでした。

テーマは「日本サッカーの今~ドイツがもたらしたもの」という研究論文のようなタイトルでしたが、奥寺さんは日本人第一号海外移籍選手としてのご苦労やドイツサッカーがご自分を成長させてくれた話し。

祖母井さんは指導者として、あるいはクラブフロントとしてドイツサッカーから感じたこと、それ以上にドイツ社会全体に根付いているサッカー文化、いやスポーツ文化の深さを感じ、日本社会に対して発信したい話し。

高原さんは、現役選手目線で感じたドイツサッカーと日本サッカーの違いなどの話し。

それぞれ、ぶっつけ本番でしょうけれど的確なお話しで、感銘を受けました。

私が特に強く印象に残ったのは、最近奥寺さんがブンデスリーガの試合を見にいった時、スタジアムが満員になっていた時の話しでした。

旧知の人に「なぜこんなに観客が入るんだ」と聞いても「自分にもよくわからない」と言われたそうで、それでも試合が、一瞬たりとも目が離せないスピーティさと、攻守が一瞬にして変わるスリリングさで、答えがそのあたりにあるのではないかと感じたそうです。要するにサッカーを観戦するのは楽しい、感動する、価値がある、といった、お客さんが来たくなる試合であることに理由があるのだろうと思います。

「なぜ観客が満員になるのか」、この願望にも似た課題がJリーグでも達成されるためには、さまざまな要素が満たされなければならないだろうと思います。つまりJリーグの試合が感動の連続で、また来たくなるようになるためには、単に選手たちの頑張りだけが必要なのでなく、いろいろな要素が満たされる必要があるということです。

そのすべての要素を満たして、いまブンデスリーガは栄華を誇っているといっていいでしょう。

その要素をすべて列挙するのは大変ですが、少なくとも主要な要素はあげられます。
それらを挙げて、少しコメントをつけてみたいと思います。以下、私の独白になりますので「です」「ます」口調でないことをお許しください。

①なんといっても祖母井さんが指摘された「サッカー文化」「スポーツ文化」の厚み、奥深さでしょう。具体的にどういうことか、祖母井さんは二つのことを指摘しておられました。一つはサッカーもスポーツも、チームにいて試合に出られないなどというケースがないということ。

日本はどうか、小学校レベルで全国大会があり、トーナメントを勝ち上がるために試合に出られる子と出られない子が出る「サッカー文化」「スポーツ文化」の中で少年から青年、大人へと成長していく。出られなかった子に将来にわたってサッカーファンであることを求めたら酷というものだろう。ドイツには全国大会などないと。

もう一つの指摘、それはメディアが社会に対して発信するスポーツ情報の薄っぺらさ、祖母井さんは今年のラグビーワールドカップの日本代表の活躍を例にあげておられました。

ラグビーもサッカー同様、社会全体に通じるいろいろなスポーツ精神を持っていて「One for All, All for One」「スクラムプレー」「ノーサイドの精神」など、社会全体に発信して欲しい絶好の機会だったのに、五郎丸選手のポーズばかりを話題にするといった薄っぺらさを指摘しておられました。

そもそもテレビ局自体が少年サッカーなどの全国大会を主催していることもあって、試合に出られない子が出る現状を憂えるはずがない。ラグビーの持つ素晴らしい魅力、サッカーの持つ素晴らしい魅力などを論じていては視聴率に響くといったメディア風土、これが現状だと思う。

サッカー文化、スポーツ文化を分厚く、深みのあるものにするためには、サッカーなら当事者であるJFAなどの幹部が、愚直にメディアに対して働きかけていかなければならないと思う。

Jリーグ草創期、川淵チェアマンが自ら広告塔となって、それこそ愚直にサッカーのもつ素晴らしさ、サッカーのプロ化によって進めたいスポーツ文化の醸成について、語ってくれたが、いま、それをどなたが引き継いでいてくれているのか、どなたも「私です」と言える方はいまい。

メディアに対して発信を愚直に続けなければ、メディアはサッカー文化を、スポーツ文化を深みあるものとして評価してはくれない。

②サッカー、特にJリーグに対する企業スポンサーの支援の問題も大きいと思います。ドイツの強み、これはヨーロッパ全体に言える強みですが、大企業の本社が地方にも数多くあるということです。

それはなぜか、いままさに日本で言われている「地方創生」と関係してくるのですが、日本の企業本社があまりにも東京一極に集中しすぎています。これには日本の事情があって、企業活動の原則である最適経済の論理から言えば当然ということになり、地方にいたまま世界的企業を目指そうとするのは、かなり勇気がいることです。

それでも、名古屋グランパスのメーンスポンサーが愛知県のトヨタであり、ガンバ大阪のメーンが大阪府のパナソニックであり、サンフレッチェのメーンが広島県のマツダなど、決して地方に本社を置く大企業がないわけではありません。

しかし、Jリーグ10チームの時代から、いまやJ3まで50近いチームに膨れ上がった中で、地方の弱い経済力でチームを支援していくには限度があります。

いまの時代に企業スポンサーの支援をどう厚くして、チーム予算を多くして育成、補強、施設整備などを充実していくか、ここの部分で抜け落ちている視点があるように思います。

それは、鹿島アントラーズを支援する新日鉄住金、浦和レッズを支援する三菱自動車の形をもっともっと取り入れるべきだと思うのです。

つまり、本社がその地域にあるわけでなくとチームの支援をしてもらえるという視点です。鹿島アントラーズの新日鉄住金は、住友金属単独だった時代から、鉄鋼業界のグローバル競争の中で合併があり支援が厳しい時代があったはずです。

浦和レッズは、とにかく弱い時代が続き三菱自動車にとって支援が厳しい時代があったはずです。しかし、いまはJリーグを代表するクラブです。

例えば山形、例えば甲府、例えば湘南、あげればキリがないほどクラブ予算が厳しいチームが多い現状です。それを各クラブの問題、各地域の問題として放置しているところに日本の進歩が止まっている原因があります。

やはりJFAあるいはJリーグが全体として大企業からの支援を求める取り組みをしていかなければならないと思います。国レベルで「政労使会議」とか「政府と経済界の対話」といった場が持たれているのをヒントとすべきです。

JFAが経済界と定期的に話し合う場を作り、鹿島のような、浦和のような形で大企業が地方のチームを支援する機運を高めていくべきです。

③これは日本的風土からくるサッカースタイルの部分です。トークショーでも話題になっていました。海外で活躍する選手たちが集まって代表チームになると、なぜか十分に力が出せない場合が多いと。

登壇者に共通していたのは、海外のチームの中で、日本人選手が果たすべき役割が割とはっきりしていて、それをキチンとやっていると周りの選手たちがこれに応えるように動いてくれる。しかし代表に戻ってくると、クラブでやっていた役割で仕事をしても、周りとかみ合わないことが多い、それでチームとして機能しないのだろうと。

最近のフル代表チームでは、選手たちが臨機応変に修正しながら、かみ合うようにしていく努力を覚えてきた、いわば学習効果が出ているように思うが、五輪代表あたりのレベルだと心配だ。

日本的風土からくることとして、あげられるのは、ゴール前にいるのにシュートをなかなか打たないとか、打ったシュートが、どういう意図で打ったのかわからない、つまりキーパーやDFのいないところにコントロールして打とうとしたのか、それともキーパーやDFの体にあたっても弾き飛ばすぐらいのボンバーシュートのつもりだったのか、それともDFやキーパーを抜き切って無人のゴールに流し込もうとする意図だったのか、やっとシュートを打ったと思っても、意図のわからないシュートで終わることが多いといった問題だ。

まぁ、大久保嘉人選手のようなタイプがもっともっと数多く出ないとダメだと言ったほうがわかりやすいかも知れない。
大久保嘉人があと5歳若ければ、まさに日本のロマーリオとして期待が持てたかも知れない。

バルセロナサッカースタイル全盛時代のいま、日本においては、小学生の段階でなかなか強烈な個性のストライカーを礼賛する風土が生まれにくいのかもしれない。それは、チームワークが均一な個性の集まりでないと育めないと感じる日本的育成風土のいまを象徴していると思う。多様な個性が集まった中でチームワークを育むことが育成だと心得る欧州のクラブとの決定的な違いだと、祖母井さんも指摘していた。

欧州の少年チームには、白人系もアラブ系も黒人系もごちゃごちゃいる。民族性の違いも個性もハンパないほど違う。その中でチームワークを育むということは個性の違いを当然の前提として行なう作業だ。

日本では、個性の違いを前提とするという発想がほとんどない。現実に他民族チームでもない日本の少年チームの中で個性の違いを前提にしてチームワークを育めといっても、難しいのかも知れない。しかし、こと教育という視点で捉えれば、個性の違いを前提として学ばせなければ真の教育はできない。

なかなか息の長い取り組みだが、育成年代での指導のあり方を日本全体として見つめ直していかないと、第二の釜本邦成は出現しないかも知れない。

とりあえず、そんなことを感じたトークショーでした。

最後に、会場でもらった「クラマーさん、ありがとう」という冊子について。
この冊子は、われらが「サロン2002」というネットワーク組織が2005年に行った「公開シンポジウム」の報告書になっている冊子です。

「クラマーさん、ありがとう」まさに、今回の日独サッカー交流展が、デッドマール・クラマーさんを追悼する催事である中で、配布するにふさわしい表題となっている冊子だと感動しました。

報告書は、その年招いたクラマーさんの講演録も収録してあり、クラマーさんは、その中で『「サロン2002」という団体を初めて知ったが素晴らしい活動だと思う』と述べておられる。まさにそのとおりで、時を超えて冊子という形で、その活動が今日まで伝えられたことにも感動を覚えました。

私などは、遅刻しながらも今日のトークショーに行かなければ、この冊子にも出会えなかったことを思うと、一層実り多いトークショーでした。






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