34篇の詩を5つの章(部)にわけて編集している。収録詩篇は決して少なくはない。だが、各詩篇は見開きで収まる20数行の詩篇。
削ぎ落とされている。「あとがき」にはこう書かれている。
「四冊目の本詩集で初めて書法の転換を試みた。コロナ自粛で始めたツィッターに断続的に詩をアップして一年が経過したが、
文字数制限でコンパクトにせざるを得ず作品成立の極限まで削った言葉で生成するしかなかった。それをベースにして制限を
解除し加筆訂正したものを最終稿とした」
削ったものをもういちど加筆する。しかしその行数自体にも20数行ほどの制約を加えている。
自由詩をどこまでも追い求めていくのが「現代詩」と仮に考えたときに制約を加えることを石川敬大さんは選び取った。
「書法の転換」である。
そういえば、削ぎ落とすとは、テレビのインタビュー(10月15日「ニュース23」)で谷川俊太郎も語っていた。
あるいは歌人は短歌の制約が短歌表現の自由を生みだすというようなことを語る。「定型」の問題は常に語りつづけられてきたし、
「削ぎ落とす」ということも表現に向き合うベーシックな態度として語られている。
加えて、この「あとがき」を読むと、引き続く「コロナ禍」の状況が重ね合わされる。「制限」を「せざるを得ず」、
「制限」を「解除し」て「訂正」したものを表し、歩きだす。「書法の転換」が、行動制限の要請と解除を繰り返す状況と重なる。
ここにも今がある。
そういえば、詩の短さについては、大岡信が『萩原朔太郎』という著書で、
「詩は短きを以て良しとす。およそ三十行内外を以て適度とす」というポウのことばから始まる朔太郎の文章について、考察していた。
「真の意味での詩—即ち純粋なる抒情詩—は、今日長きも二十行を越えてはいけない。即ち十五行内外が最も適度である」と続く朔太郎の文章。
これについて、大岡は、「今日のいわゆる現代詩の実情は萩原の予測とはむしろ逆の方向へむかって、
はてしなく詩形の横ひろがりが続いているといってよい。(略)現代詩の散文化傾向という事実は蔽いがたい上に、
今日の詩には〈純粋なる抒情詩〉とはいえない要素で成り立っている部分が多いからである。しかし、むしろそれゆえに、
萩原朔太郎のいう〈純粋なる抒情詩〉の魅力が輝きを増すという逆説的事態も生じている」と書いている。
確かに、現在、「純粋なる抒情詩」かどうかはともかくとして、短歌俳句は現代詩に比べれば広い読者層を獲得している。
大岡自身も詩が閉じている世界になることを苦慮していた。
ただ、この石川敬大詩集が引き受けている困難は、仮に「純粋なる抒情詩」ならば「十五行内外」が「適度」であるとしても、
その「純粋なる抒情詩」から逸脱し、むしろ叙事的要素を持ちながら、20数行に収めていることである。
だが、その困難に表現が耐えられた場合は、表現の持つ困難は表現の強度を支える。
第Ⅰ部冒頭の詩「家史」の書き出し。
あの家の生涯ならおおよそ知っている
表紙をひらいたのは父
仕舞ったのは、ぼくだ
第Ⅰ部は「父」をめぐる詩篇が配置される。この父はバーセルミの小説の題名を借りれば「死父」である。昭和のある時期の父、
父的なものがイメージされている。家父長的な父の残滓となった原像であり、幻像となったもの。そこには抑圧と思慕があり、
それから解放されたい暴力衝動と解放への思いがある。9篇の詩は場面をむしろ点描する。その点描がはらむものが物語のありかだ。
そして、実はそれが日常とつながっている。だからこそ、その日常は消えてしまう恐れとも共生する。詩「父がいた」はこんな最終連を持つ。
どこにもない
あの家の
黄ばんだ居間の澱んだ空間に
いまでもタバコの匂いと笑い声が漂っている
その寒々とした宇宙空間の
テレビの前で
父は
白く発光する
ブラウン管をみていた
月面着陸の中継を見ている父なのかもしれない。
宇宙空間はテレビの中にあるのか。ところが居間の空間が寒々とした宇宙空間ともとれる。すると、ここには、
その宇宙空間の中に居間が浮かびながら消えていくイメージがある。いや、むしろ解消されない時間の中を漂っているような。
そして、発光するのはブラウン管なのだろうが、この発光は父にもかかっている。父も白く発光してようなのだ。
父が「いる」から父が「いた」になるとはこのようなことなのかもしれない。そこにある居間が宇宙空間の中に不意に置かれる。
死が存在と地続きでありながら、生存とは違う存在の形(?)を見せる瞬間がここにはある。
第Ⅱ部は、少年性から大人への移行が綴られているような詩篇が並ぶ。
Ⅲ部、Ⅳ部での生きものとの関わりや先達の詩句や人との繋がり、関係性からこぼれてくる詩句たち。
東日本大震災によって滲みだされてきた詩篇がならぶ第Ⅴ部。
石川さんの以前の詩にもあったが、詩はここでは「挽歌」である。失われていくからこそ、ことばは綴られるのかもしれない。
そこに形を変える存在があるから、ことばはそこにあろうとするのかもしれない。生存とことなる存在に向かうものがあるときに、
ことばはその生存を留めると同時にことなる存在も書きしるそうとする。たとえ残るものがことばだけだとしても。あるいは、
そのことば自体も消えてしまうものだとしても。
「挽歌」が抒情詩であるとすれば、石川さんの詩篇は抒情詩なのかもしれない。
であれば、萩原朔太郎が引いた言葉のように「短きを以て良し」とする詩法の実践がここにはあると思う。20行は少し越えているけれども。
困難に耐えていく表現の持つ強度を感じた。
ことばは、耐えていく、こんな状況に。詩「耳のなかの声」第3連と4連。
—文字は
声の末裔です
風につぶやくと
だれかの海も
だれかの空も
だれかのかなしみすらも
たちまち文字に置き換わってしまった
だとしても、そう、4連に続く最終連のように。
すると
かすかに
耳のなかから
なつかしい声がきこえた
つぶやきが文字となり、ふたたび声を届ける。
削ぎ落とされている。「あとがき」にはこう書かれている。
「四冊目の本詩集で初めて書法の転換を試みた。コロナ自粛で始めたツィッターに断続的に詩をアップして一年が経過したが、
文字数制限でコンパクトにせざるを得ず作品成立の極限まで削った言葉で生成するしかなかった。それをベースにして制限を
解除し加筆訂正したものを最終稿とした」
削ったものをもういちど加筆する。しかしその行数自体にも20数行ほどの制約を加えている。
自由詩をどこまでも追い求めていくのが「現代詩」と仮に考えたときに制約を加えることを石川敬大さんは選び取った。
「書法の転換」である。
そういえば、削ぎ落とすとは、テレビのインタビュー(10月15日「ニュース23」)で谷川俊太郎も語っていた。
あるいは歌人は短歌の制約が短歌表現の自由を生みだすというようなことを語る。「定型」の問題は常に語りつづけられてきたし、
「削ぎ落とす」ということも表現に向き合うベーシックな態度として語られている。
加えて、この「あとがき」を読むと、引き続く「コロナ禍」の状況が重ね合わされる。「制限」を「せざるを得ず」、
「制限」を「解除し」て「訂正」したものを表し、歩きだす。「書法の転換」が、行動制限の要請と解除を繰り返す状況と重なる。
ここにも今がある。
そういえば、詩の短さについては、大岡信が『萩原朔太郎』という著書で、
「詩は短きを以て良しとす。およそ三十行内外を以て適度とす」というポウのことばから始まる朔太郎の文章について、考察していた。
「真の意味での詩—即ち純粋なる抒情詩—は、今日長きも二十行を越えてはいけない。即ち十五行内外が最も適度である」と続く朔太郎の文章。
これについて、大岡は、「今日のいわゆる現代詩の実情は萩原の予測とはむしろ逆の方向へむかって、
はてしなく詩形の横ひろがりが続いているといってよい。(略)現代詩の散文化傾向という事実は蔽いがたい上に、
今日の詩には〈純粋なる抒情詩〉とはいえない要素で成り立っている部分が多いからである。しかし、むしろそれゆえに、
萩原朔太郎のいう〈純粋なる抒情詩〉の魅力が輝きを増すという逆説的事態も生じている」と書いている。
確かに、現在、「純粋なる抒情詩」かどうかはともかくとして、短歌俳句は現代詩に比べれば広い読者層を獲得している。
大岡自身も詩が閉じている世界になることを苦慮していた。
ただ、この石川敬大詩集が引き受けている困難は、仮に「純粋なる抒情詩」ならば「十五行内外」が「適度」であるとしても、
その「純粋なる抒情詩」から逸脱し、むしろ叙事的要素を持ちながら、20数行に収めていることである。
だが、その困難に表現が耐えられた場合は、表現の持つ困難は表現の強度を支える。
第Ⅰ部冒頭の詩「家史」の書き出し。
あの家の生涯ならおおよそ知っている
表紙をひらいたのは父
仕舞ったのは、ぼくだ
第Ⅰ部は「父」をめぐる詩篇が配置される。この父はバーセルミの小説の題名を借りれば「死父」である。昭和のある時期の父、
父的なものがイメージされている。家父長的な父の残滓となった原像であり、幻像となったもの。そこには抑圧と思慕があり、
それから解放されたい暴力衝動と解放への思いがある。9篇の詩は場面をむしろ点描する。その点描がはらむものが物語のありかだ。
そして、実はそれが日常とつながっている。だからこそ、その日常は消えてしまう恐れとも共生する。詩「父がいた」はこんな最終連を持つ。
どこにもない
あの家の
黄ばんだ居間の澱んだ空間に
いまでもタバコの匂いと笑い声が漂っている
その寒々とした宇宙空間の
テレビの前で
父は
白く発光する
ブラウン管をみていた
月面着陸の中継を見ている父なのかもしれない。
宇宙空間はテレビの中にあるのか。ところが居間の空間が寒々とした宇宙空間ともとれる。すると、ここには、
その宇宙空間の中に居間が浮かびながら消えていくイメージがある。いや、むしろ解消されない時間の中を漂っているような。
そして、発光するのはブラウン管なのだろうが、この発光は父にもかかっている。父も白く発光してようなのだ。
父が「いる」から父が「いた」になるとはこのようなことなのかもしれない。そこにある居間が宇宙空間の中に不意に置かれる。
死が存在と地続きでありながら、生存とは違う存在の形(?)を見せる瞬間がここにはある。
第Ⅱ部は、少年性から大人への移行が綴られているような詩篇が並ぶ。
Ⅲ部、Ⅳ部での生きものとの関わりや先達の詩句や人との繋がり、関係性からこぼれてくる詩句たち。
東日本大震災によって滲みだされてきた詩篇がならぶ第Ⅴ部。
石川さんの以前の詩にもあったが、詩はここでは「挽歌」である。失われていくからこそ、ことばは綴られるのかもしれない。
そこに形を変える存在があるから、ことばはそこにあろうとするのかもしれない。生存とことなる存在に向かうものがあるときに、
ことばはその生存を留めると同時にことなる存在も書きしるそうとする。たとえ残るものがことばだけだとしても。あるいは、
そのことば自体も消えてしまうものだとしても。
「挽歌」が抒情詩であるとすれば、石川さんの詩篇は抒情詩なのかもしれない。
であれば、萩原朔太郎が引いた言葉のように「短きを以て良し」とする詩法の実践がここにはあると思う。20行は少し越えているけれども。
困難に耐えていく表現の持つ強度を感じた。
ことばは、耐えていく、こんな状況に。詩「耳のなかの声」第3連と4連。
—文字は
声の末裔です
風につぶやくと
だれかの海も
だれかの空も
だれかのかなしみすらも
たちまち文字に置き換わってしまった
だとしても、そう、4連に続く最終連のように。
すると
かすかに
耳のなかから
なつかしい声がきこえた
つぶやきが文字となり、ふたたび声を届ける。
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