1911年に発表されたこの作品を世界基準で見たときに新鮮だったのかどうか。20世紀として考えたときに、作品は20世紀の小説なのである。
ただ、この小説がヨーロッパ小説の十分な受容の中で日本文学として新鮮に屹立していることは確かなのだろう。
まず、当時の東京の町の情緒が、固有名詞と共に満ちている。それが、時代の価値観とも一体となって哀感のようなものを漂わせている。また、各人の心理を語っていく手際は、心理小説の系譜にも繋がっている。僅かな嫉妬や気持ちの行き違いを分析含めて語り出していく様はお見事である。
その中で、語り手=作者である「僕」も、書き足された最終章できちんと位置が記述されて、何故、「僕」がここまで小説を書くことができたのかという問いに解答を付けている。この最終3章がない終わり方も十分情緒があっていいのかもしれないが。そして、岡田とお玉のすれ違いの中に、哀切が、若さの哀切と時代の宿命的な哀切の両方として沁みだしている。
お玉の気持ちの動きにある自我の移り変わりは、明治の精神の変遷として読めなるのかもしれない。
江戸の下町風情のような感じと近代明治の都市の一端が描写され、その描写も口語体、漢語由来、英語や仏語などの外国語が挿入されて、町の空間、時代の空気と一体化していた。
多分、大昔にこの小説は読んだはずだが、今回、中盤以降で、面白く読めた。もう少しして、再読したらさらに味わい深いのかもしれない。
ただ、この小説がヨーロッパ小説の十分な受容の中で日本文学として新鮮に屹立していることは確かなのだろう。
まず、当時の東京の町の情緒が、固有名詞と共に満ちている。それが、時代の価値観とも一体となって哀感のようなものを漂わせている。また、各人の心理を語っていく手際は、心理小説の系譜にも繋がっている。僅かな嫉妬や気持ちの行き違いを分析含めて語り出していく様はお見事である。
その中で、語り手=作者である「僕」も、書き足された最終章できちんと位置が記述されて、何故、「僕」がここまで小説を書くことができたのかという問いに解答を付けている。この最終3章がない終わり方も十分情緒があっていいのかもしれないが。そして、岡田とお玉のすれ違いの中に、哀切が、若さの哀切と時代の宿命的な哀切の両方として沁みだしている。
お玉の気持ちの動きにある自我の移り変わりは、明治の精神の変遷として読めなるのかもしれない。
江戸の下町風情のような感じと近代明治の都市の一端が描写され、その描写も口語体、漢語由来、英語や仏語などの外国語が挿入されて、町の空間、時代の空気と一体化していた。
多分、大昔にこの小説は読んだはずだが、今回、中盤以降で、面白く読めた。もう少しして、再読したらさらに味わい深いのかもしれない。
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