パオと高床

あこがれの移動と定住

イアン・R・マクラウド『夏の涯ての島』浅倉久志他訳(早川書房)

2008-04-01 12:57:09 | 海外・小説
収録作品数編を読む。

中編「息吹き苔」の中で、タリーカと呼ばれる神秘修行者が主人公のジャリラに言う言葉がある。
「さあ、想像してみなさい。ジャリラ。この宇宙がたったひとつのもの、これがあれのあとにつづくようなひとつながりではなく、潜在的可能性の果てしない枝分かれだとしたら?宇宙は天地創造の日からそうだったし、いまもそうなのよ。風に捕らえられたあの木の葉の動きも、そのコーヒーから立ちのぼる湯気も。あらゆる瞬間にいろいろの変化が含まれている。その大半は、貧弱なできそこないのしろもの、全能の神のつかのまの思いつきや気まぐれにすぎない。宙ぶらりんのまま死に絶え、二度と見ることができない。でも、それ以外の枝分かれは、いまわたしたちが歩んでいるこのルート同様、堅固に作られている。この城(カスル)のなかには、おまえもわたしもまだすわったことのない宇宙がいくつもある。そこにはジャリラのいない宇宙もある…。」
これが、そのまま、この作者の作品集を支えている。たくさんの多層的宇宙、多層的時間のひとつが描き出されていく。

この「息吹き苔」は、〈10001世界〉にある惑星ハバラを舞台にした物語だ。高原から海岸に移動してきた少女ジャリラは途中、息吹き苔を吐き出す。これが少女から大人への移り変わりの兆候である。そして、住民のほとんどが女性であるハバラでのジャリラの恋と成長が描かれるのだ。この世界はアラビア風、エジプト風であり、遊牧の生活とギリシャ的街並みの混在も見られる。科学技術は発達し、原地球から移り住んできた未来世界が克明にイメージ豊かに描かれていく。かつて、大航海に出たであろうアラビアの旅人は、この世界では宇宙空間の旅人となる。解説や説明を加えずに、もう既に世界にあるものとして固有名詞化されたものが出てきたり、世界の成り立ちや構図は、ジャリラが知らないように読者にも知らされず話は進むのだが、壮大な未来史を神話的な雰囲気で構築している。
お互いが離れてしまう〈距離の苦痛〉。ジャリラは旅立ちで涙を流し、涙の意味を知る。だが、その苦痛とは、すばらしい人生に対して「そのすべてとひきかえに、おまえが支払う代償なのだ」とタリーカは意味づける。部分の描写や感情の動き、そして思索的な言葉がよかった。例えば、「あらゆる感情のなかで欲望はいちばんふしぎだ。それにとりつかれてないときはごくささいなものに思えるが、とりつかれたときは、宇宙の秘密のすべてがそこで待っているような気がする…。」とか。「全能の神の核心は、星ぼしの間の無の空間に似ていて、みんながそのまわりをめぐっている。わたしたちは、それがそこにあることを知っているが、決してそれを見ることはできない…。」とか。

表題作「夏の涯ての島」は「改変歴史もの」に位置づけられている。
改変歴史ものは、SFだけでなく、例えば、スティーヴ・エリクソンの『黒い時計の旅』などのように、改変することで歴史の暗部に切り込み、現代史自体を覆してみせる力業の作品から、改変自体の機知と楽しみに批評精神を融合させたものなどたくさんあるのだろうが、この小説は、むしろ、歴史の改変が帰らぬ青春と繋がっているところに、味わいがあるのだろう。
1940年ドイツに敗れたイギリスの辿る歴史。カリスマ指導者ジョン・アーサーによるファシズム政権のなかで迫害されるユダヤ人や同性愛者たち。その敗戦下の状況が歴史をいぶり出す一方で、アーサーは、歴史学者である語り手の男グリフが愛した男である。老境のグリフのアーサーと過ごした時間への思いが、再会を果たした現在の時間に重なっていく。背景には大きな暴力がある。その中で歴史は繰り返される。しかし、帰らないかけがえのない時。思い出の時間である夏と現在が交差しあう表現が冴える。〈The Summer Isles〉をサマー諸島ではなく、「夏の涯ての島」と訳す表題が示すように、離され、涯てにいった夏の島への痛みが伝わってきた。
ただ、もうひとつ浸りきれなかったのは、どうしてだろうという気持ちも残ったのだ。案外、短かったからかも。

この本で、読みやすいのは「わが家のサッカーボール」かもしれない。考えたものに変身する能力を身につけた人間が暮らす世界が舞台だ。変身譚の変形として十分楽しめるし、そこにもられたストーリーの、ほの哀しさと、微笑ましさは古風な家族愛のテイストなのだ。トラウマが具現化され外化する変身。それは考えようによっては、人の心の動きの明確化でもあるだろう。そう考えると、具現化されずに眠ったままの心の闇が、昨今、むしろ怖いのかもしれない。



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