パオと高床

あこがれの移動と定住

エラスムス『平和の訴え』箕輪三郎訳(岩波文庫)

2006-12-11 02:16:06 | 海外・エッセイ・評論
宗教改革の時期になるのか。キリスト教が争っていく。内部的にも、教会の問題やキリスト教自体の宗派の問題、そしてヨーロッパの国家成立をめぐる争い。その中で、ひたすら、戦争の不毛性と罪悪を説く。
この訳文からも感じられる筆致の速さとひたむきな熱意は、活字が弁舌の場所に立っていることを証明する。1517年頃の著作だが、何故、平和を説いた神の教えを守るべきキリスト教徒が戦争を行うのかと指弾していく。まさに某超大国の某大統領などに聞かせたい言葉である。
シンプルである。戦争は悪なのだという一点がぶれない。キリスト教中心主義の問題は確かに顔を出す。それは世界規模の問題なのかもしれない。大航海時代直後の時代背景はあると思う。しかし、どこの世界宗教に殺戮を容認する神がいるというのだろう。人間の想像力はあらゆる方便を準備するのかもしれない。だが、そのときにそれを躓かせる単純な真理というのがあってもいいのではないだろうか。平和のための戦争なんてあるはずがないのだ。
「いたるところ諸国民によって締め出され棄てしりぞけられた平和の神の嘆きの訴え」という形を借りて綴られた文章は、異邦人への文脈を除けば、あるべき姿を呈示している。
エラスムスは1466年か69年(67年という記述も見た)オランダ生まれ。パリに留学、ロンドン、ルーヴァン、ヴェネツィア、ローマ、バーゼルと遍歴。その間、トーマス・モアと親交を結び、宗教改革の寵児ルターと確執論争があったりしているらしい。1536年没。


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