パオと高床

あこがれの移動と定住

エマニュエル・ボーヴ『あるかなしかの町』昼間賢訳(白水社)

2008-01-19 00:19:32 | 海外・エッセイ・評論
ベコン=レ=ブリュイエールというパリ郊外の町を描いたエッセイである。
85ページの薄いこの本、ただ淡々と書かれているのだが、胸に沁みる。1927年出版だから、描写されているのは、八十年ほど前の町とそこに住む人々である。都市は郊外を持つ。現在、その郊外はむしろそこが様々な問題の温床であるのかもしれない。しかし、郊外は生活の場であるのだ。自分自身の居場所であると同時に、都市に向かう出発地でもある。生活の中での慣れと悲しみが、慰めと退屈が、喜びと辛さが混在している場所なのだ。そこを比喩をつかい、距離感を持ち、観察していく。そして人びとの心のひだまで見とおしていく。ボーヴ自身は住民ではないようだ。解説によると彼は愛人との生活のための別宅としてこの町に移り住んだらしい。その彼の持つ位置が、町との微妙な関係を刻む。町への観察者という場所に彼を立たせているのだ。それにしても、この本に漂う詩情は何だろう。町が今にも消えていきそうで、それでいてその生活の確かさのようなものは伝わってくる。町をきちんと描く文章に都市生活者の面目が滲む。路地の、町の、遊歩者は魅力的である。

7つの章からなる本だが、各章の書き出しから、この本の雰囲気は伝わると思う。
例えば、1章、「ベコン=レ=ブリュイエール行きの乗車券は、特に変わったものではない。」2章、「ベコン=レ=ブリュイエールの気風はパリより穏やかだ。」4章、「ベコン人はわが町を密かに愛している。真面目な父親がおどけ者の息子のことをあまり話したがらないように、ベコン人は多くを語らない。」など。そして、6章の「ベコン=レ=ブリュイエールには町はずれがない。」は、この町を強く印象づける。

ボクらは、町をどう見つめることができるのだろうか。ボクらは郊外の町をどう見つめるのだろうか。ボクらの不安定さにボーヴのこの本はなんだか温かい。
訳者が「あるかなしかの町」という題名にしたということだが、この題名お見事だと思う。もちろん文章も。ドアノーの写真も入れて、なんとも瀟洒な素敵な本になっている。

あとがきにあるブリュイエールの花言葉、花は「孤独」、葉は「屈従」という
のは意味深い。題名も「あるかなしみの町」とも読めそうなひらがな列記である。



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