パオと高床

あこがれの移動と定住

岡耕秋「樹木」(「千年樹 42号」2010/5/22)

2010-06-01 10:19:59 | 雑誌・詩誌・同人誌から
誌名そのままに、刻みつけるように年輪を重ねることへの思いがこもる詩誌である。「樹木」は、詩誌それ自体を表しているような、発行者の詩である。この詩には自然を織りなすものの厳しさと優しさ、そしてなにより、その美しさが描かれている。また、時の流れの中で去りゆくもの、失われたものへの沈むような思いが沁みている。

系統樹という樹がある
宇宙樹という樹がある
樹々はこの星を満たし彩り
地平の姿を変える

生きている樹はその年輪を見せない
厚いごつごつとした樹皮をまとい
厳しげな樹影を象り
あるいは優しいすべらかな木肌に
すらりとたちならぶ優しい木陰を与える

生命を絶たれた樹木が見せる年輪は
その秘められた歴史
うすぐらい森のなかで
しっかりと大地をつかんだ根をのこしたまま伐られ
あらわになった年輪

そこに見るのはもはや失われた青空か
暗い大地の底で息絶えて行く細根のあがき

あるいは
そのひと輪ひと輪の美しい造形に秘められた
その年々の季節の息吹の記憶
亭々と天空に聳えた梢や枝をそよがせた風の音
さんさんと降り注ぐ陽光
暖かい春 酷暑の夏 豊穣の秋 氷結の厳冬

考古学者*は古い建造物の
古材の年輪から年代を読む
古い史書に記されたことがら
その時に生きていた人々の姿を
同心円の中にくっきりととらえる

だが
この老いた痩躯に年輪はなく
残る気力も無い
亭々と滑らかに天空に祈ることもなく
さらに清らかに朽ちることも出来ぬ

今日 種子の日から朽ち果てるまでの
全ての日々に美しい
樹々の年輪を羨む
          岡耕秋「樹木」(全編)

ここにも幻を見る幻視がある。三連の「生命を絶たれた樹木が見せる年輪は」という一行が、心に痛い。刻まれた時間である年輪はすでに絶たれた時にしか姿を現さない。

同じ作者のもうひとつの詩「ある画家」はワイエスに向けての詩だが、ワイエスの絵をとらえようとする詩の言葉が静かな力強さを持っている。
コメント
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